朝から元気な蝉の声と共に、部屋に差し込む明るい陽射しによって、自然と目が覚める。時計を見ると、朝の七時半。俺にしては充分早起きだ。
今日の短さを思うと、もう一度眠る気にもなれず、のそのそと身体を起こす。隣を見ると、滉斗がまだ寝ていた。最後の夜は、三人で川の字で寝ようと、滉斗が提案したのだ。俺の寝る客間に三組の布団を敷いて、昨夜は俺を真ん中にした三人で手を繋いで眠った。滉斗のあどけない寝顔を見て、俺は思わず笑みが溢れる。反対側の隣を見ると、涼ちゃんの姿は既になかった。俺は滉斗を起こさぬようそっと布団を抜けて、下へと降りる。
キッチンから物音が聞こえて、早足でそちらへ向かう。涼ちゃんが、シンクにもたれかかってアイスコーヒーを飲んでいた。
「…おはよう。」
「おはよ、眠れた?」
「うん、涼ちゃんは?」
「僕もぐっすり。」
そう言いながら、涼ちゃんがもう一つのコップに、アイスコーヒーとミルクを注いで、はい、と手渡してくれる。ありがと、と受け取って、一口飲む。
「…昨日、かなり頑張ったもんね、疲れてぐっすりでしょ。」
「…もー…朝からそんなこと言って…。」
涼ちゃんが頬を染めて眉根を顰めて俺を嗜めた。ふっと笑って、アイスコーヒーを飲み干す。コップをシンクに置いて、シンクにもたれかかる涼ちゃんに顔を近づけた。涼ちゃんは、アイスコーヒーを持つ両手を下げて、顔を少し斜めに下げる。さら、と髪が顔に掛かって、その髪を俺は手で避けながら、キスをした。
「…コーヒーのいい匂い。」
俺がそう呟くと、涼ちゃんは柔らかく笑った。昨夜と同じ、大人の色香が漂っている。
「…お邪魔しまーす。」
キッチンの入り口から、滉斗が声をかけた。俺たちはビックリして振り返る。
「二人の世界作っちゃって、まぁ。」
「アホか。」
「滉斗、朝ごはん何食べたい?」
涼ちゃんが慌てて、その場を取り繕う。俺たちはそれぞれに食べたいものを自分で用意して、朝ごはんを簡単に済ませた。
「今年もお世話になったし、みんなでお部屋の掃除しようか。」
「そうだな、よし。」
「まず二階からやろうか。」
それぞれに散らばって、布団を干したり、床を履いたり、拭いたりして、家の中を綺麗にしていく。
お風呂で使った手拭いも洗って、縁側にかかる竿に干す。青い波模様と、赤い金魚、それに黄色い向日葵の柄の、三本の手拭いが風にはためく。
「これ、昔っから使ってるよな。」
「そうだね、長持ちだよね。」
「俺らっぽくて、好きなんだよな。」
うん、と三人が頷く。
「ちょっとその辺散歩してくるね。」
「あ、俺も、せっかくだから写真撮ってこよかな。」
「俺、陽に当てられるから、素麺作って待っとくわ。」
ありがと、と言って、二人が出掛けて行った。
二回目の洗濯が終わって、それを干し終わった後、俺は素麺を茹でるためにキッチンへ行く。戸棚の中を覗くと、かき氷機が置いてあった。懐かしい、そう言えばまだ食べてなかったな。冷蔵庫を見ると、ちゃんとシロップも置かれていた。俺は、それらを作業台に出しておいて、後でみんなで食べよう、とお鍋に火をかけた。
お湯がグラグラと沸く頃、二人がそれぞれに帰ってきた。
「いやぁ、やっぱいいね、ここは。」
「いい意味で、全然変わんないよね。」
汗をかきながら、二人が俺に話しかけてくる。
「もう茹でるよ?いい?」
「うん、手洗ってくるね。」
「あ!これかき氷じゃん!あったの?」
「そう、さっき見つけた。後で食べようよ。」
「よっしゃ!手洗ってくる!」
「やっぱり子どもみたい。」
