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あの日を境に、ミンジュとジョングクの間に流れる空気は、確かに変わった。
誰よりも早く楽屋に入ってくる彼が、「おはようございます、ヌナ」といつも通り敬語で話しかけてくる。
その口調の奥に、微かに滲む“気遣い”と“遠慮”──それが、妙に胸に引っかかった。
「無理してない?」
そう訊くと、ジョングクはふと視線を逸らした。
「…何がですか?」
「敬語とか。“ヌナ”って呼ぶのも。ちょっと距離を置いてくれてるの、わかってるから」
「……ああ」
少し間を置いて、ジョングクは静かに呟いた。
「じゃあ、言いますね。
正直に言うと──触れたくてたまらないです、ヌナに」
その声は、どこまでも真剣で、苦しそうだった。
「でも、俺が一歩踏み込んだら、ヌナはきっと怖がる。そう思うから、ずっと我慢してる。
敬語も、呼び方も、全部…自分の本能を抑えるための壁みたいなもんです」
「……」
「だから、そばにいるのが嬉しい半分、辛いんです。
“つがい”になりたいって思ってる自分と、それがヌナにとって重荷になるかもしれないって思う自分が喧嘩してて──」
そこまで言って、彼は息を吐いた。
「でも俺、ヌナの意思で選んでほしい。だから、甘えられない」
ミンジュは、何も言えなかった。
自分自身、答えを出せないでいたから。
つがいになることは、ただ“愛する”こととは違う。
互いの存在が日常に溶け込み、本能と理性の狭間でバランスを取り続ける関係。
ミンジュには、それが怖かった。
──「自分が誰かのものになる」のではなく、
「誰かと、深く結ばれる」ということそのものが。
⸻
数日後、事件が起きた。
スケジュールで訪れたテレビ局の控室。スタッフとの連絡ミスで、楽屋が二重ブッキングされていた。
たまたま居合わせたのは、他グループのDomたち──その中の一人が、Domの気配に気づいた。
「……誰?ここに、かなり強いSubの匂いがする」
すぐにホソクが立ちはだかる。
「関係ないなら、黙って出てけ。ここ、うちの楽屋だ」
けれど、そのDomは引かなかった。むしろ、目を光らせてミンジュに目をやる。
「…あんた?あんたが、この匂いの元?」
ミンジュの身体が瞬間的に強張った。
“見つかる”──その恐怖。
ジョングクがそこにいない今、彼女を守れる存在はいない。
Domが一歩近づこうとしたその瞬間、突然ドアが開いた。
「──離れろ」
静かに、けれど抑えた怒気を含んだ声が響いた。
ジョングクだった。
髪は濡れていて、明らかに今来たばかり。
それでも、迷いなくミンジュの前に立った。
「…こいつは、俺のつがいです」
嘘でも、迷いでもない。
彼の声は、SSクラスの支配力をそのまま乗せた、“宣言”だった。
Domたちは本能的に後退る。
ジョングクの存在が、理屈ではなく“本能”で、すべてを圧倒していた。
「ミンジュヌナ、大丈夫ですか」
振り返った彼の声は、いつもの敬語だった。
けれどその目には、明確な“所有”の色が宿っていた。
⸻
控室を出たあと、ミンジュは思わず問いかけた。
「……なんで、嘘までついたの?」
「嘘じゃありません」
ジョングクは即答した。
「ヌナがどう思ってるかは、俺にはまだわかりません。
でも、俺の中ではもう、気持ちも、体も、全部“つがい”として反応してます」
「……」
「だけど、ヌナの意思が一番大事です。
だから、今の言葉も、俺の覚悟として受け取ってください。
押しつけたくて言ったんじゃない。守りたくて、言いました」
ミンジュの胸の奥で、何かが軋んだ。
甘やかしてくれない。けれど、真っ直ぐな気持ちをぶつけてくる。
その誠実さが、怖くもあり、救いでもあった。
──自分も、いつか誰かに本気で求められたかった。
でもそれが、こんなにも真剣なものだとは、思っていなかった。
「……もう少し、時間をちょうだい。ちゃんと自分で、向き合うから」
「はい。待ちます、ヌナ。
どれだけでも」
その答えに、ミンジュの手がふるえていた。
それでも、彼の目はただ優しくて、温かくて──甘えたくなる衝動を、そっと支えてくれるようだった。