決意してからは早かった。
リアムは化け物討伐のために着々と準備を進めた。
必要なものを揃えて、道具一式を一箇所に隠しておいた。誰かに見つかるだろうかとヒヤヒヤしたが、幸い何とかなった。
日々、化け物退治のことを考え続けた。
アルゴやリンはよく気遣ってくれたが、リアムはうわの空だぅた。
仕事や家事に呼ばれても、いま一つ集中できず叱られることが増えていった。だが、これも村のためなのである。
もうすぐ、本当の平和を掴み取ることができるのだ。
リアムはそう信じて、ただ時機を待った。
リンは動揺していた。
リアムに何度声をかけても、何度励ましても、あの日からずっとぼうっとしている。声が届いているのかいないのか分からない日々が続く。
リンはアルゴの変化にも気付いた。アルゴは妙によそよそしくなり、二人から距離を取るようになった。
また、仕事も手付かずになったリアムに対して、アルゴは人が変わったように真面目に働くようになった。
その反面表情は暗く、背中は曲がり気味になっている。
いつも一緒だった三人の間に、いつの間にか深い亀裂が走っている。
時折、とても淋しく思われて泣き出してしまうこともあった。だが、リンはまたいつもの三人へ戻るために努力を欠かさなかった。
毎日二人に声をかけては、また思い出話に花を咲かせようと誘いをかける。
何度断られても、毎日続けた。
そんなある日、その努力が実った出来事があった。少なくとも、リンにはそう感じられた。
リアムが家畜として犬を渡してくれたのだ。
準備が整った。
リアムは決行の前日、かねてから用意していた子犬をリンへ譲った。
名前は「リアム」である。自分の名前を付けたことで、アルゴからは随分と揶揄われたものだった。
あれ以来、アルゴとは疎遠になった。別に避けていたつもりはないし、むしろアルゴには話してくれたことに感謝していた。
しかし、計画のための準備で頭がいっぱいになり、二人との時間を素直に楽しめなかった。
いつかそれが原因で不仲になり、せっかく化け物を倒したのに嫌われてしまってはいけないと思い、あえてアルゴの気持ちに委ねることにしたのだ。
リンには悪かったが、仕事の合間に抜け出しては色々と用意する時間のために誘いを断り続けた。
だからずっと秘密にしていた子犬をあげた。生後2ヶ月といったところか。
子犬の「リアム」は元気いっぱいで、何度も家を抜け出しそうになったのでリンを驚かしてやるための秘密を守るのにも必死だった。
目論見は成功し、リンはとても喜んで「リアム」を受け取った。
大切にしてくれることを約束し、リアムはリンに別れを告げた。
そして、家に帰るなり父さんの目を盗んで抜け出した。
太陽が沈まんとする夕暮れを前にして、リアムは村の外れへと走りだした。
村の外れにある草原まで来ると、雷が落ちた大木の下まで一直線に歩みを進める。
真っ二つに割れた幹のなかから弓、矢、ナイフ、薪、縄を取り出す。
盗んだものから手製のものまで多数ある。それらを収め、リアムは周囲を見渡した。
ここはアルゴとよく仕事をサボって休憩した場所だ。リンはいつもリアムたちを呼びにきては叱った。
村まで戻るといつも口うるさく怒鳴るニオブおじさんにも叱られて、アルゴとともによく逃げ回ったものだ。
リアムは次に彼の山を睨む。
思えば、いつも来ていたこの村の外れの草原地帯のすぐそばにあった。
知らない間に父さんもこの辺りを訪れて、山に入り、そこで仲間とともに化け物を見た。そして仲間を殺された。
リアムは思う。もうこれ以上犠牲者を出してはならない。人類の平和のためには、知らないふりをするのではなく原因であるものを打ち倒さねばならない。
そして、山から奇跡的に帰還した父さんの狙いは間違いなくリアムのような青年を山へ立ち入らせないこと。
さらに、リアムはもう一つのことにも気付いていた。 これがリアムの本当の動機といっても差し支えない。
リアム自身が計画を立てるなかで気付いたのだ。父さんも同じことをしようとしているのだと。
あの日以来、笑顔や口数が減り、どこかうわの空だった父さんは入念な準備を進めている。親子だからこその直感が働いた。
だからこそ計画と準備を急ぎ、化け物退治で頭がいっぱいだった。早く倒さないと父さんが危険を冒してしまうのだ。
いま一度、リアムは山を見据えて歩き出した。
魔境への登頂だった。
山は黒々と聳え立ち、この世ならざる巨大な生物が横たわっているようだった。
野生動物どころか虫一匹の声もせず、しんと静まり返っている。それが余計に禍々しさを増していた。
リアムはそれを見上げて、今まさに巨大生物の中に自ら入り込もうとしていることを意識した。虎穴に入らずんば虎子を得ずである。 ここで尻込みするわけにはいかなかった。
何度か目の前まで来て、山の中へ入れそうなルートを探していた。外縁を辿って少し回り込む。
僅かに草木がかき分けられて、道が踏みならされた箇所がある。前回の父さんたち一行の跡なのか気配のない野生動物が降りてきた跡なのか定かでない。
冷たい空気が山の方から流れ出てくる。獲物を捕らえんとする捕食者の吐息のようだ。
意を決してリアムは登り始めた。
道は険しく樹々がひしめき合っていて視界が悪かった。
そのうえ、もうすっかり辺りは暗くなっており真っ暗だ。
人が登るには難しい悪路ばかりで、何度も足を踏み外しそうになった。 傾斜は急で、一歩間違えば奈落の底だ。
黒く染まって底が見えない山の胃袋を見ながら、リアムはにやりと笑った。
抱えていた薪を置いて、近くの枝と葉を取り火を起こす。そこへ薪の先に付けてやり、ちょっとした松明代わりにする。
足元と視界の先がぼうっと浮き出され、辛うじて先へ進めそうだった。
進む最中にも木にナイフで切りつけて跡を残す。念の為、比較的目立つ石を一定の間隔を置いて直線状に並べていく。目印をつけておかないと、化け物退治以前に迷って戻れなくなってしまう。
既に方向感覚も失いかけている。山へ登るのは、父さんの仕事についていったことも何度かあるものの慣れていない。
「まだ早い」の一点張りで同行を渋られるのだ。それは、子を思う親の気持ちの表れだ。だが一番の理由はまさしくこの山に入ることを避けさせたかったからに違いない。
歯を食いしばってリアムは登り続けた。呼吸が浅くなり、足腰が鈍い痛みを訴え始めた。時折、頭がふらふらして崖へ真っ逆様に落ちそうになる。
一旦休憩を入れようとした、その瞬間。
「誰だ」
リアムは強い調子で声を出した。視界の端に動くものを捉えたのだ。
その影はさっと木の裏側に身を隠し、出てこようとはしなかった。
「人間か?」
反応はない。
リアムは槍を構えた。そして、ゆっくりと音の発信源へ近付いていく。
耳を済ませるが、自身が持っている松明の炎が揺らめく以外に音はない。
生唾を飲み、槍を握った手に力が込められる。姿勢を低くして、いつでも応戦できる体勢をとった。
もうあと数歩で木の裏に回り込める。覚悟を決めて、リアムは一気に踏み出すことにした。
直後、木の裏側から声がした。
リアムは唖然とした。そして、次々と疑問が湧いてきた。
なぜこんなところに。なぜこんな時間に。なぜこんな声がする。
それは化け物のような声ではなかった。
「助けてください」
若い女の声だった。
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