テラーノベル
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忙しくしていられるのは楽しかった、アリスは働きたかった、自力で何かを成し遂げたかった
「あ、三時だ!」
アリスは急いで給湯室に向かった、三時になったらミーティングルームにいるクライアント制作と、制作スタッフ4人に、コーヒーを持って行くよう頼まれていた、小さなキッチンを見渡してアリスは思った
―コーヒーマシンは何処かしら・・・それにコーヒー豆もありませんわ―
我が家のデロンギエスプレッソマシーンなら、ボタンを押せばコーヒーが出てくる、しかしここにはそれらしいマシンも無ければ、マシンの裏にセットする粒状の豆も無い・・・途端にアリスは焦った
―ど・・・どうしましょう・・・コーヒーの入れ方がわかりません―
すると、またフラフラ通路を徘徊しているこの部署で、唯一陰キャの小林にアリスの目が止まった、今やクライアントに大人気の彼は、あまりの忙しさに、動画制作室に昼も夜も缶づめにされているので、時々こうやって外の空気を吸いに、オフィス内を徘徊しているのだ、アリスは思い切って彼に声をかけた
「こっっ・・・小林さんっっ」
フラフラ徘徊していた小林がピタリと動きを止めた、そしてクルリと体の向きを変えて、倒れるように給湯室に入って来た
―だ・・・大丈夫なのでしょうか?―
ボソッ「どうしましたか・・・アリスちんさん」
アリスちんさん・・・どうもここでは自分の呼び名は「アリスちん」で通っているらしい・・・そしてアリスは初めて小林の小鳥のような声を聞いた
「コ・・・コーヒーを入れるように頼まれたのですが、ここには豆もエスプレッソマシンもありません、外に買いにいけば良いのでしょうか?」
しばらく二人は見つめ合った・・・と言っても彼の前髪は鼻先まで来ていて、目を隠しているので彼が自分を見つめているのかどうかも分からない
ボソ・・・「コーヒーなら・・・あります」
彼がキッチンの上にある瓶を指さした
「え?」
目の前にある瓶がコーヒーなんて・・・インスタントコーヒーを見たことがなかったアリスは驚いた・さらに小林が陰気にしゃべる
ボソ・・・「何人分作るのでしょうか?・・・」
「よっ!四人分です!」
「それではケトルに水を入れて・・・スイッチを押してください・・・」
「ハイッ」
小林が首をポリポリ掻きながら、黒のプラスチックのホルダーに使い捨てのコップをはめ、トレーに並べる
「ティースプーンに・・・山盛り一杯で・・・お砂糖は」
「ハイッ!ハイッ!」
背がヒョロヒョロ高く、痩せ方でブカブカの服を着ている小林に、深々と頭を下げて、なんとかアリスがミーティングルームにコーヒーを届けられた時には、すでに3時半を回っていた
ふぅっ~とアリスは額の汗を拭って自分のデスクに座った、まだ大した仕事をしていないのに、気疲れでとても疲労を感じていた、でもアリスはもっと立派に仕事をしてみたかった、そしてすぐ近くにいるジェニ達を観察した
ジェニは営業のみんなにハキハキと声をかけていた
「今日は6時に帰ってくるから、「ゴージャスレッグ」の冬用ヒートテックタイツの、広告プロジェクトの件で、チームミーティングを開くわ、メンバーに声をかけておいてくれる?1時間で終わらせるわよ!」
「オッケー!」
「お客さんによろしくな!」
アリスは颯爽と去って行くジェニを慌てて追いかけた
「あ・・・あのっ!ジェニさん」
ピタリとジェニがエレベーター前で止まり振り向いた
「どうしたの?アリスちん」
アリスはピンクの付箋を両手でジェニに差し出した
「さ・・・さっきコピー機を直していただいた時・・・この付箋を落とされましたので・・・」
「ああ・・・ごめんね、ありがとう、これがないと困る所だったわ」
ジェニはニッコリ微笑んで、アリスから自分が落とした付箋を受け取った、二人はジーッとお互いを見つめ合った
―可愛いなぁ・・・―
:・.。. .。.:・
「あっ・・・あはははっ!ごめんねっじーっと見つめちゃった!」
「いっ・・・いいえっ私の方こそ・・・申し訳ございません」
慌ててジェニが笑ってごまかした、アリスも頬を染めてジェニがエレベーターに乗るのを見送った・・・いつもながら凛とした佇まいの彼女だった・・・洗練されていて、見るからにシゴデキ女性(※仕事が出来る女性)という雰囲気だ
今日の彼女は・・・編み込んだ髪をうなじでシニヨンにまとめている、スリムな黒のパンツが長い脚と形の良いヒップを包んでいる、ゆったりとタックインされたシルクのシャツの色は、落ち着いたワインレッド色だった、体型をことさら隠そうとも、より良く見せようともしていない装いだった
より良く見せる必要なんてないだろう・・・ありのままの彼女の姿が完璧なのだから・・・アリスは大きくため息をついた・・・それでなくても彼女は高身長だが、今日のようにピンヒールを履くと、竜馬さんと並ぶときっと迫力があって釣り合うに決まっている・・・一方自分は身長154センチのおちびさんだ
彼と並ぶと子供の様で嫌だったアリスは、サッとポケットのメモを取り出して何やら書き込みだした
ブツブツ・・・「今日のジェニさんは・・・黒のパンツスーツに・・・ワインレッドのブラウス・・・そして編み込み」
帰りに百貨店に寄ってお買い物をしよう、ジェニさんみたいなパンツスーツを買うのだ、あんなファッションは、アリスには程遠く、似合わないかもしれないが、なんとか恰好からでも、少しでもジェニに近づきたかった
