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「……分かった。じゃあ、この広告のレイアウト案、いくつか出してもらってもいいかな?」
「はい」
短く答えて、河瀬の手から書類を受け取ると、内容を確認してパソコンへ向かう。
けれど――やはり、集中は続かなかった。
(……ちゃんと、しないと)
そう思うのに、思考はすぐに逸れていく。
誤解かもしれない。
でも、もしそうじゃなかったら。
その考えが、頭の片隅から離れない。
結果として、その日の瑠璃香は普段ならしないようなミスをいくつも重ねた。
細かな確認漏れや入力の抜け。
大きなトラブルにはならなかったものの、明らかに本調子ではない。
河瀬に頼まれたレイアウトも、納得のいくものが出せなくて、明日まで待ってもらうことになった。
せっかく任せてもらえたのに、情けなくて泣きたくなった。
居残って仕上げる、と告げた瑠璃香に、河瀬はゆるゆると首を振った。
「本調子じゃないのは、小笹さんが一番よく分かってるよね? 今日はもう帰りなさい」
そう言われてはどうしようもない。
瑠璃香はとぼとぼと企画宣伝課を後にした。
***
会社を出ると、夕方の空気が肌に触れた。
日が落ちきる前の、曖昧な明るさ。
人の流れの中を紛れるようにして歩きながら、瑠璃香は小さく息を吐く。
(……なんで、晴永さん、あんな顔してたんだろう)
朝、出がけにふと見た、晴永の表情が頭から離れない。
どこか態度がおかしい瑠璃香に、何か言いたげだったのに……結局どう接していいか分からないみたいに何も言わなかった。
晴永は、わけの分からない事態に、戸惑っているようにしか見えなくて、それが瑠璃香の心をざわつかせている。
(なぜ?)
ちょっと考えたら、自分が約束を反故にしてコソコソと婚約者と会っていたことを、瑠璃香が嗅ぎ付けたのかも? と思うものじゃないだろうか?
なのに……晴永はまるで思い当たる節がひとつもないみたいに、当惑しているようにしか見えなかった。下手すると、瑠璃香が一人で空回りをしているみたいな、そんな錯覚さえ覚えてしまうような。
(晴永さん、あんな街中で堂々と許嫁さんと会って……誰にも見られていないと思う方がおかしいよ?)
晴永が思っている以上に彼はかっこよくて目立つのだ。美人の藤井田令嬢と一緒ならなおさら。
なのに――。
答えの出ない問いを抱えたまま、うつむきがちに歩いていたら、
「――小笹瑠璃香さん、でいらっしゃいますね?」
いきなり行く手をふさがれて、落ち着いた声で呼び掛けられた。
「えっ?」
つぶやくなり視線を上げると、見知らぬ男が立っていた。
きちんと仕立てられたスーツに、無駄のない所作。
何となく会社関係者かな? と思ったけれど、見覚えはない。
「……はい」
警戒を滲ませながら頷くと、男は名刺を差し出しながら一礼した。
「突然呼び止めてすみません。わたくし、副社長秘書を務めております、山根湖紘と申します」
その肩書きに、思わず背筋が伸びる。
副社長といえば、角宮清香。――晴永の母親のはずだ。
「新沼社長補佐のことで、角宮副社長からお話がございます」
「……っ!」
心臓が、小さく跳ねた。
そう言えば昨日、晴永は藤井田令嬢の願いを聞いて、母親に何かを頼んだと言っていた。それがこれだと考えれば――辻褄は合う。
コメント
2件
これはドキドキする😱
お疲れさまです、編集者の寺島です🌷 86話、じっくり読ませていただきました。瑠璃香の「ちゃんとしないと」と思いながらも晴永さんのあの表情を思い出して集中を乱される場面、胸がぎゅっとなりました。仕事のミス、情けなくて泣きたくなる気持ち、すごく分かります。 そしてラストの山根秘書登場! 晴永さんが藤井田令嬢の願いを聞いて母に頼んだ件だと気づく流れ、緊張感があって引き込まれました。次が気になります…!
#夢
凪川 彩絵