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目の前でしまったバスの扉。
次来るのはいつだろうか。時刻表をまともに見ていないから分からないけど。排気ガスをふかしながら、走り去っていくバスを目でおうきなんてなかった。というか、もう、何にも力が入らない。プランと垂れた腕は力なく垂れ下がっているだけで何かを掴む気力もない。
「――ぱい、先輩!」
「……」
「朝音先輩っ!」
「……っ!?」
いきなり肩を掴まれ、驚きのあまり、言葉が出なかった。
はっ、はっ……と息を切らして、汗で前髪が張り付いてしまったあずゆみ君がそこにいた。俺が、バスに乗ると思って、急いできたのだろうか。そんな感じに見えた。
「あずゆみ君、どうしたの?」
確か彼は、昼間に力になれるかも知れない、といって飛び出してしまって以降、何処に行ったのかさっぱり、連絡もつかなかった。こうして戻ってきたということは、何かしら掴んだのかも知れないが、俺の心は、もう完全に折れていた。もしかしたら、あずゆみ君にもそう思われているかも知れないと思うと、俺はもう、先輩面なんて出来ない。
あそこまで、ストレートに、人の心を考えずに言えるちぎり君が、教師を目指しているというのだから、本当に恐ろしい。このまま、教師になったら何人の生徒の心を折ることか……これまた、考えるも恐ろしかった。
「先輩……」
「ど、どうしたのあずゆみ君。と、取り敢えず落ち着いて」
バス停の青いベンチに座って貰って、俺は、あずゆみ君が落ち着くまで、彼の背中を撫でていた。熱く堅い背中は、汗でべったりとしており呼吸が整うまで、かなり時間がかかったと思う。
そうして、あずゆみ君は大きく息を吸って吐くと、張り付いていた前髪を掻き上げた。
「……」
「先輩、浮かない顔してますけど、何かありましたか」
「別に」
「ありますよね。瑞姫ですか? 瑞姫ですよね」
と、あずゆみ君は、悔しそうに髪をくしゃりと掴んでいう。ブツブツと「俺が側にいてあげられれば」なんていっていたけど、きっと、いても変わらなかった。ちぎり君の性格からして、まわりにどう思われようがいい、みたいな感じだったし、あずゆみ君がいても、俺へのあの言葉は引っ込まなかったと思う。
さっきあったことを、そのままいって良いものなのか、俺が悩んでいれば、あずゆみ君は、俺の顔を見ながら、思い詰めたようにいう。
「瑞姫……これが、始めてじゃないんです」
「えーっと、話が見えなくて。ごめん」
「高校時代も、同じことやってたんですよ。まあ、今みたいな掲示板に写真を貼るみたいな悪趣味なことはしてませんでしたが……瑞姫の中でターゲットを決めて、そのターゲットに固執していたんですよね」
と、多分、あずゆみ君は俺が全て分かっている前提で話している。
高校時代……もしかするともっと前から、やっていたのかも知れないと、ちぎり君の言う趣味なんだろうな、とも思った。でも、人に迷惑かける趣味は、趣味といって良いものなのかと、俺は思ってしまう。
(ということは、俺みたいに誰かの堕ちた顔を撮るために利用された人がいったってことか……)
被害者は俺だけじゃないと。
「多分、今それが祈夜柚なんです。後は、俺」
「あずゆみ君も!? それって、大丈夫なの」
「俺の大切な人に手を出したら、ぶっ殺すだけ何で。平気です」
「い、いやいや、社会的にってことだよね」
俺が聞き返しても、あずゆみ君は答えなかった。その無言が、本気で殺そうとしているのかも知れないっていう不安をかき立てて、俺は彼が手を汚すほどのことでもない、どうにかしないと、と、またお節介が働いてしまう。
その言い方から、俺以外にもっと大切な人がいるって聞えて、何だか寂しい気持ちもあって、でも、あずゆみ君にもそんな存在がいるんだな、とも感じた。
「彼奴のやることは徹底してます。でも、それで折れてはいけないと思うんです。先輩。矢っ張り、祈夜柚ともう一度話すべきだと思います」
「そう、なんだけど……」
あの写真がいつばらまかれるか分からないし、簡単に動いて良いものなのか分からなかった。
でも、あずゆみ君が「話し合うべきだ」と強く言ってくれたことで、もう一度心を立て直すことが出来た。少しだけだけど。
「そう、だね……話し合わなきゃいけないと思う。ゆず君の本音も聞きたいし。彼の、本当の言葉を聞きたい」
『俺』なんて何処か演技して、嘘ついて隠しているゆず君の事、ちゃんとしりたいし、恋人として向き合いたい。
あずゆみ君に背中を押され、先ほど折られてしまった先輩意識が少しだけ回復した。まだ、あずゆみ君に信頼されているっていうそういう確たるものを見たから。
俺は、ふと、スマホを見てゆず君からのメッセージを受信した画面を視界の端に捉えた。場所だけ指定。メッセージは他になし。もしかしたら、ちぎり君が仕掛けた罠かも知れない、なんて思いつつも、俺はスマホの電源を落とした。行くしかないのかも知れない。そうじゃないと、一向に進めない気がしたから。
「先輩、俺もついていって良いですか」
「あずゆみ君も?」
「一発、瑞姫のこと殴らないと、気が済まないんですよ。それに」
「それに?」
「俺は、俺の大切な人以外高校時代、興味なかったんですけど、祈夜柚と同じクラスだったんですよね」
「へ?」
行きましょう、と唐突カミングアウトをしたあずゆみ君は、それはどうでも良いこと、というように立ち上がって歩き始める。
いやいや、それ、大事なことだって。なんて思いながら、俺は早足で先を行くあずゆみ君の背中を追った。