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文化祭まで、あと一週間。
『不思議の国のアリスカフェ』の準備は着々と進み、教室には不思議な時計、うさぎの置物、トランプ兵のシルエットが壁に並んでいた。白と青を基調にしたファンタジーな空間の中で、仁人は、ある衣装に袖を通していた。
アリスのドレス。
ブルーのワンピースに白いエプロン、ふわりとした金髪ウィッグ。
その姿を鏡に映した瞬間、仁人は思わず言葉を失った。
(……似合ってる、って思っちゃうの、悔しい)
小さな頃のあだ名、“じんちゃん”。
太智の前では、なぜかその呼び名の響きだけで胸が痛くなった。
「じんとー、準備できた?」
教室のドアが開き、太智が顔を出す。
仁人を見た瞬間、その目が大きく見開かれた。
「……うわ、めっちゃ似合ってる……!」
「もう、見すぎ。やっぱりこれ、恥ずかしいよ……」
「そんなん言うなや。うち、自慢したなるくらいやもん」
以前よりも、太智の言葉はまっすぐになった。
“仁人=じんちゃん”だと気づいた太智は、それからずっと仁人に対して素直だった。
ただのクラスメイトとしてではなく、かつて“結婚の約束”を交わした相手として。
それが何だったのか、今になってようやく理解しはじめている──そんな空気があった。
「なあ、今日のポスター撮影、うち付き添ってもええ?」
「……うん、構わないけど?」
「よっしゃ。隣におれるとか、役得や」
仁人は苦笑しながらも、太智の隣に並ぶと、不思議な安心感を覚えた。
──でも、その姿を見ていた視線があった。
少し離れた特進クラスの扉の陰。
そこから覗くように、勇斗が仁人のアリス姿を見ていた。
「……ほんとに、可愛いんだよな、仁人って」
小さく呟いた声は、誰にも届かない。
勇斗は気づいていた。
太智と仁人の間に流れる空気が、昔からの時間の積み重ねでできていることを。
──それでも。
(俺は、まだ終わってない)
文化祭は、まだ始まってすらいない。
文化祭三日前。
『不思議の国のアリスカフェ』の設営も佳境に入り、クラスの士気は日に日に高まっていた。
ティーテーブルやチェシャ猫の吊り飾りが次々に設置されていく中、ポスター用の写真が昇降口に掲示された。そこには、仁人演じるアリスが微笑む姿と、カフェの装飾の一部が写っていた。
「やっば、めっちゃ本格的! 」
「これ、吉田くんらしいよ?」
「マジで!? もはや女子じゃん!!」
廊下は早速騒然となった。
「……仁人、やっぱすげぇな」
クラスの中で仁人を見つめながら、太智はぽつりと呟いた。
撮影中、緊張した様子だった仁人がカメラマンに言われるままにポーズを取って、表情を変えていく姿。そのひとつひとつが、太智には今も焼きついて離れなかった。
「……どきどきするん、なんでやろなあ」
いつも一緒にいるくせに、距離が近づくと心がざわつく。
──でも、それは太智だけじゃなかった。