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翌朝、ルツィエは朝食を食べながらアンドレアスのことを考えていた。
──そなたは俺を恨んでいい。
彼はそう言っていた。
(なぜ帝国の皇太子がそんなことを……)
昨晩、アンドレアスと話してみて確信した。
やはり彼は積極的に戦争に関わったわけではない。
彼に非があるとしたら、それは戦争を止められなかったこと。
アンドレアスはきっと戦争を望んでいなかったのだろう。
できれば皇太子として、そして皇后の息子として、戦争などという愚かな行為は止めてほしかった。
だが彼を恨めしく思うかと考えれば、それは違う。
憎いのは、他国の宝を手に入れたいがために戦争という手段をとった皇后。そして実際に家族を手にかけたヨーランだ。
(この二人だけは、どうしても許せない)
ルツィエとて、全てを憎みたいわけではない。
人を憎むのにも気力を使うから。
(それに、皇太子には私と似たような孤独を感じる気がする……)
最近は凪いだ海のように穏やかな様子しか見ていないが、木の幹に頭を打ちつけ、苦しそうに呻いていた姿を忘れられない。昨晩もこの離宮の庭を訪れていたということは、また例の発作のような状態だったのだろう。
(彼は一体何に苦しんでいるのかしら……)
顔を真っ青にして、離宮への逃避を懇願していたアンドレアスを思い出していると、突然部屋の扉が開いてヨーランが入ってきた。
「……殿下、おはようございます」
侍女も通さず入り込んできて一体何の用かと思っていると、ヨーランはルツィエがまだ食事中であることも気に留めず、すぐ近くの椅子に腰かけた。
「おい、このあと時間はあるだろう?」
「はい、朝食後は特に予定は入っておりませんが」
「なら食べ終わったら出かける支度をしろ。街に連れていってやる。帝国の繁華街はフローレンシアとは比べ物にならないぞ」
ヨーランは帝国の歌劇場がいかに壮麗か、高級店街で自分がいかに手厚くもてなされるかを長々と語ったあと、ルツィエの手を握った。
「お前の好きな場所に連れていってやる。どこへ行きたい?」
ルツィエはヨーランの気遣いを喜び迷うふりをしながら、上手く断ることはできないかと頭を絞った。
暗い場所で二人きりになる歌劇場にも、高級品を恩着せがましく買われる店にも行きたくはない。
「私のためにお時間を取ってくださってありがとうございます、殿下。とても嬉しいです」
「まあ、こんな離宮に閉じこもっていては、お前も退屈だろうからな」
「私もちょうど殿下と出かけられたらと思っていたのです。ですが……」
「なんだ? 都合が悪いわけではないんだろう?」
「はい。ただ、ご存知のように私は喪に服しておりますので、あまり贅沢な遊びや買い物を楽しむのは控えたいと思いまして。殿下に高級品を頂いてばかりなのも心苦しいですし……」
「そんなこと気にする必要はない。それとも、僕と出かけたくないのか?」
外出自体がなくなればいいと思ったが、やはりそこまで上手くはいかないようだ。ヨーランの機嫌を損ねる前に、ルツィエは別の作戦に変更した。
「とんでもないです。実は殿下と出かけてみたいと思っていた場所がありまして……。帝国にも花畑はあるでしょう? 綺麗な花に囲まれて殿下と一緒に過ごせたら、どんなに素敵かと思っていました」
花畑のように開けた場所であれば、ヨーランとも距離が取りやすいし、まだ我慢して過ごせるだろう。
そんなルツィエの思惑にヨーランも上手く乗ってくれた。
「なるほど……花畑か。この間の皇宮庭園では邪魔が入ったからな。そこで続きを楽しむのもいいだろう」
「そうですね。二人でゆっくり過ごしましょう」
◇◇◇
それからルツィエは朝食を終えて外出の支度を整え、ヨーランが手配していた馬車に乗り込んだ。
ヨーランから「いい場所がある」と言われて案内された場所は、たしかに聖花国王女のルツィエも目を見張るほどの美しい花畑だった。
「まあ、なんて綺麗な場所……。まるで空に浮いているみたい」
一面の花畑を前に、ルツィエが頬を紅潮させて感嘆の声を漏らす。そんなルツィエをヨーランが満足そうに見つめた。
「ここは崖の上にあるから眺めがいいだろう」
「はい、まるで天国のようですね。こんな花畑に来たのは初めてです」
ルツィエが水色の瞳をきらきらと輝かせて返事をする。
今回ばかりはヨーランの機嫌取りではなく、本心で感動していたのだった。
「……殿下? どうなさったのですか?」
いつもなら自分がどれだけ気が利いているかを強調したり、フローレンシアを貶したりするはずのヨーランが、なぜか何も言ってこない。
ルツィエが不思議に思って首を傾げると、ヨーランは急に顔を背けてその赤い髪をかき上げた。
「……ここには帝国にしか咲かない花もあるんだ。あとで摘んで持ち帰らせよう」
「そうなのですね、ありがとうございます」
祖国にもフローレンシアにしか咲かない花がある。
帝国だけに咲く花は一体どんな見た目で何色をしているのだろう。
あれこれ想像を巡らせると自然と心が弾む。
しかし、そのことに気づいたルツィエは愕然としてしまった。
(私ったら……この外出を楽しんでいるの……?)
復讐のために全てを捧げると誓ったのに。
仇の前でこんな風に素をさらけ出してしまうなんて、家族への裏切りも同然だ。
酷い自己嫌悪に陥り、ルツィエが苦しげに眉を寄せる。
「ルツィエ、どうし──」
「おい! ヨーラン! ルツィエ王女!」
ヨーランに呼ばれた気がしたのと同時に、崖の手前から大声が響いた。何事かと振り返ってみれば、アンドレアスが焦った様子で馬を走らせていた。
「ヨーラン、ここは駄目だ。早く引き返せ」
花畑に辿り着いたアンドレアスがヨーランに注意する。
するとヨーランは今までにないほど激昂してアンドレアスに詰め寄った。
「貴様……! なぜいつも僕の邪魔をするんだ!?」
「いや、俺はこの場所が危険だと伝えに来ただけで……」
「何が危険だ! どうせルツィエに会いたくて追ってきたんだろう!」
「違う、ここは先月から崖崩れの兆候があると言われているのを聞かなかったのか? 侍従が注意したのにお前が出かけてしまったと聞いて追いかけてきたんだ」
「ハッ、ここが崖崩れなんてするわけない──」
その瞬間、ルツィエの目の前で地面に亀裂が走った。
突然足下が傾いて、ルツィエがふらりとよろめく。
「きゃっ……!?」
「ルツィエ!!」
「ルツィエ王女!!」
地面が崩れ、崖の下へと落下していく。
ルツィエが必死で腕を伸ばすと、力強い手がルツィエの手を握ってくれた。
──しかし、彼もまた崖崩れに巻き込まれ、ルツィエとともに崖の底へと落ちていった。