コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
世間はバレンタインも過ぎて春の到来に向けて準備をする時頃。物々が散乱した部屋の机の上には、板のチョコレートが3枚ほど積まれていた。
ああ、また無駄になった。
昨年のクリスマスより少し前、俺の隣には彼がいた。綺麗に片付けられた俺の部屋を彼は我が物顔で寝具に横たわっている。そんな様子は毎年のように繰り返されていた。
「なぁ、もうクリスマスだよ。」
彼は俺に対して語りかける。
「だからなんだよ、非リアだって罵りたいなら効かないね。」
「ほんとにー?」と揶揄うように彼は呟く。
「そもそも、お前も同じだろ。非リアと非リアが罵り合ってても惨めなだけだって。」
「言うね〜イオちゃん。」
「だーかーら。その呼び方やめろ、女じゃねーんだから」
「ごめんごめん」と笑いながら彼は表面だけを謝らせる。ホント、ヘラヘラしてる奴。
「そもそも、俺は一旦置いといて、お前はモテるだろ?なのになんで彼女作んないんだよ」
俺が軽く聞くと、彼は一瞬だけ面を固める。穏やかに目を閉じて、言葉を綴る。その表情は少し切なそうに見えた。
「まぁ、俺はイオちゃんさえいればいいから。」
「だからやめろって……。」
自然と会話が止まる。俺の本棚を物色して発掘した本を眺める彼の横顔はとても奇麗だ。俺の視線に気付いてか、彼はわざとらしく俺に向けてウインクをする。
「いらんいらん」と断る。彼はヘラヘラと笑って本に再び目を移す。
(……ほんと、何も考えてない変なやつ。)
「なぁ、クリスマスどうする?」
「どうせ何も言わないでも集まるでしょ、俺ら」
彼は笑う。いつも通りの光景だ。そんないつも通りに、俺は何よりも強い多幸感を感じた。
その後、流れるようにクリスマスイブに俺の部屋でと約束し、適当に過ごしたあと彼は帰っていった。
俺は知らなかった。彼の気色悪いほどに奇麗な笑顔には、俺にだけ知らされなかった隠し事があることに。
行き着く12月24日
彼は俺の家に来なかった。
どうせ女と予定でも入ったのだろう。そうと考えて、俺はあまり気に留めなかった。
思えば、あそこで気にして彼に連絡すればよかっただろう。
彼……荒木と出会ったのは中2の頃。
俺は当時、厨二病を拗らせ授業をサボっては施錠された屋上前の踊り場で過ごしていた。そんなある日、いつも通り適当に過ごしていると同じくサボりに来た彼が現れて、流れで会話していたらサボり仲間になったということが始まりだ。
荒木の第一印象は「The一軍」。セットされた髪の毛に着崩された制服、ヘラヘラといつも片方の口角が上がっている表情。学校で友達がいなくて孤独だった俺からして、彼は対極の存在と感じた。でも、何故か苦手な感じはしなかった。
初めて出会ってから、俺と彼はよく1日の1時間程度を過ごすようになった。最初こそあまり気分が乗らなかったものの、彼の明るい性格に溶かされた俺はいつしか心を開いていくようになった。
そんな中、ふと気になって、一度だけ彼に聞いたことがある。
『なぁ、荒木ってなんで授業サボってんの?』
友達も多く、頭も良い方な彼に対して、誰もが抱いた疑問だろう。俺の質問に対して、彼は「んー」と唸り考える様子を見せる。3秒ほどした頃、彼は口を開く。
『俺、義務教育で収まっていい器じゃないから』
何言ってんだ、と思った。というか言った。そんな俺の様子に向けて、彼はどこか安堵に近い表情を見せていることに俺は気づくことはなかった。
その後、彼とは同じクラスになることはなくて、頭の良さも違ったので高校も別だった。それでもお互い妙な安心感を感じていて、俺達の関係は途切れなかった。
そんな俺達はお互いのことを全然知らない。アイツの名前は荒木。でも下の名前は知らない。聞いたことがある気はするが、覚える気がないので知らない。多分アイツも俺の苗字を知らない。
そのような適当な関係がどうも心地よくて、中学卒業後もよく互いの家に入り浸っては意味のない時間を過ごす日々を送っていて、それは大学生になった今でも続けられている。
クリスマスが過ぎ、彼から連絡が来たのは正月の三が日の終わった後だった。「ごめん」とだけ入れられたメッセージに怒りにもならないようななんともいえない感情を抱く。
「次来るとき何か買ってきて」と返信すると、彼から「OK」と文字にイラストが飾られたスタンプが送られる。いつもなら意味もなく続く会話はそこで終わった。
(珍し、コイツがスタンプ一つなんて)
(やっぱ彼女でもできたのか?いいねー。モテ男さんは)
そんなことを考えながら、俺は買い物のためにスーパーを歩く。そうしていると一つのコーナーが目に止まる。
可愛らしいポップアップが飾られ、見るだけで胃が重たくなるような甘味が並べられている。ポップアップには「バレンタインフェア」という文字が刻まれていた。
俺がまだゆっくりと生き長らえている間に、世間にはバレンタインの時期が到来していたらしい。
思えば無縁な人生だった。友達すらあまりいなくて、そういう文化に興味がなかった理由もあり、俺は貰うことも与えることもなかった。
(……そうだ。)
(これをアイツに渡したら、どんな反応するかな)
(もしほんとに女がいるなら、これを渡すことで関係が壊れるかもしれない。)
いい気味だ。妙に興味を惹かれたこともあり、俺はそのコーナーから3枚ほどチョコレートを手に取った。
バレンタインの3日前。俺が贈り物の作り方を調べている頃。アイツの母親から
アイツが危篤状態になったと連絡が来た。
『天国ってどんな場所なんだろ』
『心配しなくても、お前は地獄行きだから安心していいよ』
『はー?ならお前こそ安心しな。そっちでもぼっち回避させてやるから』
2月14日、大学の入学式に買ったスーツは、少し小さくなっていた。
彼の名前は見なかった。
名前を知ってしまったら、俺の中でアイツが完結してしまうと思ったからだ。
彼の家族が言うには、アイツは生まれつき重い病気を患っていたらしい。そして、12月23日あたりからそれが悪化し、入院し始めていたらしい。
俺には持病の存在すら教えてくれなかったのにね。きっとアイツのことだから、無駄な心配はかけたくなかったのだろう。
色々の片付けが終わり、当たり前のような日常が戻ってきた3月14日、彼の家族から手紙を渡された。
ハードディスクは俺が壊す前に廃棄されたよ。今更何のことだ。
そう思いながら確認した手紙の宛名には、「美和理へ。」と綴られている。
「……なんだよ。」
「いつも、やめろって言ってもやめなかったくせにさ。」
俺、あんなこと言ってたけど、お前に呼ばれるのは嫌いじゃなかったよ。
1年後。世間は春へと移行していき、街のポップアップは青と白で「ホワイトデー」と刻まれている。
すっかりと日常が戻り、あの時泣き崩れていた人々も今では笑って過ごしている。
そんな中、一人取り残された俺がいた。
俺はまだ、アイツの名前を知らない。