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「ルナリア! ルナリア、ここにいるのだろう! 頼む、戻ってきてくれ!」
謁見の間にみっともない悲鳴を響かせながら転がり込んできたのは、エルフレア王国の王太子、カイルだった。
かつてのきらびやかな面影はどこにもない。魔獣の襲撃と帝国軍の進軍に追い詰められたカイルの衣装は泥でボロボロに汚れ、顔は恐怖と寝不足で土気色に引き攣っている。
そんなカイルは、アレン様の隣で輝くように美しい群青のドレスをまとい、凛として座っている私を見た瞬間、物乞いのように這いつくばって両手を伸ばした。
「ルナリア、お前がいなくなってから国が滅びそうなんだ! 新聖女のリーザはただの無能な嘘つきだった! だからお前が戻って早く祈れ! これまでのことは水に流して、また元の地下室に戻してやるから!」
どこまでも自分勝手で、反省の色すらない信じられない「上から目線」の懇願。
以前の私なら、彼の姿を見ただけで恐怖に息が詰まっていたかもしれない。けれど、私はアレン様の隣に座ったまま、眉ひとつ動かさずにカイルを冷ややかにつめたい瞳で見下ろした。そして、静かに首を横に振る。
「お断りいたします、カイル様」
「な、何だと……っ!?」
「私の魔法は、手柄を横取りしていただけの『地味で目に見えない無能の力』なのでしょう? リーザ様という新しい本物の聖女様がいるのですから、どうぞお二人で、仲良く魔獣と戦ってくださいませ」
微笑みすら浮かべた私の完璧な正論に、カイルは言葉を詰まらせて顔を真っ赤にした。
「お、おのれ無能のくせに調子に乗りおって! たかが隣国に拾われただけの奴隷が!」
逆上したカイルが私を掴もうと立ち上がろうとした、その瞬間だった。
「――我が婚約者の前に、その汚らわしい身体をさらすな」
アレン様の一睨み――部屋全体がミシミシと軋むほどの凄まじい覇気がカイルを襲った。
カイルは悲鳴を上げる間もなく、目に見えない巨大な力で大理石の床へと激しく叩きつけられ、そのまま這いつくばった。
アレン様はカイルの頭を踏みつけるかのような冷酷な視線で見下ろし、凍りつくような声で非情な現実を宣告する。
「貴様らエルフレア王国が、我が国の至宝を虐げ、食事すら抜いて傷つけた罪。……王国の『無条件降伏』と『領土の完全割譲』をもって購ってもらう。カイル、貴様の国は今日、この瞬間をもって滅亡だ」
「う、嘘だ……俺は一国の王太子だぞ……そんなわけがあるかぁぁ!」
カイルは涙と鼻水を流し、完全に鼻をへし折られて絶望の悲鳴を上げた。
かつて私を無能と蔑んだ男は、ただの惨めな敗北者として、帝国の騎士たちに引きずられて地下牢へと消えていったのだった。
カイルがみっともない悲鳴を上げながら引きずられていき、謁見の間に再び静寂が戻った。
「ルナリア、もう大丈夫だ。あの男は二度とあなたの前に現れない」
アレン様がいつもの優しい声で私の肩を抱き寄せようとした、その時だった。
「……っ……」
私の身体が、小さく強張って震えていた。
カイル様の鼻をへし折り、完璧な拒絶を突きつけることはできた。でも、彼が最後に叫んだ「お前は国を裏切るのか」という言葉が、私の胸の奥に眠っていた暗い記憶の箱を、無理やりこじ開けてしまったのだ。
頭の中に、カイル様だけでなく、エルフレア王国の『国民たち』の姿がよみがえる。
『無能のくせに聖女の地位にしがみつくな!』
『お前がいるから、この国はいつまでも貧しいんだ!』
カイル様の嘘の言葉を信じ込み、私に向かって罵声を浴びせ、容赦なく石を投げつけてきた群衆の歪んだ顔。ボロボロの私を見て、誰も手を差し伸べてはくれなかった。
彼らはカイル様に騙されていただけだ。本当の結界の仕組みを知らなかっただけだ。頭では分かっている。分かっているけれど――。
(私の心についた傷は、カイル様を倒したからといって、一瞬で消えてくれるわけじゃない……)
ボロボロになるまで傷つけられた数年間。エルフレア王国という国そのものに拒絶された恐怖。それを完全に忘れて笑顔になるには、私の心はまだ、あまりにも脆く、時間が足りなさすぎた。
「ごめんなさい、アレン様……。私は、もう、あの国には戻りたくないのに……どうして、涙が止まらないの……」
俯く私の目から、ぽろぽろと大粒の涙が床にこぼれ落ちる。
せっかくアレン様が綺麗にしてくれた群青のドレスを、私の涙が汚していく。せっかく自信を持てたはずなのに、情けない姿を見せて嫌われてしまうかもしれない。
そう思ってさらに身を縮めた私を、アレン様は何も言わず、大きな腕で優しく、強く、抱きしめた。
「アレン、様……?」
「謝らなくていい、ルナリア。あなたがどれほど酷い裏切りに遭い、国中に傷つけられてきたか……その傷の深さは、俺が一番よく知っている」
アレン様は私のプラチナブロンドの髪を、そっと大きな手で撫で続けた。彼の胸元にある銀のブローチが、私の涙を吸い取っていく。
「カイルを罰したからといって、すぐに笑えなくていい。国中の人間に裏切られた恐怖が、そんなに簡単に消えるはずがないだろう。……ゆっくりでいいんだ、ルナリア。何年かかってもいい。あなたの傷が癒えるその日まで、俺がずっと隣にいる」
「アレン様……」
「あなたを傷つけた国は、俺が跡形もなく踏み潰してやった。これからは、この温かいガルディニア帝国がそなたの家だ。俺が、あなたの『夜』が、これからのそなたの人生を、溢れるほどの愛だけで満たしてやる。だから……今はただ、俺の胸で泣きなさい」
アレン様のどこまでも深く、過保護なほどの温もりが、私の張り詰めていた心を優しく解きほぐしていく。
私はアレン様の漆黒の礼服に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
エルフレア王国では決して許されなかった「弱音を吐く」ということ。それを、この世界で一番強い王様が、すべて受け止めてくれた。
アレン様の腕の中で涙を流しながら、私は心の底から救われていくのを感じていた。私の傷を癒すのには、まだ少し時間がかかりそうだけれど――この温かい夜の隣でなら、きっといつか、本当の、傷一つない満月の笑顔を咲かせられる。
そう信じられるだけの温もりが、今の私にはあった。
コメント
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うわあ、カイルが鼻をへし折られて引きずられていくシーン、爽快すぎて声出たわ……! でもその後のルナリアの涙がすごくリアルで、復讐が終わっても傷がすぐ消えるわけじゃないって描写にグッときた。アレン様の「ゆっくりでいい」って台詞、優しすぎるでしょ……この2人の関係性、毎回尊い。次話も楽しみにしてる🔥