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何度目かの羊が飛び込んでくる夢のあと。
ようやく旅に出る日が近づいてきた。
だが、準備が整っていない気がする、と蓮太郎は思っていた。
荷物はそろっている。
だが、ラブラブになれていない。
仕事も土日にかからないよう調整した。
だが、ラブラブになれていない。
大野に行ってくれと頼まれたらしいコンパも止めた。
だが、ラブラブになれていない。
止めるのに、結構すったもんだしたのにな、と蓮太郎は思う。
「コンパに来るような男は、油断ならないぞ。
ロクなもんじゃないと思う」
「いや、あなたも来てましたよね……」
「自転車の奴みたいな、いい奴が来るかもしれないぞ。
危険じゃないか」
「いい人が来るのになにが危険なんですか?」
「お前が俺との愛人契約を破って、そいつを好きになるかもしれないじゃないか」
「……そういえば、呑みに行ったんですか? 自転車の人と」
「行った」
そんな会話のあと、なんとか止めたと道馬に言ったら、
「よくそんなんで止められたな。
っていうか、名前、覚えてやれ、自転車の人」
と言っていたが。
ラブラブになる努力は一応した。
どんなに忙しくとも寝る前には、メッセージのやり取りをするようにしたのだ。
だが、朝、冷静に見ると、その内容が毎度、しょうもない。
「家に帰ったら、ムカデが死んでいました(ハート)
季節の移ろいを感じます」
まあ、ムカデ、夏の季語だしな……と思いながら、
「何故、そこで、ハートマークだ」
と訊いてみた。
「いや、ショックをやわらげようかと」
蓮太郎は朝日の中、珍しくメッセージにハートマークがついているのに、なにもラブラブな感じがしない、と思いながら、スマホを見つめていた。
またある日には、
「昨日一緒にスーパーに行って買った手抜きプルーン美味しかったです」
と唯由が報告してきた。
「タネ抜きプルーンでは……」
仕事が忙しくあまり会えないので、らしくもなくせっせと平安時代の公達のように文(?)を送っているのに、どうも思っているような展開にならない。
しかし、手抜きプルーンか。
手抜きが上手いのは、早月さんでは……。
朝、研究棟の前の自動販売機に向かいながら、そんなことを思っていたせいだろうか。
本館に向かう道に、早月の幻が見えた。
ナース服を着ている。
「あら、蓮太郎くん」
早月は若いナース服の女性と人の良さそうな医者っぽいおじいちゃんを従えて歩いていた。
「……早月さん、何故、此処に?」
と驚き訊いた蓮太郎の後ろから、さらに驚いた声がした。
「潔子?」
背後に道馬が立っていた。
「あら、道馬さん。
こんにちは」
と普通に道馬に挨拶している彼女は、道馬の元カノだと名乗る。
「何故、此処に」
と蓮太郎と同じことを道馬が問うと、潔子は、
「血を抜きに来たの」
と言う。
すると、早月が後ろから潔子の両肩に手を置いて言った。
「血を抜きに来た人について来たの」
潔子がそんな早月を振り返り、文句を言う。
「師長~っ。
なに自分だけ仕事すまいとしてるんですか~」
「いやいや、私、唯由と蓮太郎くん見に来ただけだから」
そういえば、今日から健康診断だったな、と蓮太郎は思い出す。
うちの会社の健康診断やってんの、早月さんとこの病院だったのか……。
普段はわざわざ忙しい師長が来ることなどないだろうから、今まで見たことがなかったのだ。
今年は、娘と娘にひっついている怪しい男が、この会社に勤めていると聞いて来てみたんだろうな……。
そう思ったとき、
「あれっ、早月ちゃんだ~」
と手を振りながら、研究棟から紗江が現れた。
「やだ、紗江ちゃんっ?
この会社にいたの?」
「お知り合いなんですか?」
と蓮太郎が訊くと、
「中学と高校が一緒だったの」
と二人は言う。
同じ私立の名門女子校に通っていたらしい。
「いや~、元気~?
