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「──気をつけたほうがいいよ」
「気をつけたほうがいいって……何を?」
「良くないものが、近づいてるから」
スマホのアラームがけたたましく鳴り響く。
気がつくと、奏多はソファーの上で横たわっていた。
スマホの画面を覗き込むと、ロック画面に大きく『6:00』と表示されている。
「夢……?」
首に触れると、肌身離さずつけていた赤い十字架は、綺麗さっぱり無くなっていた。
朝学校に着くと、奏多はさっそく朔也やクラスメイトに彼女のことについて聞きまわった。
「髪が灰色で目が赤い、白いワンピース姿の女の子?」
「そう。見かけたことある?例えば、大人の人と一緒にいた、とか」
「さぁ、見たことないや」
「そっか……」
だがどれだけ聞き込みを続けても、これといった情報は集まりそうになかった。
知らない。
分からない。
聞く言葉はそれらばかりだった。
学校中で聞きまわってみたものの、確かな情報は何も出なかった。
(今頃、イブの家族はどうしているんだろう。
ちゃんとイブのことを探してくれているんだろうか。
……見捨ててはいないだろうか。)
そんな考えが、一瞬頭をよぎる。
嫌だ。一番あってはならない事だ。
奏多は諦めず、必死に情報を集めようとした。
授業終わりの休み時間。
昼休み。
……放課後。
それでもやっぱり、イブとその家族に関する情報は集められなかった。
気がつけば夕方になっていた。
下校時刻はとっくに過ぎたからだろう。校舎に人の姿はなく、しんと静まり返っていた。
見回りの先生に怒られるだろうなと頭の片隅で考える。
奏多は精神的にも体力的にも、すっかり疲れ果てていた。
その重い体で、夕日に照らされた廊下を歩いた。
(そろそろ帰らないと。イブが待ってる。)
ふと荷物を取りに教室を覗くと、そこには奏多以外に残っている生徒が2人いた。
1人はいつも一緒に帰っている友人──葵朔也──であり、もう1人は女子生徒。
2人は教室の電気もつけず、薄暗い中で何やら会話をしていた。
すると、朔也は女子生徒の両腕を掴み、静かに抱き寄せた。
友人の大胆な行動に、思わず顔が熱くなる。
邪魔にならないよう、奏多は空気を読んでその場を後にしようとした。
しかし、体は動こうとしなかった。
女子生徒と目があってしまったから。
恐怖心を孕んだ女子生徒の目が、こちらに助けを求めていた。
なぜそんな目をするのかと疑問が浮かぶ前に、驚くべき光景を目の当たりにしてしまった。
単なる抱擁かと思われたその行動は全くの見当違いであり、実際は──
朔也が、女子生徒の首筋を咬んでいた。
驚愕と困惑で固まっていた奏多に、助けを求めるかのようにうめき声を上げた。
「た……すけ……」
やがて焦点の合わなくなった瞳はぐるりと上を向き、女子生徒の肌は青白く変色していった。
奏多は悟った。
体中を巡る血液が、女子生徒の身体から全て失われた、と。
朔也が手を離すと、支えを失った女子生徒はゴトンと鈍い音を立てて倒れた。
そこからピクリとも動くことはなかった。
「ぇ……」
奏多は思わず声をもらし、しまったと口を手で覆った。
しかしその行動は無意味に終わり、友人は反射的に声の聞こえた方へ振り向いた。
人間とは思えないような青白い肌。血で赤く濡れた口元。そこから覗く、鋭く尖った牙。
そして薄暗い教室の中、妖しく光るマラカイトのような瞳。
いつも見ていたはずの友人の顔は、化物のように変貌していた。
険しい表情で微かに目を見開いた後、何事もなかったかのように話しかけてきた。
「……あぁ、奏多」
「ひっ……」
たまらず短い悲鳴を上げた。
奏多の反応を楽しむように、朔也の姿をした“それ”は不気味に笑いながら、こちらへゆっくりと距離を詰めてきた。
「酷いなぁ……同じクラスメイトじゃねぇか」
奏多はすかさず後ずさりをした。
「なにを……」
何をしているのか、という単純な質問をどうにか声を絞り出して問うと、教室と廊下を仕切る壁に手をかけながら呆れたように答えた。
「何って……食事だよ……見ればわかるだろ?」
意味が、分からなかった。
(食事……?今のが……?)
