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リフェアリー
128
十二月。一ノ瀬が、死んだ。
朝、会長が、二階に上がったとき、一ノ瀬は、布団の中で、目を閉じていた。息は、していなかった。顔は、穏やかだった。
七十四歳。公証人を、四十五年。大剥離の後、二年と三ヶ月。公正証書、百四十三通。
過去形の文章には、ならなかった。一ノ瀬の公正証書は、商店街の銀行の棚に、今もある。三人の公証人が、後を継いでいる。一ノ瀬の印は、燃えた。でも、一ノ瀬の割符は、要の懐にある。
*
商店街の裏の、寺。一ノ瀬の遺言どおりに。墓は、作らなかった。
商店街の十四軒。三つの御殿の、三人の長。八王子の関守と、その妻。相模湖の飛脚。鷺沼。瑠衣。つむぎ。要。
権田も、来た。担架で。
権田は、右目で、灰を見ていた。何も言わなかった。しばらくして、右手を、少しだけ、持ち上げた。敬礼だった。
要は、懐から、割符を出した。
二年前、一ノ瀬の事務所で、一ノ瀬が割った、木の片。片方は、一ノ瀬が持っていた。もう片方は、要が持っていた。
会長が、一ノ瀬の机の引き出しから、もう片方を、持ってきていた。
要は、二つを、合わせた。
割れ目が、ぴたりと、合った。
「……合った」要は、小さく言った。
一ノ瀬が、二年前に、何のために割ったのか。一ノ瀬は、言わなかった。ただ、「持っていけ」とだけ言った。
今、わかった。
これは、約束だった。「また会おう」という。会った。合った。約束は、果たされた。
要は、二つの割符を、灰の横に、置いた。
*
夜、要は、一ノ瀬の事務所に、一人でいた。
棚に、公正証書が、並んでいた。昭和。平成。令和。大剥離後。
要は、一ノ瀬の机に、座った。二年前、一ノ瀬が座っていた椅子。
机の上に、ノートを開いた。二年前、商店街で使い始めた、大学ノート。三冊のうちの、一冊。二年で、紙が、茶色くなっていた。
最後のページに、要は、書いた。
*
『仕組みと人について。
大剥離の前、僕は、仕組みを信じていた。銀行の勘定系。画面の数字。仕組みが正しければ、人は、要らないと思っていた。
大剥離の後、僕は、仕組みを作った。三冊。割符。証。組合。十二条。侵入前提。仕組みが正しければ、壊れないと思っていた。
違った。
仕組みは、人の目の後ろにしかない。先には、ない。つむぎが、そう教えてくれた。
仕組みは、穴を全部、使われる。瑠衣が、そう教えてくれた。
仕組みは、棒で、使われる。権田さんが、そう教えてくれた。
仕組みは、複製される。鷺沼さんが、そう教えてくれた。
仕組みは、作った者の名前を消して、初めて、仕組みになる。大畑さんが、そう教えてくれた。
仕組みは、川を、塞げない。ばあさまが、そう教えてくれた。
仕組みは、仕事を、金にする。会長が、そう教えてくれた。
仕組みは、一人の公証人より、三人の目。一ノ瀬さんが、そう教えてくれた。
仕組みは、人が作る。人が壊す。人が直す。人が覚える。
人は、死ぬ。死ぬから、仕組みが要る。
仕組みは、死なない。でも、人がいなければ、仕組みは、紙だ。
だから、仕組みを作る。人が死んだ後も、次の人が、使えるように。そして、次の人を、育てる。仕組みが、紙にならないように。
仕組みと人は、どちらかだけでは、回らない。
土師要』
*
書き終えて、要は、ペンを置いた。
戸口に、瑠衣が立っていた。
「……書いたのか」
「書いた」
瑠衣は、部屋に入ってきた。ノートを、読んだ。長く、読んだ。
「……おれのことも、書いてある」
「書いてある」
「穴を、全部、使われる。それ、おれが、権田に渡したやつだ」
「そうだ。お前が、教えてくれた」
瑠衣は、何も言わなかった。しばらくして、言った。
「要さん。おれ、東京に、残る」
要は、瑠衣を見た。
「商店街の銀行で、画面を、見る。赤い窓を。ゼロが、また入ってきたら、戻す。毎日、夕方に。それと、公証人の一人だ。一ノ瀬のじいさんに、託された」
「……そうか」
「あんたは、木曽に帰るんだろ」
要は、窓の外を見た。暗い東京。でも、二年前より、灯りが増えていた。商店街の発電機。御殿の倉庫の灯り。鷺沼のビルの三階。
「帰る。ひかりが、待ってる」
「つむぎも」
「つむぎも。一緒に」
瑠衣は、少し、笑った。
「……二年前、おれは、画面の中にいた。あんたに、紙の帳面を、三度、自分で書けと言われた」
「言った」
「書いたよ。三度じゃなくて、何百回も」
「知ってる」
瑠衣は、部屋を出ていった。階段を下りる足音が、聞こえた。
要は、ノートを、閉じた。そして、一ノ瀬の棚に、置いた。公正証書の、隣に。
三冊のうちの、一冊。残りの二冊は、八王子と、木曽にある。
コメント
1件
うわぁ…第79話、読み終わってしばらく動けなかった😢💦 一ノ瀬さんの死、静かで穏やかだったのに胸がギュッてなったよ…。でも割符がぴったり合ったシーン、あれは本当にエモすぎる。「また会おう」っていう約束だったんだね。要との絆が感じられたよかった。 仕組みと人についてのノートに、一ノ瀬たちが教えてくれた教えを書き綴る要。みんなから学んできたものが全部詰まっていて読んでて泣きそうになった…。 「仕組みは人が作る。人が壊す。人が直す」って言葉がずっと心に残ってる。瑠衣が東京に残るって言った時、要との信頼関係がもう完成してるんだなって。本当に素敵な話をありがとうございます🌸