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竜二の袖を掴んだまま、樹は顔を上げられなかった。 離したら終わってしまう気がして、ただ必死にしがみついていた。
「……竜兄」
声は震えていた。
「嫌いになるまででいいから……俺の隣にいて」
竜二の眉がわずかに動く。呆れと苛立ち、そしてほんの少しの迷いが混じったような色。
「お前な……そうやって泣いて縋れば、俺が折れるとでも思ってんのか」
その冷たい声音に、樹の胸が締め付けられる。
けれど、離れない。離れられるはずがなかった。
――気づけば、脳裏に過去の景色がよみがえる。
⸻
五歳のころ。
夜、縁側の影に小さな妖怪が潜んでいた。畳を擦る音に怯え、樹は泣きながら兄の布団に潜り込んだ。
「……竜兄……こわい」
竜二はあきれ顔でため息をつきながらも、そっと樹の頭を撫でた。
「大丈夫だ。俺がいる」
その言葉に安心して眠った夜。
⸻
八歳のころ。
勉強を怠けた樹は父に叱られ、泣きじゃくりながら廊下を走った。行きつく先はいつも竜二の部屋。
襖を開けると、机に向かう竜二の姿。
「……竜兄……一緒に寝てもいい?」
面倒そうに視線も上げず、「勝手にしろ」と答えながら布団を片手で整えてくれる兄。
その背中の温かさを、幼い樹は一生忘れないと思った。
⸻
十歳のころ。
小さな妖怪を助けようとした樹は、厳しく叱られた。
「花開院の人間が、妖怪を庇うな!」
その声に、胸が張り裂けるように痛んだ。
でも、樹は涙を流しながら竜二の袂にすがった。
「……嫌いにならないで。竜兄がいないのは、いやなんだ」
そのとき竜二は顔を背けて黙り込んだが、袖を振り払うことはしなかった。
⸻
記憶の残滓が溶けるように消えていく。
そして「今」、樹は十年前と同じように兄の袖を掴んでいた。
「俺は……竜兄と一緒にいたい。それだけなんだ」
涙声で吐き出す。
「たとえ妖怪を助けるのをやめても、竜兄に嫌われるのだけは……耐えられない」
竜二は長く沈黙した。
吐き捨てるように言う。
「……お前はほんとに、面倒な弟だ」
けれど、その声はどこか揺れていた。