アリスはまた大きくため息をついた・・・彼女のような女性がきっと竜馬さんにお似合いだ・・・
「アリスさん」
フトその声に振り向、なんと竜馬がオフィスに入って来ていて、アリスのデスクに寄って来た、それを社員達が驚いてチラチラ見ている
「まぁ!竜馬さん!」
アリスが慌てて立ち上がった
「終了時間です、送りましょう」
彼の声は事務的だったが、眼差しは少しアリスを心配しているようだったし、明らかに自分がこの部署で働くのに、不満を抱いてる顔をしている
「え・・・でも・・・まだ皆さんお仕事されていらっしゃいますし・・・6時の会議のコーヒーを入れようと・・・」
せっかくコーヒーを入れられるようになったのに、アリスはもっとみんなの役に立ちたかった
「そんなことはあなたはしなくてよろしいっ!さぁ、帰りますよ、お爺様が心配なされます」
「あ・・・ハイ・・・」
渋々アリスはデスクを片付けて、帰り支度をした、オフィスの社員の視線を受けながら、みんなに一礼してズンズン歩く竜馬の後ろを慌ててついていった
アリスがエレベーターに乗り込む時・・・ガラス張りの動画制作ルームの中にいる小林と目が合った・・・といっても前髪で目が隠れているため彼がこちらを見た気がしただけだが・・・
:・.。. .。.:・
少しだけ寂しい気持ちを抱え・・・アリスは竜馬の後を追った
:・.。. .。.:・
ジェニは愛車「鈴木君」を運転しながら、今日のアリスのファッションを思い出していた・・・フリルリボンタイ付のブラウスにシャネルの フレアスカート・・・・
高価なブランドを身に着けているが、嫌味は無く、洗練されて、とても気品も溢れている・・・ハッキリ言って彼女はとても可愛らしい・・・それに性格もとても良くて、素敵な人だ・・・社長である彼の婚約者なのに、少しも偉ぶる所もなく、なんだか毎日一生懸命に仕事を覚えようとしてくれている
ジェニはアリスに好感を持っていた、もう少し一緒に働くときっと彼女を好きになるだろう、だから余計に彼にした自分の行為は、恥ずかしく思えた
彼と二人で過ごしたあの素敵な夜を思い出す、そしていくらジェニが迫っても、彼が最後までしてくれなかったのもこれで納得がいった
アリスちんのような女性が竜馬さんにはお似合いだ・・・セックスはしていなくても、彼とあれほど親密な夜を過ごしてから厄介な事に、ジェニは日々彼を恋しく思う心と闘っていた
しかし、あんな可愛らしい婚約者を見てしまった今は・・・二度と彼とそんな関係になることはないと思った、自分は完全に負けているし、彼が自分を選んでくれるなんて考えられないし、自分は人のモノを取るような女ではない
それでも・・・今まで出会って来た、どんな男性の事を考えても、彼と比べてしまう・・・そして結局誰も竜馬の代わりにはなれないと悟るのだ
このまま一人で生きていく事がひとつの選択肢だとすれば・・・他にどんな選択があるだろう・・・竜馬の次に好きな人を作ってなんとかそれで満足する?
そいうのって相手にも失礼ではないだろうか・・・でもきっと誰かいるはずだ・・・彼を忘れさせてくれる人が・・・しかし傷つくのを恐れているうちは 恋人は見つけられないだろう
誰かを愛すれば、当然のように拒絶や裏切りや失恋もついてくるはずだ・・・ジェニは大きくため息をついた・・・自分だって以前は「お嬢様」と呼ばれていた、父が亡くなるまでは
父のことは愛していた、父に喜んでもらえることはなんでもした、兄は愛する人というか、幼い頃から一緒に暮らした(人)という感じだった
兄は一人の世界に閉じこもっているのが好きな人間だった、部屋にはあらゆるゲーム機があった、放っておくと平気で3日も4日も食事をしないでゲームに没頭するような人だった
なので仕事で忙しい父の変わりに、兄の面倒を見るのが必然になった、そもそも自分には愛がどういうものかわかっていなかった、だけど人が誰かを愛していると思う時・・・それが本物の愛かどうかなんて、どうすればわかるのだろう?
フと幼い記憶がよみがえって来た、たしか父や兄以外に自分にはもう一人年上で親しみを持っていた男性がいたはず・・・
父や兄に代わって無償の愛を注いでくれた存在が・・・
誰だった? それとも私の思い違い?信号待ちで何かを思い出しかけた・・・でも次にクライアントからの電話が鳴って、仕事の話をし出したら、もうジェニはその事を忘れてしまっていた
夏の夕暮れは少しづつ、秋を迎えるように早くなっていた ・・・
ジェニが得意先の会社についた頃には、あたりは暗く、どんよりとした雲で月は見えなかった
ジェニは空を仰いで思った
:・.。. .。.:・
そして息を吸って目を閉じた
:・.。. .。.:・
それから三日間雨が降り続いた
コメント
1件
第100話、お疲れ様です!アリスがインスタントコーヒーを知らなくて焦る場面、すごく可愛かったです。小林さんの「アリスちんさん」呼びにもほっこりしました。でも一番印象に残ったのは、ジェニの心情ですね。竜馬さんを諦めようと決意するシーン、切なくて胸が締め付けられました。彼女のプロフェッショナルな姿と、心の内側のギャップがとても魅力的です。次回、雨が止んだ後の展開が気になります!
latte
732
芙月みひろ
494
#溺愛
桜咲かな
592
#長編
結愛
319