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ある日の午後、ヨーランがやって来たかと思えば、唐突に意外なことを言い出した。
「なあルツィエ、お前は乗馬ができると言っていたな。今度馬に乗って遠出しないか?」
「馬に乗って、ですか?」
「ああ、風を切って走るのは気持ちいいだろう。気分転換にいいんじゃないかと思ってな」
乗馬が気分転換にいいことには同意するが、どうにも彼らしくない提案だ。ヨーランならルツィエが怪我するのを嫌がって、こんなことは言わなそうなのに。
「たしかに、いつか乗馬ができたらいいなとは思っていましたが……」
「そうだろう? なら決まりだ。次の週末に予定しておけ」
「……はい、分かりました」
ヨーランはいつになく上機嫌な様子で、今度は自ら離宮に持ち込んだドレスのデザイン帳を開き出した。
「皇家の専属デザイナーにお前のウエディングドレスをデザインさせた。どうだ、どれも洗練されているだろう?」
「え……ウエディングドレス……?」
初めて聞いた話題にルツィエが目を見開いて固まる。
喪が明けるまで結婚はないと安心していたが、ヨーランは準備を進めないとは言っていなかった。おそらく、今から準備を進めて、喪が明けてすぐに挙式するつもりなのだろう。
(大丈夫、結婚まではする必要ない……ただ、準備に付き合えばいいだけ)
そう頭では分かっているが、自分の気持ちを自覚した今、ヨーランの婚約者として振る舞うことも辛くなっていた。
満足そうにデザイン帳のページをめくるヨーランを虚ろな目で眺めていると、彼の手がルツィエの髪を掬い取った。
「この薄桃色の髪は、きっとウエディングドレスに映えるだろうな」
そうして我が物顔でキスを落とされたとき、ルツィエはその一房を鋏で切り落としたくなった。
◇◇◇
そして約束の週末。
ルツィエがヨーランの用意してくれた馬に乗ると、ヨーランのとは別の馬がもう一頭やって来た。
「遅れてすまない。ルツィエ王女、今日はよろしく頼む」
「えっ……アンドレアス殿下……?」
彼も来るとは聞いていなかったルツィエは、驚きに目を瞬かせる。その様子を見て、アンドレアスは自分が参加することをルツィエは知らされていなかったのだと悟った。
「ヨーラン、どういうことだ? ルツィエ王女に俺のことは伝えていなかったのか?」
「ああ悪い、うっかりしていたよ。ルツィエ、二人きりのデートだと思っていたのにすまなかったな。今日は三人でもいいか?」
「はい、それは構いませんが……」
ヨーランのわざとらしい対応に、アンドレアスが不快そうに眉を寄せる。ルツィエもまたヨーランの行動に疑問が一杯だった。
アンドレアスを敵視しているヨーランが、ルツィエとの外出に彼を誘う?
普通に考えてあり得ないのではないだろうか。
(今日まで私に隠していたのは、アンドレアス殿下への単なる嫌がらせみたいだったけど……。でもそんなことのために一緒に外出しようとなんてするかしら?)
