テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
俺は波打ち際へ向かうと、膝から腰までを夜の冷たい水に浸し、ゆっくりと目を閉じた。
視界を遮断することで、他の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていく。
もはや視界に頼る必要はない。
固有スキル『水質浄化(モレキュラー・フィルタリング)』を、まるで高性能なソナーのように広域展開すれば
海中のあらゆる生命反応が、水の分子の微細な揺らぎとなって俺の脳内へと伝わってくるのだ。
砂を巻き上げるエビの動き、岩陰で休む小さな蟹
そして──
「……あ、あの、カイリ様。お魚さんを……捕まえるおつもりですか?」
背後のジャグジーの中から、アクアが不思議そうに首を傾げている気配がした。
人魚の彼女にとって、海は生きるための糧を得る狩場だ。
しかし、目の前の人間が道具一つ持たず、ましてや獲物を追いかけ回すでもなく
ただ陸の上から海を眺めているだけの姿は、奇妙に映ったのだろう。
「ああ。ただ捕まえるんじゃない。最高に美味い状態で『浄化』するんだ」
俺は波打ち際に立ち、ふっと目を細めた。
この『死の島』周辺の海域は、皮肉なことに手付かずの自然が極限まで守られている。
高濃度の魔毒に覆われているせいで、人間に獲り尽くされることがなかったからだ。
おかげで、そこに住まう魚たちは、驚くほど大きく、そして見事なまでに脂が乗っている。
(いた……。あの影、体長50センチはあるな。岩陰に潜む、脂の乗った極上の獲物……「銀鱗スズキ」か)
指先を軽く弾く。
魔法によって周囲の海水の密度を一時的に操作し、標的の周囲にだけ強烈な圧力の壁を作り出した。
ドン、という水中での衝撃波により、スズキを瞬時に気絶させて浮かび上がらせる。
続けて、俺は右手を海面へ向けて鋭く突き出した。
使うのは、分子レベルの精密操作。
「固有スキル『水質浄化(モレキュラー・フィルタリング)』───指向性抽出」
パシュッ、と空気を切り裂くような水の音が響く。
俺の魔力は、ターゲットを包み込む「魔毒」と「寄生虫」
さらに血生臭さの原因となる不純な成分だけを特定し、瞬時に分解・消去した。
それと同時に、指先から放った極細の水の槍が、魚の脳天をピンポイントで射抜く。
暴れる暇も、痛みを感じる隙も与えない、完璧なまでの『活け締め』だ。
「……えっ? 今、何が……?」
アクアが瞬きをする間に、一匹の立派な銀色の巨体が、導かれるように波に乗って俺の足元へと運ばれてきた。
俺はそれを拾い上げると、手早く鱗を落とし
先ほど精製したばかりの『純粋な塩』をたっぷりと振りかける。
「ここからが本番だ。アクア、少し熱くなるから下がっててな」
俺は周囲に落ちていた乾燥した流木を集めて山を作ると、パチンと指先を鳴らした。
魔法で空気中から高純度の酸素を抽出し
焚き火の中心へと送り込む。炎は一気に青白く燃え上がり、熾火となって安定した超高温を生み出した。
じゅうううう……っ!!
魚を火にかざした瞬間、猛烈な勢いで脂が弾ける音が響く。
立ち上る煙は、魔毒など一切含まない、どこまでも真っ白で香ばしい芳香。
浄化された塩が炎の中でパチパチと爆ぜ、魚の皮をパリッパリのクリスピー状に焼き上げていく。
滴り落ちる黄金色の脂が炭に触れ、鼻腔をこれでもかと刺激するえも言われぬ香りが辺りに広がった。
「くぅ……っ」
またしても、彼女のお腹が可愛らしく鳴った。
今度は波の音でも隠しようがないほど、はっきりとした音だ。
彼女は耳の先まで真っ赤に染め上げ、ジャグジーの縁からあごだけをちょこんと出して、潤んだ瞳でこちらを見つめている。
「よし、お待たせ。アクア、まずは一口食べてみてくれ」
俺は焼き上がったばかりの身を、指先が熱くなるのも構わず丁寧にほぐした。
小骨を一本残らず取り除き、ふっくらとした真っ白な身を、大きく清潔な木の葉の皿に乗せて彼女の口元へと運ぶ。
「は、はい……。いただきます……っ」
アクアは小さな唇を慎重に開け、その身をハムリと愛らしく食んだ。
───瞬間
彼女の大きな瞳が、こぼれ落ちそうなくらいに見開かれた。
「……っ!? ……ふ、ふあぁぁ……っ!!」
「あっ、熱かったか?!」
「いえ、おいひいです……っ! なに、これ……。身が、ふわふわで……。それに、お塩がすごく甘くて、お口の中でとろけます……っ!」
