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「あ、あの……織田課長」
仕方なく立ち止まって作業服姿の彼を見上げたら、「車まで見送って、そこで話すことにします。もう暗いし人気もないですからね。女性を1人で歩かせるのは危ないでしょう?」とか。
こんなに暗くなるまで残業させてしまったことに、少なからず罪悪感を覚えておられるのかしら?
そうは思ったものの、仕事が終わったのに織田課長と一緒とかすごく緊張しますし、できれば私、今すぐお話をうかがってひとりになりたいのですっ。
「あ、えっと、わ、私、ひとりでも全然大丈夫なのでっ。よ、用件だけここで」
ソワソワと織田課長を見上げなから何とか角が立たない言葉を模索してしどろもどにそう言ったら、「本当に大丈夫だと思ってるとしたら、キミは大馬鹿者だね」って言われて。
大馬鹿者とかさすがに暴言ですよねっ?
仕事時間も過ぎているし、こんなことを言われて我慢する必要ないんじゃ?と思ってしまった。
それで、「ひどいです!」と力強く反論してキッと睨んだら、いきなり腕を掴まれた。
「ちょっ、な――」
……んのつもりですか!?
言おうと思うのに、突然ぐいっと引き寄せられて、すぐそこの木に押し付けられて――。
そのまま木と腕とに閉じ込めるようにされて間近で見下ろされたら、不覚にも余りのかっこよさにドキドキして動けなくなってしまった。
言おうと思った言葉も中途半端に止められて、口が虚しくパクパクと動く。
悔しいけど……やっぱり織田課長、見た目だけは本当にすごくいい男! 好み過ぎて困っちゃう!
「あ、あのっ」
それでもそのまま屈み込むように顔を近付けてこられては、さすがにヤバイと自覚する。
「お、りた……かちょっ、悪い冗談、はっ」
握られて押さえ付けられたままの手を必死に取り戻そうともがいてみたけれど、びくともしなくて。
と、覗き込むようにして近づけられた唇が、今にもブラウスから覗く首筋に触れてしまう!という距離になって、織田課長の動きがピタリと止まった。
「ほら、ね? キミは僕がちょっとその気になっただけでこんな風に簡単に自由を奪われてしまうんです。僕が暴漢や強姦魔だったらどうなってたでしょうね?」
言われて、「なっ!」んてこと言うんですか!?と反論したいのに出来なくて、またしても口がいたずらに開閉するばかり。
「もう異性の前では服を脱がないんじゃなかったですか? 若い身空でそんなの。もったいなくて僕は賛成しかねますけど。でも、覚えておいた方がいいですよ? 自分の意思とは関係なく脱がされてしまう場合があるかもしれないってこと」
ここに至っても未だ私は織田課長に腕を掴まれたまま。
でも、その腕に抱かれていなかっただけセーフかもしれない。
だってそんなことになっていたら、このうるさいぐらいの鼓動、バレてしまうに違いないもの。
「わ、わか、ったので……も、離してくださっ」
超絶好みの顔なんですっ!
触れられて心臓壊れそうなんですけど、察して頂けませんかね!?
心の中、口には出来ないあれやこれやを付け加えつつ、涙目で見上げて離して欲しいと訴えたけれど、何故かクスッと笑われてしまった。
「そんな潤んだ目で男を見上げてくるとか。誘ってるようにしか見えませんね、って言ったら……キミはどうしますか?」
とか。
そんなわけないでしょう!