何か引っかかるような気がするが、考えてみたところで分からない。それに、ヨーランと二人きりにならずに済んだのはありがたかった。
(せっかく乗馬ができるのだから、今日は楽しみましょう)
「よし、じゃあ出発するぞ」
ヨーランの一声で三人が馬を進ませる。
ルツィエを真ん中に挟む形で移動していると、アンドレアスがルツィエに話しかけてきた。
「ルツィエ王女は本当に乗馬が上手いんだな」
「ありがとうございます。この馬もとてもいい子で乗りやすいです」
ルツィエが馬を褒めると、ヨーランが得意げな顔をして馬を寄せてきた。
「僕が厩舎の管理人に頼んだんだ。気性が穏やかで女性でも乗りやすい馬を用意してくれとな。相性がいいならお前の馬にするか?」
「……そうだったのですね。ありがとうございます。1日一緒に過ごしてから考えてみます」
「ああ、遠慮はしなくていいぞ。欲しいものは全て与えてやる。お前はもうすぐ僕の妃になるのだから」
「……!」
唐突にそんなことを言われ、ルツィエはもう少しで手綱の操作を誤るところだった。
「そうだ兄上、披露宴の衣装は何色がいいだろうか。ルツィエにはロイヤルブルーも似合うと思うんだが」
「ヨーラン殿下……! それは今する話ではないと思います」
二人で話すのも嫌な話題だが、アンドレアスまで巻き込んで話されるのはもっと嫌だった。しかし、ヨーランは話題を変えてはくれない。
「どうしてだ? 家族の意見を聞くのは大事だろう」
「それはそうかもしれませんが……」
「なあ兄上、ルツィエの義理の兄として、どう思うか聞かせてくれよ」
ヨーランから挑発するように問われ、アンドレアスは一瞬だけ険しく眉を寄せたが、すぐに冷静な表情に戻り、穏やかな声で返事した。
「ルツィエ王女ならどんな色も似合うだろう。もちろんロイヤルブルーでも」
「それ以外には? もっとしっかり考えてくれよ。僕とルツィエのために」
「……そうだな。舞踏会の日にルツィエ王女が着ていたドレスは良かった。金糸の刺繍が映えて美しかった」
「当然だ。ルツィエには金色が似合うんだ」
ヨーランがその金色の瞳を傲慢に細めると、アンドレアスはわずかに口角を上げてみせた。
「金色がお前だけの色だとでも?」
空から降り注ぐ陽光に照らされて、アンドレアスの黄金の髪が眩く輝く。そのさまを見たヨーランは、不意を突かれたように目を見開き、それからさっと顔を紅潮させた。
「貴様……っ!」
今にも怒りを爆発させそうなヨーランに、ルツィエが焦って声をかける。
「ヨーラン殿下、久しぶりの乗馬で少し疲れました。一度休憩しませんか?」
とりあえず一旦頭を冷やさせなければ。そう思って休憩を提案すると、ヨーランは周囲を見回したあと、にやりと笑って頷いた。
「そうだな、ルツィエは少し休むといい。僕は兄上と早駆けの勝負をしてくる」
「えっ、勝負……?」
ルツィエが怪訝に思っているうちに、ヨーランがアンドレアスに向かって一対一の勝負を提案した。
「丁度あそこに背の高い岩がある。あの岩に先に到着したほうが勝ちにしないか?」
「まあ、構わないが……」
「そうだ、ただの競走ではつまらないから賭けをしよう」
「賭け?」
「ああ、勝者はルツィエから口づけを贈られる権利を得る……これでどうだ?」
「何を言ってるんだ! ルツィエ王女の許可も得ず勝手なことを……」
「ルツィエは僕のものだ。勝手に決めて何が悪い」
「俺はそんな賭けはしない!」
「じゃあ、僕の勝ちだな。ルツィエ、あとでお前の唇を貰おう」
そう言ってヨーランが馬を走らせる。
このままでは勝手な勝負の賭けによって、ヨーランにキスしなければならなくなってしまう。
さあっと顔を青褪めさせるルツィエを見て、アンドレアスが舌打ちとともに馬で駆け出した。
「待て! ヨーラン!」
「ああ、兄上もルツィエと口づけたかったんだな」
「違う! 俺が勝ってもルツィエとキスなどしない!」
「人の女を馴れ馴れしく呼び捨てにするな、クソが!」
言い争いながら駆けていく二人の距離がぐんぐん縮まっていく。このまま行けば、アンドレアスがヨーランを追い抜く。
そしてついにアンドレアスがヨーランの前に出たとき──。
ヨーランは突然馬の速度を緩めて勝負から離脱した。
「じゃあな、邪魔者め」
「は……?」
アンドレアスが困惑の声を漏らした瞬間、彼の乗った馬が踏みしめた地面が陥没した。馬がけたたましく嘶いて、大きく体勢を崩す。
「アンドレアス殿下!」
悲鳴を上げるルツィエの前方で、アンドレアスの身体が馬から投げ出され、地面に落下する。
「殿下!」
ルツィエが懸命に自分の馬を走らせて、アンドレアスの元へと向かう。
「アンドレアス殿下、しっかりしてください!」
落馬して地面に横たわるアンドレアスにルツィエが必死に呼びかけたが、アンドレアスはぴくりとも動かなかった。