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第八話 『ひとつだけ違うもの』
七歳の冬は、ゆっくりと深まっていく。
王城の庭は白く染まり始め、息を吐けば白い煙になる季節だった。
リュシアンは、その日も東屋にいた。
膝の上には本。
指先には微細な魔力制御。
同時に三つの魔力循環を回しながら、文字を追う。
(安定)
(問題なし)
(乱れもない)
小さく息を吐く。
ここまでくるのに、四年かかった。
泣きながら制御した夜もあった。
魔力が暴れ、寝室を壊しかけたこともある。
そのたびに――
(泣かない)
(次はもっと正確に)
それだけを繰り返してきた。
「リュシアン!」
声がして顔を上げる。
アルフレッドが雪を蹴りながら走ってくる。
「見て!雪ふった!」
「白い!」
後ろにはレオンハルト。
無言でアルフレッドの転倒を防ぎながら歩いている。
さらにその少し後ろに、セシル。
いつも通りの構図。
いつも通りの三人。
(……変わらない)
そう思った瞬間。
胸の奥が、ほんの少しだけ緩む。
「寒くないの?」
アルフレッドが覗き込む。
「平気」
短く答える。
その時だった。
「また無理をしている顔ですね」
セシルの声。
リュシアンは一瞬だけ目を細める。
「してない」
「してます」
即答だった。
迷いがない。
セシルはリュシアンの隣に座る。
「魔力の循環が三層になっている」
「それを維持しながら読書」
「七歳の負荷ではありません」
リュシアンは沈黙する。
(……やっぱり気付く)
この少年は、見逃さない。
優しさではなく、観察として。
「壊れますよ」
セシルは淡々と言った。
リュシアンは小さく息を吸う。
「壊れない」
「根拠は?」
「ない」
セシルは少しだけ黙る。
そして――
「では訂正します」
静かに続けた。
「“まだ壊れていないだけ”です」
アルフレッドが「え?」と声を上げる。
「セシル、それどういう意味?」
「そのままです」
レオンハルトが一歩近づく。
「リュシアン、無理してるのか?」
「してない」
即答。
しかしその瞬間。
ぽとり。
一粒。
雪の上に落ちるように。
涙が零れた。
(……)
止める前に、次が落ちる。
ぽとり。
ぽとり。
アルフレッドが固まる。
「……また」
「泣いてる」
レオンハルトの表情が少し強ばる。
「どこか痛いのか?」
リュシアンは首を振る。
「違う」
声が震える。
その様子を、セシルは静かに見ていた。
「やはり」
小さく呟く。
その時。
――カサ。
雪の上に、別の足音。
全員がそちらを見る。
そこにいたのは。
ノエルだった。
いつも通り、無造作な姿勢。
髪は少し乱れ、紙束を片手に持っている。
「……また集まってる」
ぼそりと呟く。
「君たち、効率悪いね」
アルフレッドが首をかしげる。
「ノエル!」
「何してるの?」
「観察」
即答。
リュシアンの胸が少しだけざわつく。
(また来た)
ノエルはリュシアンを見た。
「やっぱり」
「泣くんだね」
リュシアンの動きが止まる。
「……それ、何?」
「事実」
ノエルは紙に何かを書き込む。
「魔力制御成功時、涙発生率上昇」
「戦闘回避時、同様」
「幼馴染接触時、微弱反応」
(全部見てる)
アルフレッドが怒る。
「なんでそんなこと調べてるの!」
「興味あるから」
「理由それだけ!?」
「それだけ」
レオンハルトが一歩前に出る。
「やめろ」
短い声。
ノエルはそれを見ても動じない。
「非効率だと思う?」
「でも正確だよ」
セシルが静かに言う。
「観察対象としては、ですか?」
「うん」
即答。
セシルの目がわずかに細くなる。
その空気の中で。
リュシアンは、ただ一人だけ違うことに気付いていた。
(この人は)
(見ている“つもり”じゃない)
(本当に見ている)
怖い。
でも。
なぜか。
少しだけ救われるような感覚もあった。
その時。
ぽとり。
また涙が落ちる。
ノエルはそれを見て、ほんの少しだけ首を傾げた。
「なるほど」
「条件が揃うと必ず反応する」
「感情処理じゃなくて、負荷反射かな」
リュシアンは思わず言う。
「……やめて」
声が小さい。
ノエルは止まらない。
「やめる理由がない」
「でも興味深い」
アルフレッドが叫ぶ。
「リュシアンが嫌がってる!」
その言葉でようやく、ノエルは一瞬だけ黙る。
そして。
「ふーん」
とだけ言った。
「じゃあ今日はここまで」
それだけ。
あっさり背を向ける。
セシルが小さく呟く。
「……理解不能ですね」
レオンハルトも短く言う。
「危ない」
アルフレッドは怒っている。
でもリュシアンは――
その背中を見ていた。
(あれは)
(悪意じゃない)
(だから、余計に怖い)
そして。
(でも)
(誰よりも“ズレてない”)
その矛盾が、胸の奥に残る。
◇◇◇
ノエルは帰り道で紙に書き込んでいた。
「リュシアン・アルヴェイン」
「涙反応あり」
「感情ではなく、魔力干渉の可能性」
そして少しだけ手を止める。
「……でも」
小さく呟く。
「それだけじゃない気がする」
冬の風が吹く。
その中で、少年はもう一度だけ書き足した。
「観測続行」
第八話 『ひとつだけ違うもの』 終
コメント
3件
第八話、読み終わりました……。 リュシアンが必死に泣くまいとして、それでも零れてしまう涙、すごく響きました。あの静かな耐え方に、四年間の努力と孤独がぎゅっと詰まっている感じがして。ノエルという存在も、観察として「本当に見ている」からこそリュシアンにとっても特別なんだろうなと。怖くて、でも救われる——その矛盾、とても好きです。