「分かるわけ、無いだろ……」
震えた声で呟くと、化物はゲラゲラと腹を抱えて笑いだした。
「だろうなぁ?分かるわけねぇよなぁ!!」
「あーあ」とため息をついた後、再び教室の方に振り向き、倒れている女子生徒──もう死んでいるであろう──を靴の先で転がした。
「女ってなぁ……肌が柔らかくて……食感が最高なんだよ……
しかも、簡単に騙せる最高の獲物だ……」
腹部めがけて強く蹴り、死体が仰向けに転がる。
「でもなぁ……こいつの血はなぁ……大して美味くなかったんだよ……」
もう一度、死体を蹴り飛ばす。
「もっとさぁ……美味いもんかと思ってたのによぉ……!」
ついには、彼女の腹部を踏み潰した。
骨が折れる乾いた音が、暗い教室を木霊した。
「やめろ……!」
もう一度脚を上げたところで声を上げた奏多を化物は一瞥し、目元を三日月のように吊り上げた。
「もうこいつ死んでんだから気にすんなよ」
「そんな問題じゃない……!」
震えながらもそう叫ぶと、ゾッとするような目つきでこちらを見据えて「あっそ」と吐き捨てた。
そして何かを思いついたように顔を天井に向け、笑った。
「あははっ……そうだ。正体見ちまったんだから、お前責任取れよ」
その言葉が発せられた時、背筋に悪寒が走った。
「何……を……言って……」
(これは、やばい。)
「ずっと前から思ってたんだよなぁ……」
(早く、早くここから離れなければ。)
「お前さぁ……甘い匂いダダ漏れなんだよぉ……」
(動かないと。)
「でももう……我慢しなくていいんだよなぁ……?」
(逃げないと。)
朔也はたちまち教室を飛び出し、奏多に襲いかかってきた。
首めがけて一直線に腕を伸ばし、逃げようとする奏多に掴みかかる。
その衝撃で奏多の身体は壁に強く打ち付けられた。はめこまれた窓が震え、大きな音を出す。
「うっ……!」
どうにか彼の腕を離そうともがくが、びくともしない。
化物は牙をむき出し、奏多の首筋に顔を近づける。
奏多は襟元を掴む腕を両手で握り、全体重を下方へかけようと両足を浮かせた。
支える力を無くした身体は勢いよく床に落下する。
するとその動きを読むことができなかった相手は前方にバランスを崩し、奏多の読みどおり頭を窓ガラスに強打した。
衝撃でガラスが砕け散り、破片が外に落下する。
「ぐあっ…!?」
うめき声を上げてよろけた相手の隙を逃さず、力の抜けた腕を払い落とす。
相手と壁の間に出来た隙間を四つん這いでくぐり抜け、立ち上がり廊下を全力で走った。
「てめぇっ…… おい逃げんじゃねぇよ!!」
後ろから化物の声が聞こえたが、振り返らず走り続けた。
殺される
殺される
殺される……!!!
