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「んもぅすごく助かった! 橋本さんが近くにいてくれて、本当に良かった」
「いえいえ。藤田さんがいた場所が、俺の実家の傍だっただけですよ。偶然とはいえ、ラッキーでしたね」
額の汗をハンカチで拭いながら話しかけてきた藤田へ、橋本は朗らかに声をかける。こういう偶然はなかなか起こらないものだからこそ、お客様の役に立てて良かったと思う瞬間だった。
「藤田さんを乗せたところなんですが、次の仕事の関係で、あまり遠くに行くことが不可能なんです。申し訳ございません」
「あ、それは大丈夫。とある人との密会に、このハイヤーを使いたかっただけなんだ。そこの交差点を右折して、道なりに進んで」
(密会するだけなのに、わざわざ俺を呼んだというのか――)
言われた通りに、ハイヤーを走らせる。
「タクシーが上手いこと拾えたら、その人がいる場所まで乗せてもらおうと考えていたんだ。だけど急いでるときに限って、ぜーんぜん拾えないもんな」
「あそこは平日、人通りが少ないので、ちょっと難しいかもしれません」
「そうなんだ。次の交差点を右折してから、すぐに左折して。角にあるビルの前に、男が立って待ってるはずだから」
「承知しました」
左ウインカーを出して左折すると、背の高い男の姿が橋本の目に留まった。
「あの人、某団体企業の幹部社員の笹川昴(ささがわ すばる)っていう、喧嘩に強い男なんだ。まぁ見るからにヤバい感じがするせいで、俺が詳しく説明しなくてもわかるだろうけど」
「はあ、そうですね……」
丸いフレームの黄色いサングラスをかけたその男は、アウトレイジ系の映画に出ていても違和感のない風体だった。橋本はドキドキを隠してハザードランプを点灯させて、男の前にハイヤーを横づけしてから扉を開ける。
「昴さん、お待たせ!」
後部座席から、藤田が声をかけて乗るように促すと、男はサングラスを外して颯爽と乗り込む。ルームミラーで腰かけたことを確認後、扉を閉めた。
(うわぁ職業だけでも怖い人なのに、陰険そうな三白眼なんて、絶対に目を合わせたくない!)
「いきなり黒塗りの車で参上って、昇さんってば超絶儲かってるんだろ?」
「儲かってないない! 橋本さん、適当にそこら辺を流しといて」
「承知しました」
ハザードランプを消して、左ウインカーを出し、ハイヤーを発進させた。
「もしこの車を追尾するような車がいたら、うまいこと撒いて」
「でしたら、背後に気を配りながら運転しますね」
稀にこういう注文をつけてくるお客様がいるため、常日頃から前後左右の車について、気をつけて運転している。
「昇さん、この運ちゃんのことを信用してるんだな。どういう知り合いなんだ?」
車通りの少ない場所じゃなく、あえて環状線を選んで走る。適度に車が流れる中を走ったほうが、変な動きをした車が見分けられると踏んだので、言われたとおりに、左車線をそつなく走行させた。
「ちょっと前に、店の売上金を強奪されたって話をしたでしょ」
「あったな。黒幕にお灸をすえる仕事をくれた、例の件だろ?」
「現金をナイスなタイミングで奪取してくれただけじゃなく、犯人の口から黒幕を聞き出してくれたのが、橋本さんなんだ」
「やるじゃん、アンタ。相当喧嘩してきたんだろ? 口を割らせるには、的確に痛いところを突っつかなきゃいけないしなぁ」
三白眼の瞳を細めて、前方にいる橋本をじっと見つめてきたのを、ルームミラーで確認した。
「そんなことはないですよ。ハハハッ……」
「こういうことをするのは、俺の役目だったのになぁ。とっちめられなくて残念だぜ」
「何を言ってんのさ。黒幕を死なない程度にボコったくせに!」
「それよりも昇さん、アレ持ってきたか?」
「もちろん。これを持ち出させたということは、何かあるんでしょ?」
持っていた安っぽい鞄から、藤田が何かを取り出した音を、橋本は耳で聞いた。お客様のトップシークレットな話の内容から、あえてそれを見ないようにする。
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