コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
切れ切れに言われた言葉の意味を、一瞬理解できなかった。
聖力を、使ってはいけない……?
ルークさまがこちらを見たことと、言葉を発した驚きに意識が集まっていたのもある。
なおも動けずにいると、ルークさまが咳き込み、はっとしてあたりを見渡した。
(お水……!)
水差しとグラスがあるのを見つけ、急いで水をつぎ、ルークさまの背中に手を当てて体を起こした。
「飲めますか?」
グラスを口にあてると、ルークさまはすこし水を飲み、呼吸を落ち着かせるように大きく息をする。
それでもまだ苦しそうにしながら、ゆっくり私のほうを向いた。
「聖力は……君の寿命なんだ。聖力を使うと、君の命が減ってしまう。だから……使ってはいけない……」
細められた、でもまっすぐな目が私を見つめた。
苦しげな呼吸のせいで、ルークさまの琥珀色の瞳は揺れているように見える。
その瞳を見返しながら、息が止まったような錯覚を覚えた。
(え……)
命が減る?
思いがけない言葉に、頭の中が真っ白になった。
なにも聞こえなくなり、心臓の音がうるさく響いている。
頭に浮かんだのは、患者に祈った後、自分の中の熱が抜ける感覚で―――。
(あ……)
あの感覚を思い出した瞬間、これまで感じたものとは比べ物にならない恐怖で、体が震えた。
「それは……本当、ですか?……どうして、そう思うのですか?」
無意識に滑り出た声は震えていた。
怖さで知らず知らずのうちにうつむく私に、ルークさまの細い声が届く。
「聖女はいずれも短命なんだ。人々の利になる聖女には長生きであってほしい。だから聖女のことを調べようと、国は王の元で聖女を管理するようになった」
その話を聞いて、生まれてすぐ私が修道院に預けられたことが頭をよぎる。
「やがて王は、王の指示でしか聖力を使えないようにした。その上で聖女が治癒した人々の症状、回数、その後の聖女の体調の変化などを極秘に記録するようになった。その結果……気づいたんだ。聖力を使えば使うほど、聖女は早く亡くなる。つまり聖女は……自分の命を削って聖力を使っている、と」
ルークさまが言葉を切り、部屋に沈黙がおりた。
私の手はいつしかルークさまの背中から外れ、力なくその場に垂れる。
聖力を使えば寿命が縮まると言われた時、そうでなければいいという思いも、そんなはずはないと思いたい気持ちもあった。
でもその根拠となる話を聞いて真実味を帯びた今、私の中にある怖さが変わった。
知らないものに対する怖さではなく、知っていても、抗うことのできないものへの怖さへとだ。
看護師として生きていた頃、命について考えることはあった。
症状の改善が見込めない患者が、命がどれくらい持つのか医師に尋ねる現場に立ち会ったこともある。
患者に寄り添いたくて、心中を想像したこともあった。
でも実際のところ、その人の気持ちはその人にしかわからない。
けれど今感じているこの気持ちは……もしかしてすこしは近いかもしれない。
“どうして私が”
“なんで”
“嘘と言って”
失望と憤り、「人はいつか死ぬ」という道理からの諦め……。
怖さとそれらがないまぜになって、私を包んでいる。
(さっき……聖力を使ってしまった)
私の寿命はどれくらい減ったのだろう。
そう思うとぞっとして、なにも考えられなくなった。
呆然として、どれくらい動けずにいただろう。
やがてルークさまのぜいぜいとした息づかいが耳に入った。
見ればルークさまは苦しそうに目を閉じ、ぐったりしている。
(もしかして、私に長く話をされていたから)
はっとして顔を覗き込み、もう一度薬がないかあたりを見渡したが、やはり見つからない。
自分の寿命のことばかり考えていたが、苦しんでいる人を目の前に、いくぶんか理性が戻ってきた。
……この人は、治すべきではないだろうか。
ルークさまを見つめながら、そんな思いが心のどこかから湧き上がってきた。
王族ということもあるが、この人は聖力について教えてくれた。
聖力は寿命であると―――「使ってはいけない」と止めてくれたのは、私のことを思ってのことだと思うから―――。
(……この人の、役には立ちたい)
怖いけど、人々を治癒することは私の宿命だ。
嫌だという気持ちも、怖いという気持ちもある。
でもそれを押し込め、怖さを見ないふりして、かすかに微笑んだ。
「……大丈夫ですよ」
病棟で働いていた頃、患者に話しかけていたように優しく言い、布団越しに体をなでた。
ゆっくり呼吸するよう伝えれば、ルークさまは素直に従ってくれる。
すこしでも楽になりたいからか、頭がまわらず言われた通りにしただけなのかわからないが、親の言うことを聞く子どものような素直さに、慈愛の心が芽生えた。
この人によくなってほしい。
ともすれば恐怖が乗り出してきそうだったが、怖さで揺れていた心が一時でも定まった。
ルークさまの手を握り直し、意識を集中させる。
