(あれは……ウィリアムさん!?)
ランディリックが叔父一家から自分を助け出してくれた時、一緒にいた男性だ。一泊だったけれど、ニンルシーラへ旅立つ前日に彼の邸宅――ペイン邸に泊めてもらったのも覚えている。
(さっきランディが言ったのは、きっと彼のことね)
ウィリアム・リー・ペインは、整った軍装に身を包み、軍帽を乗せた黒髪を春の風にさらわせながら、ピシッと背筋を伸ばして立っていた。その立ち姿は彫像のように様になっていた。
彼はリリアンナたちに気付くと、パッと破顔して、群衆の間から真っすぐこちらへ歩み寄ってくる。
人込みに四苦八苦だったリリアンナからは考えられないくらいのスムーズさで人波を掻き分けてくると、ウィリアムはあっという間に自分たちの前に立っていた。そうして、被っていた帽子を胸に当てて一礼する。
「お帰り、リリアンナ嬢」
低く穏やかな声が、蒸気の残り香の中で響いた。
リリアンナは慌てて微笑みを返し、ランディリックの隣で深く会釈をした。本来ならばスカートをつまんで膝折礼で返したいところだったけれど、手荷物があって、出来なかったことが悔やまれる。
「……〝お帰り〟とは、どういう意味だ?」
そんなウィリアムにランディリックがすぐさま不満を述べて、リリアンナは思わずランディリックの顔を見上げた。
王都での滞在はリリアンナの生家・ウールウォード邸で、と聞かされている。それを思えば『お帰り』と言われるのも無理はない気がした。
だけど今回の滞在は社交界参加のためだけだとも聞かされていたリリアンナである。
そのまま王都へ置いてけぼりになるわけではないと聞いて、ホッとしたのを覚えている身としては、ランディリックがウィリアムにそう不満を述べてくれたことに内心ホッとしてしまう。
「わー、相変わらずリリアンナ嬢のことになると細かいヤツ」
「分かってるなら試すような真似をするな」
言葉の割に楽しそうな二人を見て、リリアンナも自然笑顔になった。
「ところでウィル……わざわざ出迎えにきた本来の目的を忘れてないか?」
「忘れてなどいないよ。わざわざ親友のためにはせ参じたんじゃないか、辺境伯様。王都から離れて大分経つだろう? 俺の補佐がある方がなにかと便利だと思ってね」
言葉ではそう言いながら、何故かウィリアムの視線がセレンに向けられていることに気付いたリリアンナは何となくソワソワしてしまう。
「で、そちらの方が例の……?」
それを裏付けるみたいにウィリアムがセレンに視線を向けるのを見て、リリアンナは(セレン様のことはランディから聞かされているのね)と察した。
ニンルシーラを出るときには護衛の一人としてライオール家の家臣らに混ざっていたセレン・アルディス・ノアール侯だけれど、旅の執着を迎えた今となってはその必要もないのだろう。
「初めまして。セレン・アルディス・ノアールです。今回は色々とご迷惑をお掛けして申し訳ない」
柔らかな笑みとともにウィリアムに手を差し出したセレンに、何故かウィリアムが一瞬戸惑った素振りをする。
リリアンナはその様子に、(ウィリアム様は男爵家の方だから侯爵家のご子息様ともなると、少し気が引けるのかしら?)と勝手に結論を出す。
爵位的な序列で見れば、大公・公爵……ときて、その次に来るのが侯爵だ。
考えてみればリリアンナも伯爵家の人間なので、侯爵家のセレンよりは格下。敬意を表すべきだったのかも知れない。
ランディリックが侯爵位を賜りながらも、リリアンナに敬意を持って接してくれるから、その辺が曖昧になってしまっていたのかも? と反省しきり。
ウィリアムがゆっくりと差し出されたセレンの手を握るのを見つめながら、リリアンナは落ち着かない気持ちになってしまう。
遠くに見える時計塔の針は、十一時を指していた。
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