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「なんか、おまえ上手くなってねえ」
「そんなことにゃい。ボール蹴ることが久しぶりなんだし」
俺が蹴ったボールを、瑞奈がトラップする。ぴたりと足もとにおさまっていた。
昨夜はご厚意に甘え、瑞奈の家に泊まらせてもらった。お父さんのパジャマまで拝借し、おしかけたにもかかわらず至れり尽くせりで、瑞奈のご両親には頭が上がらない。そうして、朝食後の早い時間帯から、近くの運動公園で瑞奈とボールを蹴っている。
呼吸をする度に、酸素が体内をめぐり脳が冴える。気持ち良かった。ぼむっ、とボールを蹴る弾音も、東京で聞くそれとは、気のせいか違って聞こえる。俺ばかりかボールまで喜んでいるみたいだ。
瑞奈が足を交差させながら蹴る。プロサッカー選手のようなラボーナという蹴り方だ。トラップするやバックスピンがかかった。繊細な足もとの技術がないと蹴れない類のパス。しかもラボーナで。
「やっぱ上手くなってるよ」
心が弾んでいた。こうやってサッカーができるのだから、瑞奈の病状は良くなっているのでは。ALSは一時的な診断で、少し休んだら今までどおりの日常がやってくるのではないだろうか。
「川南ちゃん、何か言ってた?」
瑞奈がボールをリフトアップし、額の上にのせる。そのままボールを落とさないようにバランスをとりつつ、喋りかけてきた。額にのせることは俺でもできるが、話しながらは無理だ。
「準決勝で負けたら承知しない、って凄まれたよ。あと、相手キーパーの攻略アドバイス」
「結構ズバッと言うでしょ、川南ちゃん」
瑞奈はまだボールを額の上にのせている。陽の光を浴びた瑞奈はどこか神々しい。サッカーの神様に愛された天使みたいだ。
「怖いくらいだったよ。もし準決勝で負けてたらビンタされてたかも」
「ビンタじゃ済まないなー」瑞奈が、にいっと笑みを刻んだ。「刺しちゃうかも」
物騒なことをあっけらかんと口にした瑞奈は、ポンポン、と額でボールをリフティングする。まさにボールと一心同体だ。
「どうして川南は、あんなにもおまえに執着するんだ?」
「ん、川南ちゃんとはね、さかのぼれば小学校の頃からだしにゃあ」
「そんなに古いのか」
てっきり中学や高校時代からだと思っていた。
「まあね」
ボールを足もとにおさめた瑞奈が遠くを見つめる。
「川南ちゃんはさ、うちの隣りの学区に住んでいたんだ。小学校は違うけど、入ってるサッカーチームは一緒だったにょ。あの頃から川南ちゃんは超上手かった」
「おまえもめちゃくちゃ上手いだろ」
「違う。違う」
瑞奈が顔の前で手を振る。謙遜じゃなくてマジ振りだ。
「川南ちゃんは別格。背も高いし、男子にあたり負けしないどころか、逆に男子を吹っ飛ばして泣かしてた。テクニックもあるし、プレーの視野も広い。川南ちゃんにパスすると、ばんばんゴールに繋がってた。でもね――」
瑞奈の視線が下がる。ボールを見るともなしに見ている感じだ。ぱちぱちと瞬きをする。瞳が揺れ、止まった。
「セレクションがあった。五年生にあがる時」
声が小さくなる。
セレクションとは、サッカーが上手な子供の中から、より巧みな子供を選抜することだ。大方が、各チームから推薦された子供たちが一堂に集められ、試合をする。その試合の中で将来の伸びしろがある子供だけが選抜され、よりレベルの高いチームでのプレーや練習を経験する。
「今だったら大問題ににゃるんだろうけど……、女子がセレクションで合格できる枠が、どうやら一人だけだったみたいにゃのよね。超不平等。だから、あたしか川南ちゃんのどちらかしか選抜されにゃい」
「それは……」
続ける言葉を飲み込んだ。当時の瑞奈と川南にとって、納得できるものではなかっただろう。二人とも選抜されるべき逸材なのだから。
「で、あたしが合格しちゃった……。セレクションの時、川南ちゃんはゴールを三点決めた。だけど、その三点は全部あたしからのパスだったの。おまけにあたし、何だか絶好調で……川南ちゃんを経由しないで四点取っちゃった」
凄い。この頃から無双してやがる。
だが、語る瑞奈の表情には何一つとして浮かれたものはない。むしろ、辛い思い出を吐露するみたいに、眉間には皺が寄っていた。
「川南ちゃんはセレクションの不合格通知後、一家そろって引っ越した。チームにもあたしにも何も言わないで。それで、次に会ったのが中学の時だった。川南ちゃんは東京のクラブチームにいた。前みたいにきゃいきゃいできなくなってたにょ……」
瑞奈がリズミカルにリフティングをしだす。ボールを蹴るといつも笑顔になるのに、表情は硬いままだ。
「決勝は出るんだろ?」
ボールが、落ちた。
てん、てん、てん、とボールが転がって、俺の足もとに来た。珍しいな、瑞奈がミスるなんて――
「あたし、あとちょっとで死ぬ……にょ」
「……は?」
瑞奈の顔をまじまじと見る。
俯いていた顔を徐々に上げる瑞奈。頬を涙が伝っていた。瞳がぷくりと膨らむや、破れ、伝い、雫が顎先から地面に落ちていく。
「進行性球麻痺型のALSである疑いが強いって」
瑞奈の声がやわららかく届いてくる。『死ぬ』とか『進行性』とかネガティヴな単語が混じっているのに、彼女は落ち着いていた。
一方の俺は……嵐に見舞われていた。真っ青な空と煌めく太陽の陽ざしが、貧血時みたいに一瞬にして灰色に染まった。膝が震え、腰からすとんと落ちかけた。
「進行性球麻痺型のALS……?」
「そう。かにゃり進行が速いALS。発症から三か月以内で死亡することもあるにょ。舌の萎縮や構音障害、いわゆる言語障害が見られやすい……あたし自覚ある、上手く喋れてにゃいって」
見えない槍で心臓を突かれた気がした。
瑞奈の発声は、時々『にゃ』や『にょ』になる。
「だからね、もうサッカーはできにゃいぞ」