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きみのことは本当によく分かっている。
きみのことを誰よりも深く分かっている。
……はずが。
「じゃあ、わたし行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
『おれ』は読んでいた雑誌から目を離し、ソファーなら立ち上がる。きみの着ているそのレモンイエローのワンピースはお気に入りの服だったはず。そうか……きみは女友達と会うのにめかし込んでいくのかと。
いつしかぼくはきみのファッションコーディネーターの座から引きずり下ろされた。……そう。友達が出来るのは本来喜ばしいことのはずが。
廊下を抜けるきみを追うぼくの足取りは重い。……そう、きみがまるで不自由な実家から出ていく女子高生みたいに意気揚々としたステップを踏むのとは対象的に。玄関まできみを見送る自分の目線が険しいものにならないよう、おれは意識する。
玄関でサンダルに足を入れるときみはおれに向き合い、
「行ってきます」
「うん。楽しんでおいで」
キスを交わし、きみは、ぼくの知らない世界へと飛び立っていく。ぼくの知らない場所へと。……ああ。莉子。
きみを見出だしたのは、このぼくなんだよ。
きみという人間の存在価値を高め、より美しく輝けるように手助けをした……。
なのに、きみは飛び立つ。羽を生やした天使のように。知らない世界へ……ぼくのいない場所へと。
こんな自分は、駄目なのかもしれない。孤独なきみを。理解者のいない苦しい世界にいたきみを……救ってくれるなら、本来誰だってよかったはずなのに。例え、それがぼくでなくとも。
葛藤。煩悶。苦悩。そんなものとは、きみと復縁して以来、無縁に過ごしているはずが……。ぼくたちは恐ろしいくらいにうまく行っていた。いや、うまく行きすぎていたのかもしれない。喧嘩も滅多にすることがなく、リーダーシップを取りがちなぼくに対し、きみはいつも従うばかりで。従順なきみに、あまえすぎていたのかもしれない。
彼女が自立的意志を持った瞬間、嫉妬するだなんて、とんだ暴君だ。君主政治じゃあるまいし……。
ぼくの不安がピークに達したのは、紅城くんが、第一回目の試着会に同席したときだった。
「それだと、莉子のきれいなからだのシルエットが露わにならないから勿体ないよ」
「ウェディングドレスとお色直しでシルエットを変えてもいいかもね。……でも、あ、せっかくこんな豪華な式場で挙げるんだから、両方ともプリンセスラインにするのも手だけど」
「エンパイアラインはうぅーん。地味かもな。ま髪型次第かもだけど」
「袖はないほうがいいかもね。せっかく莉子、綺麗な肌してるんだから、見せつけたらどう?」
おれもそこそこきみのことは分かっていたつもりではあったが。ショックだった。きみのことをまるで分かっていない自分……紅城くんのほうがきみのよさを理解している、その現実が。
試着会を終えて、店に入ったときに、――もう、無理かな、と思った。
これ以上この空気を共有することが。このふたりの織り成すあまい空気……雰囲気。莉子は、ころころと表情を変える。子どものように。愛らしく―ー繊細で、豊かで、あでやかで。薔薇の花のように咲き誇る。
きみを咲き誇らせるのは、おれだけの専売特許――だったはずが。
喜ばしい。そうだ。喜ぶべきなのに。どうしておれはこの現実を認められない。
嘘をついて、そこを抜け出し、ひとりでカフェで席次表を作成してから、帰宅し、きみとちょっとした言い合いをし、それから――ベッドに入る。きみのために買ったベッドで。きみと抱き合い――きみと幸せな日々を過ごすために選んだベッドで。
まさか、こんな結末が待っているだなんて思いもしなかった。哀れで惨めで――笑えて来る。
泣けてきた。馬鹿だな、とおれは思った。元々おれは泣き上戸で……そんな自分を隠すために、強気な自分を演じてきた。
さめざめと演歌歌手に出てくる女のように泣いた。泣けば何故か……こころが浄化される気がしていた。
それから、無事きみと話し合いをするうちに、自分の気持ちが整理出来て……紅城くんに惹かれるきみそのものを愛すると、おれは決意した。
分担したっていいじゃないか。誰にだって得意なことや不得意なことはある。もし……紅城くんのほうが、ドレスの見極めが得意なのなら、それを任せるのも手だ。おれは話し合いを経て、納得した。
それから、週明けの昼休みに、おれは、紅城くんに呼び出された。会議室に。見れば――莉子も一緒だった。
おれは、当惑した。紅城くんが……おれに、なんの話だろう、と。
「――申し訳ありませんでした」
潔く。こちらが見惚れるほどに素早く、紅城くんは頭を下げた。
「出過ぎた真似をして……ご不快だったでしょう。課長の気持ちに気づかず……申し訳ありませんでした」
「いやいやそんな。顔……あげて? 紅城さん……」
「ごめんなさい課長……。高嶺が、どうしても、って……。課長。わたしも……ごめんなさい」
「あのね。おれ的には、莉子の幸せが一番なの。莉子が幸せでいられるのが、一番。
だからね……。結婚式当日、莉子はハッピーでいて欲しい。
それが、第一だ。なによりも優先すべきなのはそれだ。
ならば。そのために、引き続ききみの手を借りたいと思っているよ……。紅城くん。きみは、おれに詫びる必要はない。
確かに、おれはちょっときみに焼きもちを焼いたけれど、でもそんなのは、些細なことだ。莉子の幸せが第一。莉子の幸せが一番なんだよ。
きみといると莉子は本当に幸せそうな顔をする。おれとしては、その顔が見られるだけで十分……なんだよ。
ありがとう。紅城くん……。莉子を幸せにしてくれて、ありがとう」
それからも、引き続き、紅城くんは莉子のために尽力してくれた。おれには、そのことが嬉しかった。
バージンロードを歩くきみがイメージ出来る。そのドレスを選択した理由も、きみらしくてなんだか微笑ましいというか。常に自分らしくありたいと願う、きみらしいと思えてしまう。
――さあ。莉子。出番だよ……。
世界中で一番幸せになるんだ。
幸せになるためにおれたちは生きている。
おれは、バージンロードを歩くきみを見ている。……すこし緊張しているようだね。でも大丈夫。みんなきみの味方だから。
誰よりも幸せになるんだ。莉子。いままで苦しんだ分……おれが苦しませてしまった分、誰よりも幸せになる権利がきみにはある。
――おいで。莉子……。
ゆっくりと、お義父さんと歩み寄る、きみにおれは手を差し伸べる。
人生最大級の愛を誓いながら、おれは、この想いを行動へと具現化させた。
――愛している。莉子……。
―完―