クスクスと笑いながら、涼ちゃんも洗面所へと向かった。
「「「いただきます。」」」
最後の素麺を平らげて、俺たちはまた畳に寝そべる。やっぱりこれが一番夏らしい昼ご飯だな。
「ね、滉斗、それちょっと貸して。」
「ん?元貴も撮るの?」
「うん、ちょっとやってみたい。」
滉斗が、はい、とカメラを手渡してくれた。
ファインダーを覗いて、二人を画角に入れる。指に力を入れると、カシャー、と耳心地の良い音が響いた。
「んー、部屋の中もいいけど、やっぱ外がいいかな。外でも撮らせて。」
「いいけど、大丈夫?」
「ちょっとだけなら大丈夫だよ。」
「んじゃ、行こ行こ。」
三人でサンダルを履いて、少し近所を彷徨く。
ただの道端でも、背の高い二人ならなんだか絵になる。俺は、二人から離れて、またファインダーを覗いた。二人がポーズを撮って、楽しげに写真に収まる。
「やっぱ派手だな、涼ちゃん。」
「なんでー、元貴がこうしたんじゃん。」
「あはは、似合ってるよ。」
俺たちは笑いながら、もう少し散歩をして、家路についた。ちらほらと、他所の家から麻がらを炊く匂いがしてきている。
「…早いね、帰省組かな。 」
「そうじゃない?早く出ないと帰れないんだろ。」
「…うちは、夜でいいよね。」
「…うん。」
そのまま、家の中へ入る。しばらく縁側で冷たい麦茶を飲んで、あれやこれやと話をしていたが、滉斗が思い出したように言った。
「あ、かき氷食べなきゃ。」
「そうだね、そろそろ食べようか。」
「うん。」
三人で交代しながら、氷を削っていく。ガリガリと昔ながらの粗い削りで、削ったそばから少しずつ水になっていく。
「かけすぎだろ。」
「べっちょりくらいが美味いの!」
「練乳ないのー?」
「んな贅沢品ねーよ。」
三人で座卓を囲んで、かき氷を口に運んでいく。冷たくて、なかなか食べ進められないが、ひんやりと甘くて、自然と笑みが溢れる。
「あー、完璧。夏、満喫。」
「あはは、良かったね、滉斗。」
「…なんもやることねーな。」
「それがいいんじゃない。」
三人で懐かしみながら古いゲームをやったり、漫画を見つけて少し読み耽ったり、他愛もない話で盛り上がったりして、外はもう陽が暮れ始めていた。
「…麻がら、どこだっけ。」
涼ちゃんが静かに口を開く。俺は少し俯いて、この幸せな時間の終わりが来てしまった事を実感していた。
コップの氷が、カランと落ちる音がする。
「縁側の、奥の物置にあるよ、確か。」
俺が歩いて行って扉を開けると、麻がらと焚き火皿とロングライターが合わせて置いてあった。
三人で門前に出て、皿の上に麻がらを重ねておく。ロングライターで下の方へ着火すると、煙と共に赤い火が揺らめいた。パチパチと音を立てて、煙が空へと昇っていく。
「…今年も、帰ってきてくれてありがとう。」
「こちらこそ、逢えて嬉しかった。」
「…元貴。」
「なんだよ、泣くなよ滉斗。」
「泣かせてあげなよ。」
「…来年も、必ず来るから。これからもずっと、必ず。」
「元貴…。」
「…二人とも、ずっと愛してる。」
俺が、臆面もなく素直に伝えると、二人とも涙を流して、抱きしめてきた。俺は、グッと涙を堪えて、二人を抱きしめる。
「…じゃあ、三人で、やろうか。」
「うん、また、来年ね。」
「俺だって、二人とも大好きだからな。」
三人で、足元で煙を上げている『送り火』を、息を合わせて跨ぐ。
一回。
二回。
最後は、三人で手を繋いで、
三回。
身体がふっと軽くなって、目の前が真っ暗になった。
俺の夏が、終わった。