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怜が帰宅すると、早々に母親が怜に話しかけて来た。
怜が荷物を下ろし、上着を脱いでいると母親が「あら。ユウちゃんに会わなかった?」と怜に向かって言う。
妹が居間のソファの上でくつろいでいる。母親はキッチンで夕食の盛り付けをしているところだった。
「ユウ?なんで?」
「ついさっき、家に来てたのよ。怜の事待っていたんだけど、塾があるからって帰って行っちゃったわ。」
「ふーん。」
母親はそんな怜の様子を見て笑う。「ふーん、って。ほら。これ持って来てくれたのよ。」
母親から差し出されたのは、紙封筒に包まれた平べったいもの。怜はそれを受け取り、ようやく何のことかを思い出した。
妹もソファに手をかけ、こちらの様子を何故か見ている。
「いま、帰って来てるんでしょう。ユウさんと、従姉妹が街で一緒にカラオケから出て来たの見たって聞いた」
「ああ。まちこちゃんでしょう。」母親が言う。
「ううん。何人かで来てたみたいよ。」
「ふうん。」
母親は勿論、ユウのあの噂を知らない。大して気にもせずに、かちゃかちゃと食器を出して並べている。怜もそれ程知らないが、妹は何かを知っているようだった。
「それ、何なの?」
妹が怜に向かって聞く。怜はぴくと眉毛を吊り上げ、手に持っていたものを先ほど降ろしたばかりの鞄に突っ込む。
「ん。ただの、大学ノートだよ」
怜の見え透いた嘘に妹は呆れた顔をした。そうして、こちらを向く為に浮かせていた体を思い切りソファに沈める。
その仕草が、子どもの頃と大して変わらない妹の姿に見えていた。
怜は夕食を食べ終えると自分の部屋へ戻り、ベッドの上に寝転がった。
…疲れた。
そう呟いて、横を向いた。
…大した動きもしていないのに何に、疲れているのだろうか。
(笹岡…)怜はそう考えてから、目頭をぎゅっと抑える。そうだ。あの、生徒会長。
あの男は自分の事を一体どう思ったのだろうか。
いま一度考えてみるが、特に怜から恨まれるような事をわざわざした覚えはない。怜は起き上がって、階下から持って来た鞄の中に手を突っ込んだ。
鞄の中はユウが持って来たという包みが入っている。それを取り出すと封を開け、入っていたものを取り出す。
まだ、真新しくも見える写真集が中から出て来た。家にあったものは既に色褪せていたが、こっちのものはまだ、表紙の色が残っていて黒光りしているようでもある。
怜はそれを手に取りパラパラとめくって見る。
ふうん。こんな、いいものくれるんだな…
怜は思い、思わず微笑んでいる。
それから、笹岡の話していたつい最近の大会での事を、ふと思い出した。
ー「勝負していたんだよ」。
笹岡がいったいどういう感情でクラスの女子とそんな事をしたのか、怜からは考えてみてもよく分からない。ただ、そうやってなんの気なしに笹岡が目を付けた女子を揶揄った後で呼び出された時に、一体どうするか焦った時の気持ちは分かりそうな気がした。
ごく最近起きた、笹岡との関わりを怜は断片的に思い出す。
アイツが好きなのは、女子じゃない。
アイツが好きなのは……、そう思い当たったとき、怜は笹岡が自分へして来たことのせいで体が熱くなるのを感じた。
怜は写真集を閉じ、それからそれを、本棚に置く。ユウは今頃、塾で勉強をしているのかもしれない。学校でもいいのにわざわざ持って来てくれたのは、…怜は考えるが、ユウからわざわざ言われたわけでもない事を今更一人で考えているのが億劫になっていた。
その後もよく考えてみたが、やっぱりあの話にしても笹岡は嘘をついていそうだと思う。
先ず、相手の女子の告白を振った後から、吹奏楽部の大会に公衆の面前で平手打ちを受けるまでの説明が、すっぽ抜けている。
笹岡は何かをやったんだ。もっと相手を傷付けるような、何か…
ー「もっと酷い事をやってやった」。
笹岡が、生徒会長を指して言った言葉。寝入る前にその事を考えていると、怜はもっと頭が混乱して来るみたいだった。
修了式が終わり、翌日からは夏休みが始まるせいで教室内はその期待に包まれている。
怜もその中の一人だった。
「お前講習出る?」
「うん。テストやばいもん」
「テストとか、関係ないだろおー。」
鞄に教科書や参考書を詰め込む。ホームルームまでの騒がしい時間をが過ぎた後で、教卓に立った教師からは夏休みについての諸注意と、来年度の受験に向けた心構えなんかを説明される。
「最後掃除するのって、損だと思わない」
