テラーノベル
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あの日から、充分時間を置いた。
私がいないから、小瑪はもう来ない。
躍る魚たち、闇を灯す珊瑚…海の底だって美しいけれど、私はあそこが好き。
手を伸ばせば届きそうな空の下、大好きな唄を歌っていたい。
でも、私の歌声は命を殺す…
殺したくないのに、死は否応無しに迫る。
逃げられない…小瑪の言う、運命…
私は、簡単に割り切れない…
人間が死ぬ…私のせいで…
私は禍…禍でありながら小瑪を愛した。
禍、だけれども…私は願う。
勝手だとは、判っている。でも…それでも願う。
…生きて。
どうか、生きて…小瑪…
エミールは視界を開いた。
海が、ずっと先まで続いている。
「…苦しい…」
太陽の光が届かない、海の底は孤独なエミールを圧迫した。
「…空を、見たい…」
あの空の下で、心を鎮めたい。
銀しろがねの尾鰭おひれを翻し、海底を進んだ。
しばらくすると、眼前に七本の柱が見えてきた。“人魚の椅子”である。
その中の、ソファ形の“椅子”の袂たもとに添うた。
「…大丈夫。小瑪はもういない…」
自分に言い聞かせ、地上へ向かう。
そうっと頭を出すと、爽快な風が頬を撫ぜた。
“椅子”にしがみつき、空を仰ぐ。雲が威風堂々と構えていた。
地上の色合いに、エミールは心躍らせ、久しぶりの晴れやかな笑顔をつくる。
「エミール」
凛とした、けれど、どこか疲労の見える声に、ギクリと瞠目し、身を強張らせた。
聞きたくなかった──聞きたかった、声。
ひとつ身震い、首を巡らす。
「──さ、さめ…」
小瑪はいつも通り“集いの席”にいた。
「やっと、会えた」
黒のズボンに、白い襟シャツ姿の小瑪。
「とりあえず、そこに掛けてくれる?」
微笑んでいるのに、その微笑みが怖い。
いま逃げ出しても、容易に追いつかれそうな気がした。
エミールはビクビクしながら従い、“椅子”に這い上がる。ちょんと座り、小瑪と向き合った。顔が上げられない。
「…昨日、雨が降っていたのは知っている?」
訊かれ、思い返してみると…なるほど、確かに海は荒れていた。地上は雨だったのだ。
頷き、曖昧に首を傾ぐ。
「土砂降りだった。その雨の中、お前がいないか、見に来た。
お前が隠れてから、一日も欠かさず様子を見に来ていた。雨でも……そのせいで、今日は少し熱がある。頭がボーッとしているよ」
小瑪は自分の行為を嘲るように、唇の片端を上げた。
一方、エミールは恐縮してしまって、肩が上がっている。
「…人魚って、どうやって性交するんだ?」
何の脈絡もなく、唐突に降ってきた言葉セリフを、エミールが理解するには多少時間を要した。
「──…え?」
ポカンと口を開けたエミールは、真面目な表情の小瑪を目にして、カァッと赤面する。
「し、知りません!!」
「知らない? 親に訊いてみたりしない?」
「訊きません!!」
上気した頬を両手で包み、恥ずかしくて身体を縮めた。
「…もしかして、小瑪は訊いたんですか?」
「いや…俺の親は、もうずっと前に死んでるから…」
小瑪は腕組みし、瞳を虚ろにする。
「そう、ですか…」
いたたまれなくなるエミール。
「なら、人間と人魚はできると思う?」
「…まだ、それを訊くんですか? どうして、そ、そんな事を訊くんですか?!」
「いや、気になったから…」
「気になっても、訊かないで下さいっ!! 答えられる訳がないでしょう! 貴男には羞恥心がないんですか? そんな…そんな事、よく口にできますね…」
小瑪はクスッと微笑った。
「…できると思う?」
「ですからっ──」
バッと顔を上げて見たモノは、小瑪が前のめりに倒れる瞬間。
目を丸くしたエミールは、金縛りにあったように動けなかった。
──ドボンッ…
小瑪は海に落ち、浮き上がってくる気配がない。
…小瑪は、体調が優れないのだった…
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