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彼の肩から、長年背負っていた重圧が少しだけ取り除かれたように見えた。
それから暫くして
病院を後にして外に出ると夕暮れどきの空が茜色に染まっていた。
ひんやりとした風が頬を撫で、昼間の熱気を洗い流していく。
病院の無機質な白い壁から解放され、広がる空の下、心も少しだけ軽くなった気がした。
(仁さんも、少しは楽になってくれてたらいいな……)
遠くのビルの窓ガラスが、夕陽を反射してキラキラと輝いている。
どちらからともなく手を伸ばして指先を絡ませ合うと、2人で家路につくために歩き出した。
少し冷たい風が頬を撫でていくけれど、触れ合う指先から伝わる温もりが身体中を駆け巡って
ポカポカとした心地良い温かさを体全体に広げてくれた。
その温もりは、ただの体温ではなく
互いを支え合う確かな絆の証のように感じられた。
街灯がぽつぽつと灯り始め、俺たちの影が長く伸びていく。
空には一番星が瞬き始め、新しい夜の訪れを告げていた。
◆◇◆◇
それから翌日のこと
俺は兄さんに、酷い言動をしてしまったことを謝罪するため、ちゃんと話をするべく電話をかけていた。
スマートフォンを握る手が震え、心臓が喉元まで飛び出しそうになる。
何度も深呼吸を繰り返すが、緊張は一向に和らがない。
コール音が鳴り響くたびに、過去の言葉が頭の中で反響し、罪悪感が胸を締め付けた。
あの時、感情に任せて言ってしまった言葉がまるで刃のように俺の心を突き刺す。
なんコール目かに電話に出てくれた兄さんは、いつものような軽快な声色ではなかった。
それでも柔らかくて、その声を聞いただけで、俺の目頭は熱くなった。
「楓か…?…どうしたんだ?お前から掛けてくるなんて……なにかあったのか?」
兄さんの声は、心配と優しさに満ちていた。
その声を聞いた瞬間、俺の胸はさらに締め付けられた。
「……っ」
俺は兄さんに“二度と顔も見たくない、と言ってしまったのに
最低な弟なのに、相変わらず優しくて
俺の心配をするなんて、どうかしてると思う。
兄さんはいつもそうだった。
自分は仕事で忙しいはずなのに毎晩夜遅くまで勉強をしている俺を気遣ってくれたり
時には美味しい物を持って帰ってきてくれたり
俺が困っている時はいつも一番に駆けつけてくれた。
どんな時も、俺の味方でいてくれた。
そんな兄さんに甘えてばかりだった気もする。
後悔してもしきれない。
あの時、もっと冷静に話を聞いていれば
こんなことにはならなかったのに。
だけど…やっぱりどうしても言わないといけないと思った。
このままでは、俺は兄さんを失ってしまう。
俺は覚悟を決めて話し始める。
震える声で、それでも一言一句、心を込めて言葉を紡いだ。
「兄さん……ごめん」
喉の奥がカラカラに乾き、心臓の音が耳元で大きく響く。
「この前、酷いこと言って……ごめん。顔も見たくないとか、本当は、思ってない…………」
俺の言葉は途切れ途切れだったが、兄さんはじっと耳を傾けてくれた。
電話口の向こうから、兄さんの微かな息遣いが聞こえる。
「本当、か……?楓、まだ兄ちゃんのこと……信じてくれるのか?」
兄さんの声に、微かな安堵と
それでもまだ拭いきれない不安が混じっているのが分かった。
その声に、俺の胸はさらに熱くなって兄さんの優しさが、痛いほど心に染みた。
「信じたい…っ、信じたいから…今から、会いに、行ってもいい……かな。仁さん……と、ちゃ、んと、話が、したい……っ」
最後の方は泣き出してしまい上手く話せなくなってしまっていた。
言葉が涙でぐちゃぐちゃになり、鼻の奥がツンとする。
それでも、ちゃんと気持ちが伝わればいいなと思いながら必死で話す。
すると兄さんは、少しの間沈黙した後
優しい声で答えてくれた。
「分かった。俺が楓の家行くから、そこで待って
て」
「うう……うん、分かった…待ってる、から」
俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら答えた。
兄さんの声が、まるで暗闇に差し込む一筋の光のように感じられた。
耳からスマホを離して傍のダイニングテーブルに置いた後も、その温かい声が耳に残っていた。
テーブルの中心に置かれたティッシュで鼻をかんで涙をふいて
そのままリビングで落ち着かない時間を過ごした。
壁掛け時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。
ソファに座っても、立ち上がってもどうにも落ち着かない。
兄さんが来るまでの時間が、永遠のように長く感じられた。
窓の外を眺めたり、部屋の中を意味もなく歩き回ったりと
ただひたすら時間が過ぎるのを待った。
心臓はドクドクと鳴り続け、手足の先は冷たくなっていた。
10分くらい経ってからだろうか
インターホンが鳴り、俺は弾かれたように玄関へ向かった。
扉を開けるとそこには、見慣れた
しかしどこか少しやつれた兄さんの顔があった。
「楓!また目擦ったんだろ…真っ赤になってるじゃ
ないか」
俺の顔を見るなり、兄さんは心配そうな表情を浮かべて、何も言わずに俺を抱きしめてきた。
久しぶりの感覚に胸が高鳴る。
「に、兄さん…っ」
兄さんの腕の中に包まれると、張り詰めていた緊張が溶けていくのを感じた。
その温もりと、兄さんの匂いが俺の心を深く安堵させた。
まるで、長い間迷っていた子供が
ようやく親の腕に抱きしめられたような、そんな安心感だった。
「……たくさん泣かせて、ごめんな」
兄さんがそう言って俺の頭を撫でてくれる。
その大きな手は、昔と変わらず優しかった。
すごく暖かくて幸せな気持ちになる。
「ううん、違う…ありがとう……っ、来てくれて」
「俺、もう、こんな弟じゃ……絶縁されるんだろうなって、思ってた…だから………っ、兄さんが昔みたいに抱きしめてくれて、安心した……」
俺は兄さんの胸に顔を埋めたまま、掠れた声で呟いた。
兄さんのシャツの生地が、涙で湿っていくのを感じる。
「バカ……するわけないだろ…?たった2人の兄弟
なんだから」
その言葉は、俺の心に深く染み渡り、長らく抱えていた不安が少しずつ溶けていくのを感じた。
兄さんは優しく微笑むと、俺の背中をポンポンと軽く叩き、ソファに座らせてくれた。
兄さんも隣に座ると、温かさがじんわりと伝わってくる。
俺は兄さんの方に体を向き直ると、真っ直ぐに目を見て言った。
「俺っ、兄さんに捨てられたのかなって、怖かったんだ……だから、兄さんの口からちゃんと聞きたいんだ」
「あのとき……母さんに脅されたって、どういうことなのか」
俺がそう言うと、兄さんは観念したように俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「話すよ、全部……」
そうして兄さんは、まるで重い扉を開けるかのように、ポツポツと話し始めた。
「あれは今から14年前…」
リビングには、兄さんの声だけが静かに響き渡り
兄さんの話が、俺たちの間にあった誤解を解き
元の関係を築くための第一歩になることを願って
俺は息を殺してその言葉に耳を傾けた。