友人が呟きながら箒を履いている。
「うーん」
怜も言われればそうだと思い、それにしてもこの広い校舎を完璧に掃除するなら、夏休み中に締め切って業者でも呼んで清掃すればいいんだとあまりそぐわないようなことを考えていた。
早々に帰って行った帰宅部の声が校舎の外で騒めいた後で、怜も掃除を終えると部活に向かう為の荷物を纏めている。
「あっ。いた」
声を掛けられ、思わず怜はギクリとする。
教室のドアの方を振り向くと、居たのはーユウだった。
「ん。どうかした?」
訝しげにユウが首を傾げている。
「誰か、待ってたの?」
「別に、何でもない。…どうかした?」
怜が荷物を背負い、ユウに向かって聞く。
ユウは髪型を変えたようだった。短く切り、サイドだけ髪の毛をカールしていて、校則ギリギリ引っかからないようなアレンジをして来ている。
放課後遊びに行く女子なんかがよくやっているやつだ。
ユウは怜の目前で暫し不満気に黙っていた。が、怜がさっぱり何も言い出さないので諦めて口を開く。
「怜は、夏休み、その…何か予定とかあるの?」
「いつも通りじゃないかな。部活と、あとはバイト」
「バイト?へえ。何するの?」
「ガソリンスタンド。ここから直ぐ近くにある場所なんだけどユウは多分来ないよね」
「ふうん」
ユウは腕を組んだまま、俯いている。
何となくその仕草がかわいいと思う。
「あ。そうだ。この間ありがとう。写真集、わざわざ家まで持って来てくれたんだ」
「…うん」
「なんか俺のより新しいやつだったからさ、本当にもらっても良いのかなって思っちゃったけど…。いいのかな。
妹はあんなだけどさ。俺には大事なものと思ってたから、嬉しかった」
怜がそう言って照れ笑いすると、ユウはじっとこちらを見たままで固まっている。
「う、うん。大丈夫。
あんなの、全然幾らでも…じゃなくって。
…よかった。」
「うん」
「えと。そうじゃなくって。」
「え、何。なんかあった。」
「その、怜って…私の事きっと誤解してるでしょう。」
「誤解?」
「…ううん。なんでもない。」
急激に、ユウはもじもじし始める。怜もそれを見て流石に、妙な空気を感じ取り始める。
ユウ、と後ろから声がかかり、声を掛けられた佐藤ユウが後ろを振り向く。が、誰もいない。多分廊下の向こうから掛けられた声なのだろう。ユウを探しているようだった。
それから、ユウは怜の方を見たかと思うと、制服のポケットに手を入れ、中から取り出した何かを握りしめて怜の方へと近付いてくる。
ユウは怜の手を取り、それを開かせる。それから小さく折り畳んだメモを怜の掌に握らせる。
ぎゅっと怜の手を掴んだ手は冷たく汗ばんでいて、怜は自分の手とユウの顔を交互に見比べている。
その隙に、ユウは怜の頬に顔を近付けると、自分の頬をすれすれまで近付ける。
「……、」
突然のことに怜は固まる。女の子の匂いと汗が入り混じったような、妙な香りがユウからはする。
「ユウ?」
ユウが怜の方を向いたと思った時、教室の外から声を掛けられ、慌ててユウが身体を離す。よく見ると、耳まで真っ赤にしながら「ごめん、私行く。
この間言っていた集まり、多分すると思う。クラス代表と連絡は取ってるんだけど、…私から、怜にも報告するね」
そう言ってばたばたと走って行った。
部活はいつも通り、夏休み前ということもあってか普段の倍くらいの練習メニュー量だった。すっかり疲れ切って、全身の汗が全て出て行ったかのような気分で水をガバガバと飲む。
「もう、むり…」
友人が溢し、多分全員がそう思ってるんだろうなと思いながら怜も「俺も」と応える。
そうして暫しの休憩中、ふと校舎から聞こえて来る音に耳を澄ませる。
ー吹奏楽部の練習の音だ。
これまでほとんど意識した事はなかったが、笹岡と出会ってからたまに聞こえてくる練習の音に耳を澄ませるようになっていた。
この曲だと、多分中間あたりに笹岡の演奏がある。
もう何度か聞いてるうち、無意識にそう考えている。
それからその後、笹岡のパートが始まったときに自分でも意外なほど嬉しいと思ってる事に気がつく。
「……」
「あ〜〜〜」
水を飲む怜の傍らで友人がそう言って校庭に寝転ぶ。周りはいつもの事と気にも留めていない様子だった。
多分今頃、音楽室に敷き詰められた椅子の前方、入学式の時に見たのと同じような配置のなか、笹岡は演奏している。
たった一人自分だけその世界に入り込んでるような姿で。
笹岡はあの細い身体でフルートを演奏しているのだろう。