テラーノベル
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家へ上がってからしばらくの間、俺は客間に通されていた。
畳の匂いがする――障子越しの光は柔らかく、病院の白さとはまるで違った。視界に入るものの色味が落ち着いているせいか、目の奥の疲れも少しだけ薄くなる気がする。
ある意味、気持ちがいい。”乃亜”も畳が好きだったのか、そんな気がした。
とはいえ、落ち着くかと言われると別だ。
ここはいつもいる家じゃない。あと休んでいた病室でもない――そして、嫌だった久城家でもないんだ。
乃亜の記憶の奥に断片だけ残っている、母方の祖父母の家。
知っているようで、知らないようで、今の俺にはほとんど初めての場所だ。
部屋の隅では、黒猫姿のミュールが丸くなっている。
さっきから一言も発さず、少しだけ“賢そうな猫”を装っているように見えた。こういう時だけ妙に空気を読むから腹立たしいと感じながらも。
「とりあえず、荷物そこに置いとけ」
智明が理央たちへ向けて言う。
俺たちはその通りにして、行動した。
「客間は二つ使える。男と女で分けた方が楽だろう?」
「いや、そこまでしてもらうの悪いんですけど……」
「甘えておけ、お前たちは子供なんだから大人たちの言う事は聞いておけって」
笑いながらそのように話す智明の姿に対し、理央は静かに息を吐きながら肯定していた。
それを、俺は静かに見ていた。
そもそも祖父母宅という時点で緊張するのに、そのうえ自分たちは家族でもない――俺も一応血縁だが、それでも体の中に居るだけの存在だ。
多分、理央たちはどのような行動をすればいいのかわからないのかもしれないと考えさせられる。
祖母は笑いながら俺たちに声をかけてくれた。
「そんなところで固まってなくていいのよ」
廊下の向こうから、祖母の声が飛んできた。
彼女は盆を持ったままこちらへ歩いてくるところで声をかけてくれた。
湯気の立つ湯呑みと、小皿に乗った軽い菓子が見える。
「長い移動のあとでしょう。お茶くらい飲みなさい」
「い、いや、ありがとうございます……」
「ありがとうございます」
「うわ、すみません、ほんとに」
三人は慌てる素振りを見せながら、お礼を言う。
祖母はそんな三人を見て、ふっと目元を和らげた。
「智明から少しは聞いてるわ。大変だったんでしょう」
「……」
「細かい話はあとでいいから、まずは休みなさい。疲れた顔したまま立ってる方が見てて落ち着かないの、ふふ」
言い方は柔らかい――だが、その柔らかさの下でちゃんと全員を見ていてくれたのだ。
俺もそんな祖母の声に安心感を覚えた。
「乃亜」
祖母がこちらを見てきた。
「座ったままでいいから、お茶だけは飲んでちょうだい。顔色、まだ全然戻ってないわよ」
「……はい、ありがとう」
「いいのよ、家族でしょう?」
「……」
――温かい、祖母の声。
でも、俺は”久城乃亜”ではないのだ。
本当の乃亜は、自分の体の中に居る――俺は反射的にそう返したあと、自分でも少しだけ妙な気分になった。
祖母は母親と違って、ただ自然に、“具合の悪い孫”として扱っている。
さぶれ
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それが少しだけ落ち着かない。
一方の祖父はその少し後ろに立っていた。
何も言わず、ただこちらを見ている。
祖母のように露骨に世話を焼くわけではない。
智明みたいに声をかける事もなく、この人の目は一番静かで、一番よく見ていた。
どうしてあのように、声をかけないでこちらに目を向けているのかわからなかった。
――ただ、何も言わない。
それが逆にやりづらかった。
そんな俺の考えなんてつゆ知らず、智明は祖母に声をかける。
「母さん、布団は?」
「もう出してあるわよ」
「おお、早いな」
「お客さまが来るって聞いたら、それくらいするでしょう?」
「客って人数じゃないと思うけどな」
祖母は当然のようにに言い、智明も同じように笑った。
対し、俺たちはある意味緊張している――だって、”客”として歓迎されているんだな、と。
澪が小声で透花に言う。
「こういうの逆に緊張するんだけど」
「私も……」
「おいお前ら、聞こえてるぞ?」
「だって、理央くんも緊張しているでしょう?」
「そうなんだが……」
三人のやり取りを聞いて、俺は再度ため息を吐いた。
智明はそれを横目で見ながら、雑に言う。
「ま、うちの実家ってこんなもんだ」
「“こんなもん”で済ませるなよ」
「いいじゃないか、気軽だろう?」
智明はそのように言いながら笑い、理央たちも同じように、静かに笑う。
ただ一人、俺は笑えなかった。
そして考えてしまった。
――普通の家庭の空気だ。
少なくとも、久城家のものとは違う。
それに気づいた瞬間、胸の奥で妙な違和感が生まれる。
慣れていない。多分。
こういう空気に、まだ全然慣れていないんだ。
それほど、”久城乃亜”と言う存在が、どのような扱いをされていたのだと、あらためて気づくのだった。
理央たちは客間へ荷物を運び始め、透花は祖母に手伝いを申し出て、すぐに丁寧に断られていた。
澪は家の中を見回しながらも、勝手に触ったりはしない。その辺りの線はきちんと分かっているらしい。
ミュールは静かに部屋を出て、廊下の隅へ移動した。
喋らないまま、猫らしく気ままに歩いているふりをしているが、耳だけはよく動いている。
周囲の気配を拾っているのだろう。
俺は湯呑みを持ったまま、少しだけ息を吐いた。
この家の空気は穏やかで、落ち着く。
だが、どこか、引っかかると同時に、”あの時”の事を思い出していた。
「……ダンジョンと、ヴィーシャと……俺が前に居た世界――」
俺にとって、あの時の事を未だに忘れられない。
それと同時、俺が居た前の世界は、あのダンジョンの何処かにつながっているとしたら、どうなるのだろう?
ヴィーシャがもしまた現れたら?
そして、他にも俺には敵がいる――奴らが現れたらどうなるのだろうか?
「……なんか、大事になっちまったな」
俺はそのように、静かに呟くのだった。
コメント
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第76話、読み終えたよ〜!🌸 乃亜が祖父母の家の温かさに戸惑ってるの、すごく伝わってきた。「普通の家庭の空気」って言葉にぐっときた…久城家との違いをあらためて感じるの、切ないね😢 祖母が『お茶くらい飲みなさい』って自然に声かけてくれるシーン、優しさがありがたすぎて泣ける。ミュールが猫らしく空気読んでるのも可愛いし、でも乃亜の頭の中ではダンジョンやヴィーシャのことがちらついてて、これからどうなるんだろうってドキドキした!次が気になる〜!