テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
恵
344
#連載小説
観察者
161
星キラリ

1,755
白いタキシードの美少女は、夜の奥多摩へ向かった。
山気は冷たく、木々の隙間から見える空は星が多かった。マントを翻し、人の目に触れない高度を保ちながら飛ぶ。主の命令は簡潔だった。「探ってきて」。それ以上の指示はない。施設の正確な座標も、警備の詳細も、自分で掴むしかない。かつて美少女を「盗む」仕事をしていた頃と同じだ。違うのは、相手が個人ではなく、国家の影を帯びた施設だということだけだった。
山奥の谷間に、不自然な平坦地があった。
周囲は古いフェンスと、新しい監視カメラ。表向きは「環境測定所」や「災害対策拠点」を装っているらしいが、熱源の反応が多すぎる。地下へ続く構造物の気配。能力者特有の、微かな歪みが空気に混じっている。白タキシードは木陰に降り、モノクルを調整した。視覚を拡張し、壁の向こうの熱と電磁を拾う。人間の形が、地下に何十と並んでいる。動けない者、座らされている者、ベッドに固定されている者。能力を抑制する拘束具のパターンが、規則正しく繰り返されていた。
(生体実験の噂は、どうやら本当らしい)
接近する。警備のサイクルを読み、死角を縫う。フェンスを越える瞬間、警報は鳴らなかった。内側の廊下は白い。消毒の匂い。無窓の部屋が続き、ガラス越しに、力を封じられた美少女たちが視線だけを動かしているのが見えた。中には、学院で見たことのある顔に似た者もいる。雪乃が飾った子たちとは別の、もっと長く閉じ込められている者たちだ。記録端末を盗み見ると、「適合性試験」「能力抽出」「再生不可サンプル」といった文言が並んでいた。
白タキシードは、口の中で舌打ちした。
主は「探る」と言っただけだ。解放せよ、とも、破壊せよ、とも言っていない。それでも、この光景を持ち帰ることは、次の行動の火種になる。青髪の爆破好きが聞けば、即座に「解放テロ」を主張するだろう。銀髪の教授は慎重論をぶつけるだろう。主は、どちらにも与せず、自分のコレクションと「家族」の論理だけで動く。白タキシードは必要な画像と座標を記録し、来た道を戻った。山を越える風が、マントを鳴らす。
——同じ頃、塔の最上階。
藤代雪乃は、相変わらず立ったまま時間を数えていた。みおんが朝の世話を終え、部屋の隅で小さく丸くなっている。謎の美少女は窓辺に座り、外の夜景を見ていた。青髪も銀髪も、もういない。先ほどの会話の余韻だけが、空気に残っている。
奥多摩。能力者の施設。生体実験。
雪乃は心の中で、その単語を繰り返した。自分は欲望で薔薇を使い、罰としてここにいる。だが外では、能力を持った者たちが、国家の名の下に集められ、試されているらしい。どちらが正しいとも、言えない。ただ、動けない自分の胸の奥で、小さなざわめきが起きていた。逃げたい。戻りたい。それと同時に——あの施設にいる誰かを、薔薇で「飾る」以外の形で、助けたいのかもしれない、という得体の知れない感情。
窓が開いた。
白タキシードが、音もなく戻ってくる。主の前に膝をつき、短く報告した。施設は実在する。能力者は拘束され、実験に供されている。座標と警備の概要。主はうなずき、薄い金髪を指に巻いた。
「そう。じゃあ、次はあちらを片付けるわね」
誰に向けた言葉か、雪乃には分からない。コレクションの一体として、ただ聞いているしかない。みおんが不安そうに耳を動かし、白タキシードは「仰せのままに」とだけ答えた。塔の夜は、静かで、しかし確実に、次の歯車が回り始めていた。
雪乃は、視線だけを窓の外の闇へ向けた。
奥多摩の山が、遠すぎて見えない。それでも、何かが起きようとしている予感だけは、固定された神経の端で、確かに脈打っていた。
続く。
コメント
3件
お読みいただきありがとうございます、寺島あおいです🌷 今回のエピソード、すごく良かったです…!白タキシードが潜入する奥多摩の施設、その冷たい空気と無機質な廊下の描写が克明で、まるで自分も隣で息を♡♡♡ているような感覚になりました。実験されている能力者たちの存在が、雪乃の「飾る」という行為と静かに重なるのが胸に刺さります。主の「じゃあ、次はあちらを片付けるわね」という台詞、不穏でありながらも惹きつけられました。次が気になりすぎます…!