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翌朝。俺は二週間ぶりに、すっきりとした朝を迎えることができた。
改めてカーテンを全開し、あの不気味な視線のないことを確認する。
やはり、どこにもあの黒い人影の姿はどこにもなかった。
俺はほっと安堵し、けれど疑問に思う。
結局、あの人影は何だったのか?
茜が犬のようだというから、俺はてっきり昔死んだうちの犬、マルクの霊か何かなのだと思ったのだけれど――あの感じだと、もしかしたら違ったのだろうか?
……わからない。
人影が消えたのは喜ばしいことだが、今度はあれがなんだったのか、気になってしかたがなかった。
俺は仕事を終えた夕方、再び魔法百貨堂を尋ねてみた。
仕事の間も、あの黒い人影の姿はおろか、視線を感じることも結局なかった。
がらりとガラスの引き戸を開けて中に入ると、パタパタと足音が聞こえ、店の奥へと続いているのであろう暖簾をくぐって、
「いらっしゃいませ。どのような魔法をお探しですか?」
真帆さんが姿を現した。
「あら、こんにちは。その後どうですか?」
訊ねられて、俺は昨夜の出来事を軽く話した。
すると真帆さんはうんうんと何度か頷いてから、
「あぁ、やっぱり」
納得したように口にした。
「やっぱり? どういうことだ? わかってたのか? あいつが消え去るのが」
「わかっていたというか、勘ですかね?」
「勘?」
「そう、勘」
「茜もいってたけど、勘でどうにかなるものなのか?」
「勘ではどうにもなりませんねぇ」
「じゃぁ、どういう意味だよ」
「そうですねぇ」
真帆さんは指先を口元にあてながら、
「昨日、わたしがこの店に帰ってきたとき、見たんですよ」
「なにを?」
「黒い影を。お店の外で」
「えっ」
俺は思わず目を見開く。
「あの、黒い人影を?」
「はい、この目でしっかりと。もっとも、私に気付いてすぐに隠れてしまいましたけれど」
「あ、あいつは、結局なんだったんだ?」
「ドッペルゲンガー、ですね」
「ド、ドッペルゲンガー?」
「はい、ドッペルゲンガー」
「なんだよ、それ。お化けってことか?」
「お化け……といえば、そうかも知れませんね」
「かも知れないって、違うってことか?」
「厳密には、世間一般でいわれているドッペルゲンガーとは少しばかり違うかもしれません」
「じゃぁ、あんたのいうドッペルゲンガーって?」
「人になろうとする、何らかの存在?」
「何らかって、あんた……」
「残念ながら、ドッペルゲンガーについてはそこまで詳しいところまでわかっていません。人の形を成して、人になろうとしている魔力そのもの、そんな存在です。いえ、まだ存在していないので、存在とすら呼べないかも知れません。あれは見た感じ、ドッペルゲンガーの生まれたてって感じでしたから」
「まさか、アイツが俺と入れ替わろうとした、そういうことか?」
「入れ替わることはないんじゃないですか? ただ人になりたいがために、人になろうと人のことを勉強していただけだと思います」
「べ、勉強?」
「まぁ、わかりやすいいい方をすると、ですけど」
「俺の姿を見て? 人の勉強? ドッペルゲンガーが?」
「ですね」
「人になって、アイツはどうするつもりだったんだ?」
「さぁ?」
「さぁって、あんた……」
「さすがにそこまでは。人に憧れて人になろうとした魔力そのもの……そうですね、魔法的な精霊って思って頂ければいいと思います」
「魔法的な、精霊? ドッペルゲンガーが?」
「あくまで、私の見解ですけど。結構多いんですよ、人に憧れる精霊って」
「人に、なれるものなのか?」
「どうでしょう?」
真帆さんは小首を傾げる。
「少なくとも、私は人になれた精霊を知りません。けど、知らないからといって存在しないとは限りませんので」
「……これで、アイツはもう、俺の前に現れないと思うか?」
「たぶん、大丈夫だと思います。あなたには、マルクさんもいらっしゃるみたいなので」
「――マルク?」
「えぇ、そうです。あのドッペルゲンガーを目にしたとき、すぐそばのバラの木の影から、じっとドッペルゲンガーの様子を窺っていましたので」
「ま、まさか、本当に……? 俺を守るために?」
「そうですね」
「マルクの霊が?」
「はい。恐らく、マルクさんがあのドッペルゲンガーを散らしてくれたんだと思いますよ」
マルクが、あの黒い人影を……
「今も、マルクはいるのか?」
すると真帆さんは、俺のすぐ後ろの足元の方に視線をやり、目を細めながら、
「――はい」
俺もその視線の先に目をやった。
何も見えないけど、ここに、マルクが?
「マルクが、俺を――」
俺はなにもない空中に、マルクの頭を撫でるように、手を伸ばした。
ふわり。
マルクの柔らかい毛並みが、その手に触れたような気がした。
「そうか」
俺は納得して、大きくため息をひとつ漏らし、
「……ありがとう、真帆さん。世話になった」
「いえいえ、うちとしては何もしていませんので。全てはマルクさんのお陰ですよ。いいペット、いえ、ご兄弟だったんですね」
「……ああ、そうだな」
それから俺は、真帆さんに背を向ける。
「じゃあ、俺は帰るよ」
真帆さんは、柔らかい笑みを浮かべながら、
「はい。またのご来店、お待ちしていますね」
俺は見えないマルクを引き連れるように、魔法百貨堂を、あとにした。