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6
――夜。
真っ暗な部屋の中に、窓の外から黒い人影の視線が感じられた。
カーテンを閉めた向こう側に、闇よりもなお黒々としたその姿が浮かんでみえる。
俺はベッドの上に横になりながら、ぼんやりとその黒い影を見つめ返した。
ゆらり、黒い影が小さく揺れる。
「……お前、いったい誰なんだ?」
茜はイヌみたいだといっていた。
もしそれが本当なら、心当たりがないわけじゃない。
けど、確証があるわけでも当然ないわけで。
ゆらゆらと揺れるその黒い影は、ただ、じっと、俺を見つめるだけだ。
その昔――俺が中学に上がるか上がらないか、それくらいの歳の頃。
飼っていた犬が病死した。
生まれた時からずっと一緒だったその犬――マルクとは兄弟のように育ってきた。
たぶん、マルクは自分のことを人間と思い込んでいたのではないか、そんな素振りを見せることが多々あった。
まるで喋るように吠え、唸り、遊び、俺の兄か弟であるかのように常に俺のそばにいてくれたマルク。
当然、俺はマルクが死んで大いに泣いた。
兄弟のいない俺にとって、確かにマルクは俺の兄弟だった。
医者にもどうすることもできなかった。
悪性の腫瘍が至る所に転移し、もはや手が付けられない状況になっていたのだ。
それに気づいてあげられなかったことを、俺も、父母も、今に至るまで、ずっと後悔し続けている。
母に至っては、あれ以来、もう二度と動物は飼わないと誓ってしまったくらいだった。
あれから、十数年。
もしあの黒い人影が、自分のことを人間だと思い込んでいたマルクの霊の成れの果てなのだとしたら……?
そんな妄想なんかしていると、不思議に黒い影に抱いていた恐怖というものが薄れていった。
「――お前、マルクなのか?」
黒い人影が、ゆらゆら揺れる。
それはまるで、俺の問いかけに応えてくれているかのようだった。
「俺に、会いに来てくれたのか?」
また、ゆらゆら揺れる。
「……」
俺は無言で、黒い人影のうつるカーテンを見つめていた。
……でも、だとして、なんで今頃になって?
どうして十数年も経った今頃になって、俺の目の前に現れたというのだろうか。
何か思い残すことがあった?
マルクの命日か何か……ではなかったと思うけれど。
こんな形になって、俺の元に十数年ぶりに現れる理由が、全く思い浮かばない。
「……お前、本当に、マルクなのか?」
返事はない。
ゆらり、ゆらり、何度も何度も、揺れている。
せめて鳴き声とかでもいいから、返事してくれたら確信できるんだろうけれど。
俺は大きくため息を吐いて寝返りをうった。
カーテンの方に背中を向け、瞼を閉じる。
――ガルルルルル
そんな唸り声が、カーテン越しの窓の外から聞こえてくる。
まさか、マルクの唸り声?
俺はばっと上半身を起こすと、もう一度窓の方に顔を向けた。
「――っ!」
そして思わず、息を飲んだ。
カーテン越しに、でかでかと、あの黒い人影が窓いっぱいに見えていた。
鉤爪の生えた両手を大きく広げ、まるで今まさに襲い掛からんと身構えているかのようだった。
――ガルルルルル
また、唸る声がする。
「な、なんだよ、お前――いったい、なんなんだよ!」
俺は、恐怖しながら叫んでいた。
背後の壁に背を預けるようにして、両手で身体を引きずるように、あと退る。
そんな俺の姿に、にんまりと、黒い影が笑ったような気がした、次の瞬間。
――ガウッ! ガウガウッ! ガウッ!
犬の吠え猛る声が聞こえてきたかと思うや否や、その黒い影はふっと姿を消してしまったのだった。
あとに残されたのは、ただしんと静まり返った、真っ暗な部屋だけだった。
「……えっ」
黒い人影は消えていた。
あの犬の声も、まるで聞こえてこなかった。
「な、なんなんだよ、いったい――」
俺は戸惑いながらゆっくりと立ち上がり、カーテンに足を向ける。
へっぴり腰になっている自分を叱咤しつつ、思い切って、カーテンをわずかにそっと開いた。
「……?」
けれどその向こうに見えたのは、いつもと変わらない、住宅街の夜の姿だけだった。
そこにはもう、黒い人影など、どこにもなかった。
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