なんで、此処いるの?」
「嘘っ。
唯由ちゃんのお母さんって早月ちゃんなの?」
きゃっきゃ、と女子高生のように、はしゃぐ二人を離れた位置から唯由が見ていた。
回覧板を手にしている。
移動中たまたま通りかかったようだ。
「あの……
紗江さんって、一体、お幾つなんですか?」
禁断の質問をショックのあまり、唯由は口にした。
「干支は唯由ちゃんと一緒かな~?」
紗江はそんな曖昧なことを言って、
「二周り違うでしょうが」
と早月に言われている。
ははは、と二人、笑っていた。
「び、美魔女……?」
と唯由が呟く。
いや、美魔女というより、ふわっと可愛い感じで年がわからないというか。
うちの親と並んでたら、完全に親子だけどな。
そう思いながら、はしゃぐ二人を眺めている唯由を、蓮太郎は眺めていた。
「だってさー。
家事とか娘に頼んだら、お小遣い渡したり、気を使ったり大変だからさー。
便利家電で済ますのが結局一番、安上がりなのよー」
昼休憩に入った早月が辺りのものを片付けながらそんなことを語っている。
なるほどなるほど、と血を抜かれた紗江が白衣の袖を元に戻しながら聞いてた。
だが、同じく血を抜かれた唯由は、
待ってください。
いつ、気を使ってくれましたか……と思っていた。
その横で、やはり、血を抜かれた蓮太郎が、
「紗江さん、白衣は来てこない方が。
さっき紗江さんの前にも列ができてたじゃないですか」
と言う。
あのあと、更に二人、看護師さんが助っ人にやってきた。
採血がはじまると、それぞれの看護師さんの前に血を抜かれる人々の列ができる。
「私が一番人気だったわね。
まあ、当然だけどっ」
と早月が威張る。
「まあ、大抵、一番年の人のところに並ぶよね~。
ベテランっぽくて痛くなさそうだから」
うっかり真実を告げた娘は睨まれた。
「そうですねー。
そうやって片寄ってしまうので、均等にお並びくださいと声はかけるんですけどねー」
道馬の元カノ、潔子が苦笑いして言う。
おとなしそうで可愛い人だな。
こういう人が道場さんの好みなのか~。
月子とは全然違うタイプだな、と唯由は彼女を観察する。
でも、さっき、道馬さんの採血しながら、道馬さんに毒を吐いていたから、おとなしそうだけど、一癖あるタイプなのかも。
だったら、月子、いけるかもっ!?
なんだかんだで妹に幸せになって欲しい唯由は潔子を眺めながら、そんな希望を抱いていた。
採血が昼をまたぐので、早月たちには仕出し弁当が出た。
健康診断を取り仕切る人事の部長が、
「お母さんが来てらっしゃるのなら、ここで一緒に食べたらどうだね」
と言ってくれたので、唯由たちも一緒にコンビニ弁当を買ってきて食べる。
唯由と蓮太郎が旅行に行く話や実家の話を興味津々聞いていた潔子が、
「お二人は許嫁とかなんですか?」
と目を輝かせて訊いてきた。
……許嫁、と二人はお互いの顔を見る。
家の格も釣り合っているし、そうであってもおかしくはないのだが、違う。
というか、私が許嫁とかいう健全な存在だったら。
この人は後継者に選ばれないようにするために、他に愛人を探してたんだろうな、と唯由は、ちょっと寂しく思っていた。
そうだ。
雪村さんは、別に私がスキャンダルの相手じゃなくてもいいんだよね。
クジ運の悪い下僕が都合よく、側にいただけで。
ってことは、今回、一緒に旅行行くのも、あのとき、雪村さんが違う番号言ってたら、他の女性だったわけだよね……。
紗江や道馬が聞いていたら、いやいや、と手を振りそうなことを思い、唯由は悲しむ。
「普通の人間、愛人になれとか、阿呆な申し出受けないから」
二人に話したらそう言ってくれていただろうが、唯由は口に出しては言わなかった。
そこで、蓮太郎が言う。
「許嫁とかではない。
俺の見合い相手は、こいつの妹だし」
雪村さんっ、『愛人』という言葉を出さなかったのは偉いですけどっ。
チョイスするワードをいろいろ間違ってますっ。
「ええっ?
じゃあ、略奪愛ですかっ?」
と他の看護師さんたちも身を乗り出してきた。
いやいや。
愛人で下僕な私が、ご主人様を見合いにより略奪されるところだったんで、どちらかと言えば、逆なんですけど、
と唯由は思っていたが、話がややこしくなりそうだったので、黙っていた。
弁当箱を片付けながら、早月が言う。
「そんな器用なこと、唯由にはできないわよ。
私の娘ですものね。
……我々はいつも、略奪され、搾取される側……」
搾取はされてませんっ。
どす黒い話題になりそうな気配に、みんな青くなる。
「さ、さあ、お昼からも頑張りますか~」
と言いながら潔子が弁当を片付け、紗江が珍しく怯えたように、
「じゃあ、戻って仕事するよ~」
と言って立ち上がっていた。