曲がり角で壁に激突しそうになりながらも、廊下を無我夢中で走った。
階段を駆け下り、足がもつれようとも、玄関に向かって走り続けた。
この日ほど広い校舎を恨んだことはない。
普段通る廊下や階段が、まるで迷路のように感じられる。
「誰かっ……はぁ……っ!!!」
あの角を左に曲がれば、玄関だ。
息を切らせながら希望に手を伸ばした。
あともう少しで、助かる──
曲がろうとしたところで腹部に何かが直撃する。
その衝撃に耐えられず、勢い余って数m先まで転倒してしまった。
「うぅっ……」
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
立ち上がるためにまず横になった体を起こそうとするが、力がうまく入らない。
次第に体は熱を帯びていった。
頭の血管が、ドクドクと脈を打っている。
体が、熱い。
視線だけを逃げてきた方に向けると、床は赤く濡れていて、なにかに引きずられたような跡ができていた。
転倒した跡をなぞるように。
それが自分自身から出ているものだと理解するのに時間はかからなかった。
奏多の腹部は、抉れていた。
おびただしいほどの鮮血がそこから溢れ出し、みるみるうちに周りを赤く染めた。
「ごふっ……」
血液が喉を通り、ドロドロと胃液とともに口から流れ出た。
その姿をあざ笑うように、化物は動くことのできない奏多にゆっくりと近づいた。
「あーあ……もったいねーなぁ……
お前が逃げなきゃこんなことにはならなかったのに……」
奏多の髪を掴み、荒々しく頭を後方に引っ張った。
強制的にのけぞる体制になり、傷口が裂けるように拡がっていく。
「────っう゛ぅ!!!」
激しい痛みに耐えられず、声にならない叫び声を上げた。
「ハハハッ……!!」
狂気的な笑いを見せたあと、血にまみれた奏多の口を手のひらで拭い、化物は躊躇なくその手を舐めた。
そして目を見開き、興奮気味に叫んだ。
「やっぱり甘ぇ……!!最っ高だぁ……!!!」
髪を掴んでいた手を離し、床に手をついた。
そして床に溜まった血だまりを獣のように貪り始めた。
そのたびに恍惚とした表情を浮かべ、狂ったように笑った。
その光景を、ただ見つめることしかできなかった。
痛い。
苦しい。
気持ち悪い。
……死にたくない。
「……な……んで……」
絞り出したか細い声に、友人だったはずの化物は、一瞬反応を示したような気がした。
意識が朦朧とする中、彼の耳に1つの音が聞こえてきた。
足音だ。廊下を裸足で歩くような音。
「あ?」
化物もその音に気がついたのか、怪訝そうに顔を向けた。
つられて視線を動かすと、そこに立っていたのは紛れもなく
家にいるはずの、イブだった。
「何だ?お前」
化物には目もくれず、イブはゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
「……なんだ、ただのガキか
ガキの血は大して量もねーからなぁ……」
イブの姿を見たあと、化物はすぐに警戒を解いた。
だめだイブ。こっちに来たら危ない。
きみまで襲われてしまう。
そう伝えようと口を動かすが、空気と血液が吐き出されるだけでうまく声が出せない。
はくはくと口を動かす姿を見て、化物は鼻で笑ってから聞いてきた。
「あぁ、お前の知り合いかぁ?」
奏多は睨みつけて反抗した。しかしその威嚇も虚しく、化物は再びケラケラと嘲笑った。
「まぁまぁ、そんな怖い顔すんなって。
あのガキを殺したら、お前もちゃーんと殺してやっから」
ギラギラと光る目を細め、笑顔で奏多の頭を赤く染まった手で犬のように撫で回した。
だがその笑顔もすぐに消え、化物は彼を見つめたまま立ち上がり、言い放った。
「あぁ、でも生きたままのほうがいいか。そのほうが美味いもんな。
ま、“レアブラッド”は後でのお楽しみってことで」
(レアブラッド……??
何を言っているんだろう……)
考えるよりも先に、強烈な眠気に襲われた。
大量出血により、身体が限界を迎えてきているのだろう。
抗うこともままならず、僕の意識はそこでブツリと途切れた。
「……な」
「いま……て……」
遠くから声が聞こえる。
優しくて、鈴のような綺麗な声が。
その声に誘われるように、もう一度重いまぶたを持ち上げ、少女らしき影を見つめた。
ふと唇に柔らかいものが触れた……ような気がした。
「彷徨う悲しき魂よ
ここに契を結ばん」
その言葉は、不思議と頭に直接流れ込んできた。
暗闇の中でかすかに聞こえたその声は、どこか懐かしくて。
でもどこか切なくて。
そしてとても、綺麗な声だった──。
第一章『始まり』 つづく