その時―――。
「ダメだと言っただろう。僕は、君の命を踏み台にしたくない」
聞こえた声に目をあければ、ルークさまの凪いだ眼差しとぶつかった。
「………」
私を見るルークさまの目には、意志が宿っていた。
だれかの命を削って助かるのが嫌だと―――そういうことはできないという思いが伝わってくる。
国王陛下に聖力を使えと言われた時、道具のように思われていると感じた。
自分の立場を思えば、それも仕方ないのかもしれないと思ったが、ルークさまは私を「人」として扱ってくれている。
それは当たり前のようで、序列の色濃いこの世界では難しい。
だからこそ嬉しくて、胸にともった熱がじわじわ広がっていく。
「……わかりました」
そんなふうに思ってくれた、この人の気持ちを大事にしたい。
ルークさまの手を握っていた力をゆるめ、祈りの姿勢をといた。
これで聖力を使わないと、ルークさまにもわかっただろう。
けれどこのまま放っておきたくもない。
それなら、ほかにできることは……。
ルークさまの手を取り、彼の手首に指を当て、脈をはかった。
私の行動に疑問は持っているようだが、ルークさまは特に問いかけてはこない。
(……どうやら脈は正常の範囲内みたい)
ほっとして手を離し、ここへ来てから気になっていたことを尋ねた。
「息苦しさはよくあるのですか?」
「あぁ。時々苦しくなる」
「いつ頃からでしょうか? どういった時にひどくなりますか?」
「いつからかは覚えていないな。夜は苦しくなることが多い気がする」
「薬はなにか飲まれているのですか?」
「食事と一緒にとっているものはあるよ」
なるほど、ここに薬がないのはそういう理由か。
見た目からは呼吸器系の疾患を疑っているが、その見立てが正しいかも、なんの病気かもわからない。
「失礼します」
一声かけてルークさまの掛布をめくれば、さすがにそうされると思わなかったらしく、彼は驚いた様子を見せた。
咎められなかったのをいいことに、腕や足、首筋など体の状態を見ていく。
強いむくみはないようだ。
呼吸器系の疾患で、考えられる病気はいくつかある。
それらを頭に浮かべていきながら、病院でどう対処していたか思い起こした。
ぜんそくなら器官を広げる薬を飲んでもらいたいところだが、ここにはない。
それなら……と、ルークさまの枕元にあったクッションをいくつか手に取り、背中に手を入れて体を起こした。
「失礼します。もしかして、体をすこし起こしていたほうが楽かもしれません」
座ったほうが心臓に戻る血液の量が減り、肺を圧迫する力も減るため、呼吸が楽になることがある。
ルークさまの背中にクッションを挟んだ後、台の上にあったタライと手ぬぐいを使って額の汗を拭いた。
再びルークさまの手を取ると、彼の体が強張る。
聖力を使おうとしているのではないか、と思われたようだが、そのつもりはなかった。
「聖力は使いません」
ゆっくりルークさまの手をさすり始めると、彼は虚をつかれたように目をみはった。
聖力は使わない。
その上で、できるだけ苦しさから意識を逸らせることをしたかった。
私が具合を悪くした時、母親がこうしてくれると落ち着いたし、その経験から入院している子どもにもしていた。
病気の時は心細いし、だれかが近くにいてくれるだけで、安心する部分があると思っている。
だから、「よくなりますように」と願いながら手をさすった。
私の行動に思うことはあるのは感じるが、ルークさまはなにも言ってこない。
嫌だとか、やめてとか言われなかったことにほっとしつつ、このまま眠ってくれればいいと思った。
それからどちらも話さず、時間が流れた。
気を許してもらっているとまでは思わないものの、出て行ってほしいと思っているようにも感じない。
ひとりで宮殿に入り、心細かった私には、一時でもここが自分の居場所のように思えた。
しばらく手をさすることに専念していると、小さな声が聞こえる。
「あなたの名前は?」
一瞬なんのことかと思ったが、まだ名乗りもしていなかったことを思い出した。
「失礼いたしました。オリビアと申します」
「……いつから宮殿に?」
「今日です。すこし前に到着しまして、陛下に挨拶したのち、ここへ参りました」
「そうか……」
ルークさまはそれ以上尋ねず、体を休めてほしいと思う私も、特に話しかけたりしなかった。
しばらく経ち、ルークさまの顔を見やる。
眠れたのだろうかと期待したが、ルークさまはこちらを見ていたようで目が合った。
(そんな簡単に眠れないか……)
目を合わせ、“大丈夫ですよ”という思いで微笑みかけた時、「にゃあ」という小さな声が聞こえた。
(えっ)
驚いて声のするほうを見れば、後ろの床にこげ茶色の猫が座っている。
(どこから入ってきたんだろう)
ここへ来た時はいなかったのに、と目を瞬かせていると、「おいで」と穏やかな声が聞こえた。
声のしたほう―――ルークさまに目を戻すと、穏やかに頬を緩め、猫へ右手を伸ばしていた。