私
達は双子でありながら、片割れとは正反対の運命を持つことになるのだ! 私は自分のことを不幸だと考えたことは一度もない。むしろ幸福なのだと思っている。だからといって幸せだというわけでもないのだが。
私が思うに、人生というのは幸福と不幸のバランスが取れるようにできているらしい。どちらか一方だけということはありえない。もしそうなら、世の中は不幸な人間ばかりになってしまうはずだからだ。
私は今現在、幸なのか不幸なのかわからないような状況にある。しかしそんな状態こそが人生の醍醐味というものだろう。それにこれからの未来には希望もあるし楽しみもある。だから、いまはまだ不幸とは言えないと思う。もし不幸だと思う時が来るとすればそれは私が絶望して生きる気力をなくしたときであろう。つまりまだ私に死期が迫ってないということだ。逆に言えば、私の人生はまだ始まったばかりだということでもある。
私はこれまでいろいろなことがあったが、それらをすべて良い経験だと考えてきた。そして、これからも良いこともあれば悪いこともあるかもしれないが、きっと最後には幸せになれるはずだと思っている。
私は今まで生きてきて、たくさんの人と出会ってきた。その中には本当に大切な人もいれば、どうでもいい人もいた。もちろん、どんな人でも同じ人間であることに変わりはないのだが、やはり同じ時間をともに過ごした人が特別な存在になることが多い気がする。例えば、小学校時代の同級生だったAさんとは中学校になってもよく連絡を取り合っていたが、高校を卒業してからはほとんど会うこともなくなってしまった。一方、高校時代に付き合ったB君は大学生になってからもずっと仲が良く、社会人になってからも何度か一緒に旅行に行ったりした。また、大学時代にサークルで出会ったC子ちゃんとも仲良くなり、社会人になって数年経った今も時々会ったりしている。このように考えてみると、人生において学生時代が一番出会いが多い時期かもしれないと思う。しかし、それはあくまでも一過性のものでしかなく、時間が経てば過去の思い出になってしまうものでもある。だからといって、学生の頃に出会いがなかったわけではないし、むしろ良い出会いに恵まれていたのではないかと思っている。大学の同級生にも素敵な人はたくさんいた。みんなそれぞれ個性的で、とても魅力的な人たちばかりだった。そんな彼らとの出会いがあったおかげで今の自分がいて、今の生活があるのだ。もし、あの時出会わなかったら自分はどうなっていただろうかと考えれば考えるほど怖くなることがある。でも、それは決して悪いことではなく、むしろ素晴らしいことだ。なぜなら、人は一人だけでは生きていけないからだ。たとえ、一人で生きているように見える人であっても、どこかで誰かに支えられていて成り立っているものだ。自分の場合は特にそうだと言えるだろう。親や兄弟はもちろんのことながら、大学時代の友人達には本当に感謝している。
ところで、なぜこんなことを思ったかというと、最近よく昔の夢を見るからである。子供の頃の夢もあれば、大学生の頃のものまで様々である。その中にはもちろん異性が出てきたものもあるのだが、あまり覚えていないことが多い。しかし、中にははっきりと記憶に残っているものがある。その中でも一番印象深いものは、高校時代に出会った一人の女性である。彼女は当時同じクラスにいた同級生だった。その頃はまだそれほど親しくはなかったが、何度か話したことはある程度であった。
高校三年生になりたての頃、彼女のことが気になっていた時期があった。いわゆる一目惚れというものに近い状態だったと思う。しかし、当時は恋をしたことがなかったせいなのか、なかなか話しかけられずにいた。そんなある日のことである。たまたま彼女と二人きりになる機会が訪れたことがあった。その時のことを今も鮮明に覚えている。というのも、何か話をしなければと思っていたものの何も思い浮かばずに困っていたところへ彼女が声をかけてくれたのである。それから少しだけ二人で話すことになった。
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