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天史拾遺長歌集

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天史拾遺長歌集

33 - 小路に立つもの

♥

39

2025年06月04日

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天野商店の店主を務める彼が“それ”と出くわしたのは、ちょうど同じ日の夜半のことだった。


本格的な夏を前に、業務用冷凍庫のメンテナンス等について打ち合わせをすべく、午後より訪れた町の設備会社、その帰路の出来事だという。


『いいですか? まず冷凍機の仕組みとして、冷媒というものがあって』


『霊媒だと? んな話してねぇだろ今』


互いの主張に妥協点を見い出せぬまま、本日の話し合いもお開きとなった。


その旨を報告すべく携帯を取り出したところ、当の娘から“ちょっと出かけます”との連絡が入っていることに気づいた。


なら急ぐ必要もねえかと、ぬるい夜風を浴びながら、落ち着いた足取りで家路をたどる道々のことだった。


「うん…………?」


奇妙なものを見た。


所は“たこやき公園”を抜けた先にある小路。 周辺住民から、生活道路として重宝される手狭な路地である。


行く手に独り、それはひっそりとたたずんでいた。


いや、佇んでいたと言うよりは、わだかまっていたと表すほうが正しい。


まるで陽炎がひょろひょろと差し昇るように、辛うじてヒトの形を取りつくろっている。


「なんだコイツは?」


長いこと高羽このまちに居るが、こんなモノは見た覚えがない。


天眼通てんげんつうを働かせたところ、ようやくそれらしい実態が朧気にも把握できた。


性別は女性のようだが、年頃は定かでない。少女にも見えるし、見ようによっては婦人にも見える。


頭髪は透けるような白銀で、あたかも季節外れの雪景を彷彿とさせた。


装いは──、装いは、形式からして汗袗かざみか。


「………………」


かすか、心胆をえぐられるような気色を覚えたが、それとなくなし平静を保つ。


ともかく容貌を観察しようと努めた途端、うすら寒いものを感じた。


面差おもざしはひどく美しい。


それこそ、ひと目で異性をとりこにし、妬みの類を生じさせるいとまもなく、同性をも魅了しようかというほどの尤物ゆうぶつである。


ただ、双眸そうぼうが尋常ではない。


先方の眼には、執着というものが微々として浮かんでいないのだ。


浮世を渡る上で、煩悩はひとつの動力源となり得る。


欲望を昇華、浄化することは可能だが、それそのものを無くすのは不可能だ。


しかし、女の双眸にはまったく執着それがない。


満悦に足る最期を迎えた野花のばなの類か。


いや違う。


どうやら実情は、それほど小綺麗なものでは無いらしい。


そもそも生前の未練をことごとく断ち切った者が、こうして現世うつしよに留まっているというのは理屈に合わない。


一生涯を終えた者は、程なく“あちら”に迎えられる。


これを己の意思で辞することは非常に難しい。

なけなしの未練でどうこうなるものではない。


冥府の役人はそれほど甘くはないし、職務に怠慢でもない。


それこそ、地に染み渡るような恨み辛みであったり、霊人にはあるまじき絶後の怒りがあって初めて、彼らの嚮導きょうどう一時いっとき、ほんの一時だけ遅らせることができる。


「………………」


彼女から感じる寒気の正体はそれだ。


人ならざる身となった後、何の感懐も持ち得ない者が、こうして現世に居続けることなど断じて出来はしない。


存在するはずの無いもの。存在してはいけないもの。


有り体に言えば、彼女はまさにそういった存在ものに当てはまる。


見方を変えて、“こちら側”の可能性も考えたが、毛ほどの神気かむけも無い。


まだ新米、駆け出しの可能性も勘定に入れたが、ここ最近、特にそういう報告は受けていない。


どうしたものかとあぐねてはみるも、取れる手段として、放置以外にはなさそうだ。


あめの神は、くににあってはあくまでたすけである。


国津神れんちゅうが動いていない以上、独断で事を運ぶわけにはいかない。


産土神うぶすなのかみは元より、土地神や道祖神も騒いでいないようだし、特に危険な存在ではないのだろう。


「あ……?」


そう割り切って彼女の脇を素通りしようとした矢先、左の袖口に違和感を知った。


視線を落とすと、白い指先がこれをキュッと掴まえている。


ひどく頼りのない、振り払えば折れてしまいそうな細指だ。


こちらをぼんやりと見上げる容貌には、相変わらず表情らしい表情はなく。 ただ眠たげな瞳が、あらゆる情緒を置き去りにした瞳が、民家の灯りをチラチラと照り返すのみだった。


「俺はお前さんの父親てておやじゃねえぞ?」


なにをもってそう唱えたのかは判らない。


見ず知らずの相手、それも正体すら知れない存在に、父性から来る情愛を差し向けられるほど器用ではない。


元より、あの跳ねっ返りの面倒を見るだけで手一杯の不精者ぶしょうもんだ。


こんなもん相手にせず、さっさと行っちまやぁいいじゃねえか。


そんな風に自分に言い聞かせてはみるものの、どうしてもその通りにはこなせない。


「………………」


「………………」


夏夜かや小路こみちにおける奇妙な睨み合いは、その後も延々とつづく運びとなった。

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