彼女は咀嚼するのももどかしいといった様子で、夢中で身を飲み込んでいく。
海洋オタクの俺から補足させてもらえば、これはただの塩焼きじゃない。
魔毒を抜く際に、細胞を壊さず活性化させているため、旨味成分であるグルタミン酸が極限まで引き出されているのだ。
そこに不純物ゼロの『究極の調味料』が合わされば、もはやこれは王宮の晩餐すら凌駕する神の料理だ。
「こんなに……こんなに美味しいもの、生まれて初めて食べました……! 海の中では、こんなに美味しいものは食べられませんし…火を通すと、こんなに幸せな味がするのですね……っ」
アクアは潤んだ瞳で俺を見上げ、ハフハフと口を動かしながら、次の一口をねだるように見つめてくる。
その愛くるしい姿は、まるでお腹を空かせた小鳥か、最高に甘え上手な子猫のようだ。
「はは、そんなに喜んでもらえるなら作った甲斐があるよ。まだたくさんあるから、ゆっくり食べてな」
その後も、俺たちは夢中で魚を平らげた。
アクアは一口食べるたびに、歓喜を表現するように尾びれをパシャパシャと跳ねさせ
宝石のような涙を浮かべて喜んでいる。
その無垢な喜びを見ているだけで
数時間前に受けた追放の屈辱や怒りなんて、どうでもよくなってくるから不思議だ。
◆◇◆◇
食後
満天の星空の下、焚き火の爆ぜる音と波音だけが響く穏やかな時間が流れる。
「……カイリ様。素朴な質問なんですが、どうして、わたくしを助けてくださったのですか?」
不意に、アクアが伏せ目がちに、どこか寂しげな表情で問いかけてきた。
「どうしてって……。そこに倒れている人がいたら、助けるのが普通だろ? それに、俺もこの島に捨てられた身だからな。放っておけなかったんだ」
「……捨てられた? これほど素晴らしい魔法を使えるカイリ様が、ですか?」
アクアの瞳に、深い戸惑いと、俺に対する不当な扱いへの憤りが浮かぶ。
俺は苦笑いしながら、自分が「無能」と呼ばれ、家族や故郷から疎まれて追放された経緯をかいつまんで話した。
「信じられません……カイリ様の国の方は、なんて目が曇っているのでしょう。カイリ様は、わたくしたち人魚族の伝説に語られる『海の王』のように慈悲深く、全知全能の方に見えるのに……」
アクアはそう熱を込めて言うと、ジャグジーの中から水に濡れた俺の手をそっと取り、己の柔らかい頬に寄せた。
「あはは……っ、全知全能なんて大袈裟だな。俺はただの海洋オタクだよ」
ひんやりとした肌の心地よい感触と、彼女の一途で熱烈な視線。
あまりの距離の近さに、俺の心臓は再びドギマギと音を立て始める。
「カイリ様。……もしよろしければ、お礼にわたくしの『歌』を聴いていただけますか?」
「歌?」
「はい。わたくしたち人魚の歌は、心を通わせるためのもの……。それと、わたくしの精一杯の感謝を込めて」
アクアが静かに唇を開いた。
次の瞬間───
夜の静寂を鮮やかに切り裂いて、天上の調べのような、透き通った美声が島中に響き渡る。
その歌声が鼓膜に触れた瞬間、俺の『水質浄化』スキルが異常なまでの過敏反応を示した。
(……なんだ!? 魔力の振動数が、さっきまでの数千倍に跳ね上がってる……!?)
驚愕の光景が広がった。
アクアの歌声に呼応するように、周囲に漂っていた重苦しい『魔毒の霧』が青白く発光し、巨大な渦を巻き始めたのだ。
霧がただ浄化されるのではない。
彼女の歌声という特定の振動によって「励起」され
とてつもない純度のエネルギーへと変換されていくのが、俺のスキルを通して視覚化される。
現代知識を持つ俺には即座に理解できた。
アクアの歌声は、魔力の分子構造を極限まで活性化させる「特定の共振周波数」を完璧に備えているのだ。
俺の精密な魔力操作と、彼女の奇跡の歌声。
この二つのピースがカチリと合わさったとき
この島はただのリゾートを越えて、世界を震撼させるような「超科学魔法都市」へと進化する、計り知れない可能性を秘めている。
「アクア……っ!! 君の歌、すごいよ! 歌声も、魂が洗われるみたいに綺麗だし……何より、この力……!」
歌い終え、少し恥ずかしそうに、はにかんだ微笑みを浮かべる彼女。
俺はその肩を抱き寄せたい衝動を抑えながら、確信を持って彼女を見つめた。
この子がいれば、俺は本当に、この絶海の孤島に最強の国を創れるかもしれない。
「ふふっ、カイリ様に喜んでいただけたならとっても嬉しいです」
月明かりの下、アクアの笑顔はどんな真珠よりも美しく輝いていた。