「せ、セクハラで訴えますよ!?」
さすがに悪ふざけが過ぎると思います。
キッと織田課長を睨む目に力を込めたら、「それは困りますね」とさして困った風もなく返ってきて。
だったら早く手を、と掴まれたままの腕にギュッと力を込めてみたけれど、離してもらえない。
「あのっ!」
そんなに力を入れられているようには思えないのに、いっかな振り解けそうにないのが悔しくて。
さっき織田課長から言われた、「僕がちょっとその気になっただけで〜」という言葉が頭の中をぐるぐる回って、情けなさに涙が滲む。
せめてもの抵抗で掴まれた手にもう一方の手をかけて引き剥がしにかかってみたけれど、そんな私に動じた様子もなく、織田課長が続けるの。
「本当は駐車場で出すつもりだったんですが、やむを得ませんね」
はぁっと溜め息混じりにそう告げて、作業服の胸ポケットから何かを取り出すと、手を抜き取ろうと必死な私の前でヒラヒラと散らつかせる。
「――?」
寸の間、手を取り戻すのも忘れてそれを見つめたら、どうやら白色の小さな封筒に入れられた、どこかのギフトカードのようで。
「ねぇ、柴田、春凪さん。これで僕に買収されませんか?」
言われて再度目を凝らせば、目の前で揺れる封筒には私が毎日のように利用する、赤い屋根がトレードマークのお気に入りカフェ『Red Roof』(考えたらそのままの名前だね)のロゴが入っていた。
「コーヒーはもちろん、あのお店の商品にならば何にでも使えるギフトカードです。会社からも割と近いので、キミもよく利用していますよね? ――そういえば今朝も」
ぐっ。
よくご存知ですねっ。
私、そこのカフェラテが大好きで、朝、出勤途中で買って来たり、お昼休みなんかにランチを調達しに行ったついでに買って帰ったりしてる。
今朝も会社に来てから始業時間までの、デスクでの朝の一杯はここのだった。
それっきり何も口にできなかったのは誤算だけど。
私のことなんて興味ないと思っていたのに、見られていたんだと思うとぶわりと顔が熱くなった。
「先日知人からもらったんですけど、僕は柴田さんほどあのカフェを利用していないので」
スッとカード大の封筒を差し出されて、私は受け取るべきか否か戸惑って。
「でも……」
つぶやいたきり手を出すのを躊躇う私に、
「1週間、僕の無理難題にしっかりついてきたご褒美です。今まで同じように仕事を頼んでみて、逃げ出さなかったアシスタントは老若男女問わずキミが初めてです」
にっこり微笑まれて、手を離されないままにカードを手にした方の手で頭を撫でられる。
「特にキミには個人的な理由で期待していましたので、ついいつも以上にスパルタになりました」
伸ばされた作業服の袖口からふわりと香ったマリン系の芳香にドキッとして、私、織田課長からの不穏な言葉を聞き逃してしまった。
仕事中にも、ふとした時にこの匂いが漂ってきてはソワソワさせられていたけれど、今日は手を握られていることもあって一層その思いが強まる。
間近に迫る織田課長の顔、薄暗がりであまり見えなくてよかった。
これが明るいところだったりしたら、私、舞い上がり過ぎて気絶していたかもしれないもの。
それにしても。
無理難題をふっかけている自覚はおありだったんですね。
私が新人で出来ることが少ないから、仕事が遅くてしんどいんだとばかり思っていました!
「私を……試していらしたんですか?」
恐る恐る問いかけたら「はい、少し。思うところがありまして、ね」と意味深な発言をされて。
「えっ? どういう――」
意味ですか?と聞こうとしたら、まるでそれを妨げるみたいに、「ところであのカフェのモーニング、食べたことありますか?」と急に話題を変えられた。
「い、いえっ、まだ」
朝食は大抵家で摂ってくるから。ランチは食べたことがあるけれど、モーニングは気になりつつも食べたことがない。
「11時までなら頼めるみたいですし、ちょうど明日はお休みです。せっかくですし、これを使って食べに行ってみられたらいかがですか?」
その声とともに、私は掴まれたままだった手首を裏返されて、例のギフトカードを握らされた。
「あ、あのっ」
急いでそれをお返ししようとしたら、「僕は一度さしあげたものを取り戻す趣味はありませんので」と突っぱねられて。
「でもっ!」
困ります、とゴニョゴニョなりながら告げたら、
「さっき言ったでしょう? 僕はそれで先程の無礼を水に流してもらいたいんです。逆に受け取ってもらえないと、こちらが困ります」
そこで初めて手を解かれて、まるで降参しています、と言う風に両手を小さく挙げられてしまった。
何、その計算し尽くした仕草。
かっこいい人が可愛いことするとかズルくないですか?
「わ、分かりました。じゃあ、お言葉に甘えて」
その仕草に不覚にもキュンとさせられて、私はギフトカードを受け取ってしまっていた。
額面も確認しないままに。