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夜の帳が降りて、地方ライブが終わったホテルの部屋には静寂が戻っていた。部屋の中は、温かい照明が柔らかく灯り、壁の薄いビジネスホテル特有の空気が、かえってふたりの距離を意識させる。
ベッドはツイン。
カイは左側のベッドに腰を下ろしていた。
スマホを見つめていたが、画面に集中するふりをしているだけで、実際には、風呂場の中から聞こえてくる水音に神経を持っていかれていた。
――ハルの肌が、今あの扉の向こうで濡れている。
そんなことを考えてしまう自分に、カイは小さく舌打ちする。
「……バカだな、俺」
そしてしばらくして、風呂場のドアが開いた。
もわっとした湯気のなかから現れたハルは、上はTシャツ、下はハーフパンツという部屋着姿。
濡れた黒髪が額にかかり、肌は火照って少し赤らんでいる。
浴びたばかりの湯の匂いが、部屋にふわりと漂った。
「ふー、さっぱりした……カイくん、次どうぞ」
「……ああ、ありがと」
カイが立ち上がると、すれ違いざま、ふとハルの腕に触れた。
細い。
けれど、ダンスで鍛えられた筋肉の芯がある。
無意識にその感触を確かめるように指を這わせてしまい、ハルがびくりと肩をすくめた。
「……なに、今の」
「……いや、ごめん」
ハルはカイの顔をじっと見てから、少しだけ唇を噛んだ。
「カイくん、さっきから……なんか変ばい」
「……そう見える?」
「おれ、鈍かごたるけど……カイくんの目、さっきからずっと俺んこと、見とるやろ?」
その一言で、抑えていたものが溢れた。
風呂には入らなかった。
代わりに、カイはハルの肩を掴み、そのままベッドに押し倒していた。
「……ほんとは、ずっと前からこうしたかった」
「カイくん……」
「好きだよ。誰にも渡したくない。誰にも見せたくない」
ハルの目が潤む。
「……俺で、よかと?」
「お前じゃなきゃだめだ」
ハルは、ゆっくりと目を閉じた。
カイはハルの頬を指先でなぞり、首筋へと口づけを落とす。
湯上がりの肌は火照っていて、触れるたびにハルが小さく震えた。
「……くすぐったか」
「我慢して。もっと、感じさせたいから」
カイの手が、Tシャツの裾をめくり上げる。
あらわになる腹筋。
キスを落としながら、肌の温度を確かめ合うようにゆっくりと舌を這わせると、ハルは低く息を呑んだ。
「……っ、カイくん、そぎゃんとこ……っ」
「声、我慢しないで。聞かせてよ、ハルの全部」
そこから先は、ふたりの世界だけが静かに深く沈んでいった。
ベッドがきしむ音、重なる吐息、ぬるんだ熱。
交わされるキスは、愛しさと欲しさが混じって、何度も何度も繰り返された。
ハルの熊本弁が、甘く崩れて耳元で囁かれるたびに、カイは何度も限界を超えそうになる。
「……好きばい、カイくん……だいすきっ……」
「俺も、お前だけだよ……」
夜が更けるほど、ふたりの距離はなくなっていった。
月が静かに照らすホテルの窓の外。
その明かりだけが、ふたりの秘密の時間を、優しく見守っていた――。
夜が深まりきった頃、部屋の中はまるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
壁掛け時計の秒針だけが、規則的に響く。
ベッドサイドのランプの灯りはいつのまにか消されていて、代わりにカーテンの隙間から漏れる月明かりが、薄く白い光を床に描いていた。
ふたりの体は絡み合い、熱を放ったままシーツに沈んでいる。
かすかに汗ばんだ肌が布に張りついて、動くたびに擦れる音が小さく鳴った。
ハルはカイの胸元に顔をうずめて、呼吸を整えるようにゆっくりと吐息を繰り返している。
その髪に手を差し入れて、カイは指先で優しく梳いた。
「……大丈夫? 痛くなかった?」
ささやくような声に、ハルはこくりと小さく頷く。
「……うん、大丈夫。カイくん、優しかったけん……」
「そっか……よかった」
暗がりの中、ふたりの輪郭が月明かりに淡く照らされて、浮かび上がる。
カイは、もう一度ハルの額にキスを落とす。
そこはまだ少し熱く、彼の鼓動が近くにあることを感じさせた。
「……信じられんくらい、嬉しかったと。カイくんが、俺のこと……好きって言ってくれて」
「俺こそ、やっと言えた。こんなにずっと思ってたのに、言えないまま、我慢してたから……」
「我慢、しとったと?」
「ああ……お前、かわいすぎて、どうにかなりそうだった」
「……ばか」
ハルはくすっと笑い、カイの胸に手を置いた。
そのまま、ふたりは静かに目を閉じる。
何も言葉を交わさなくても、肌と肌で、互いの温度を確かめ合っていた。
外の月はさらに高く昇り、窓の向こうに銀色の街が広がっていた。
翌朝。
淡いオレンジ色の朝日が、遮光カーテンの隙間から差し込む。
それは、夜の間に交わされた秘密を包み込むように、優しく空間を染めていた。
ハルが最初に目を覚ました。
まどろみの中で、隣にある温もりに気づき、目をゆっくりと開く。
カイが、自分の腕の中にいた。
穏やかな寝顔を見つめながら、ハルはそっと指先を伸ばして、その頬に触れる。
「……寝顔、かっこよすぎやろ……ずるか……」
ぽつりとこぼした言葉に、カイが目を細めた。
「……起こすなよ、ハル」
「……もう起きとったと?」
「お前が、可愛すぎて寝てられないんだよ」
照れ隠しのようにそう言って、カイは腕を伸ばしてハルを引き寄せた。
朝の空気はひんやりとしていたが、ふたりの間には温もりがしっかり残っていた。
「なあ、ハル」
「ん?」
「今日からは……恋人ってことで、いいよな?」
「……うん。こぎゃん気持ち、嘘つけんけん」
そう言って微笑んだハルの目は、少し潤んでいた。
けれど、それは悲しみではなく、確かな「しあわせ」のにじむ光。
カイはハルの唇に軽くキスをして、そっと囁いた。
「これからも、俺の隣にいて」
「うん。ずっと、そばにおるけん」
誰にも見せない、ふたりだけの朝が始まっていた――。