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長期滞在のわりに、レイの荷物は少なかった。
部屋が整然とすれば、余計にそれを感じる。
私はふすまをノックしようとした手を止め、深呼吸した。
今日、起きてすぐレイと遊園地に行った。
前に杏と佐藤くんと行った遊園地に、一緒に行こうと誘ってくれたのはレイだった。
台風が去ったばかりだというのに、また別の台風が近付いているせいで、一番大きなジェットコースターは止まっていた。
だけどほとんどの乗り物はちゃんと動いていたし、前に入らなかったお化け屋敷にも入った。
入口で動けない私を、レイが面白がってぐいぐい押すから、本気で涙目になったし、「やめて」と叫んだ。
私たちはどちらも、今晩に迫ったさよならの話はしなかった。
寂しさはたぶん雪崩に似ている。
一度感じてしまえば、息もできないほど押し潰されそうで、私は遊んでいる間中、ずっと笑っていた。
気持ちを落ち着け、ふすまをノックする。
『レイ、ごはんできたよ』
声をかけてすぐ、目の前でふすまが開いた。
『ありがとう、ミオ』
レイは私を見て柔らかく微笑み、一緒に階段を下りた。
夕食はレイの好物の、豚の生姜焼きだった。
けい子さんがレイのリクエストに応えてくれて、おじさんも仕事を夕方で切り上げて帰って来てくれた。
ふたりはしきりに「レイがいなくなると寂しくなる」と口にする。
レイはいつもの笑顔を向けていたけど、向いの席に座る私は、どうしても笑うことができなかった。
食事を終えても、だれも台所を出ようとしなかった。
お茶を飲み、今度はコーヒーをいれて、私たちはずっと他愛もない話をしていた。
壁時計の針が少しずつ回り、それに合わせて言いようのない苦しさが増していく。
『すみません、そろそろ荷物持ってきますね』
時計の針が12時前を指したところで、レイが席を立った。
レイの乗る電車は、午前0時21分発。
東京行きの最終電車だ。
いよいよその時が来たと、私たちは目を合わせ、それから黙った。
もう一度台所に入ってきたレイは、キャリーバッグを手にしていた。
『3か月、お世話になりました。
皆さんのおかげでとても楽しかったです』
窓ガラスが風で鳴る。
けい子さんと伯父さんが、どちらともなくレイに手を伸ばし、抱擁を求めた。
ふたりは涙ぐんでいたし、私はもう、レイを見ることができなかった。
『ミオも。いろいろとありがとう』
うつむく私の頭に、温かい手が置かれる。
絶対に泣かないと決めていた。
泣きたくなかった。
それなのに涙が溢れてしまいそうで、私は強く唇を噛みしめる。
玄関に見送りに立てば、レイはいつもの笑みで会釈した。
『皆さんお元気で。ありがとうございました』
私たち全員と目を合わせてから、レイは玄関の戸を開く。
入り込んできた空気は、雨の匂いがした。
『待って、傘……』
『これくらいなら大丈夫だよ』
私が言うと、レイはすぐに首を横に振り、霧雨の中に姿を消した。
戸が閉まり、雨の匂いも、その場の空気も動かなくなった。
それに合わせたように、私も立ち尽くしたまま動けない。
「……澪」
けい子さんが私の肩を小さく叩いた。
促されて戻った台所で、伯父さんがゆっくり椅子に座り、けい子さんは後片付けを始めようとする。
廊下からふたりを眺めながら、世界から取り残された気がした。
レイがいないのに、私がここにいる、途方もない違和感。
「……あの」
呟いてもふたりに届かなかった。
私は「けい子さん」と言い直す。
「なに?」
「私……やっぱりレイに傘を届けてくる……!」
「え?
……けど澪、もう遅いから……」
けい子さんが困った顔をした時、伯父さんが口を開いた。
「わかった。気をつけるんだよ」
私とけい子さんは同時に伯父さんを見る。
伯父さんは細い目で微笑んでくれていて、私は強く頷いた。
「うん!」
その言葉を置いて、私は台所を飛び出した。
外は依然として霧雨が降っていた。
雨が風に煽られ、傘なんて役に立たない。
それでも私は、レイが使っていた傘を抱えて走った。
だれもいない商店街は、わずかな明かりが雨に揺らめいていた。
息があがる。
心臓が破れそうなのは、全速力で走っているせいなのか、別の感情がそうさせるのかわからなかった。
駅に人はおらず、私は改札を突っ切った。
甲高い警告音がする。
かまわず階段を駆け上がり、ホームで視線を彷徨わせた。
すぐ目に着いたのは、電光掲示板と時計。
その奥に人影を見つけ、傘が地面で音を立てたのと、私が「レイ!!」と叫んだのは同時だった。