テラーノベル
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ジョングクが自分を「つがい」として宣言した日から、ミンジュの中で何かが変わり始めた。
現場での彼の態度は今まで通り──礼儀正しく、穏やかで、甘えすぎず、離れすぎず。
でも、その距離感の中に“静かな覚悟”があるのをミンジュは感じていた。
ジョングクが変わったのではない。
彼は最初からずっと、誠実に、必死に、彼女を大事にしてきた。
──変わったのは、私の方だ。
そう思えるようになったのは、ジンとの会話がきっかけだった。
⸻
その日、移動車の中。珍しくジンが助手席ではなく、ミンジュの隣に座ってきた。
「お前、最近……顔が、やっと柔らかくなってきたな」
「え?」
「最初は全然笑わなかった。緊張してんのか、構えてんのか。
でも今は…人間の顔になったっていうか」
「それ、ほめてます?」
「もちろん。人として言ってる。あと──」
ジンは窓の外を眺めながら、ぽつりと言った。
「ジョングギに気持ちがあるなら、あいつから逃げるのやめろ。
逃げられたら、あいつ、壊れるぞ」
「……っ」
その言葉に、ミンジュの喉が詰まった。
「俺たちのジョングギって、強そうに見えて、意外と繊細なんだよ。
“自分はモンスターみたいだ”って、昔はよく言ってた。
SSクラスっていうだけで、近寄られず、恐れられて、必要とされる時だけ扱われる。
でもミンジュ、お前だけはあいつのこと“Domじゃなくて、ジョングク”として見てくれた」
「……私には、そんな余裕なかっただけ」
「それでも、あいつにはそれが初めてだった。
だから、お前のこと“ヌナ”って呼び続けてる。あいつなりの一線なんだよ」
言葉が、胸にずしりと響いた。
ミンジュが今まで抑え込んできた恐れ。
バースを理由に“所有”されることへの恐怖。
でも、ジョングクはその一線を、決して超えようとしなかった。
ただ、待ってくれていた。
“自分で選ばせてくれる”Domなんて──初めてだった。
⸻
その夜、ミンジュは初めて、自分のバースマークを鏡の前でじっと見つめた。
淡い光を帯びたSクラスSubの印。
ずっと消したくて、存在しなかったことにしたくて、生きてきた。
でも──今は少し違って見えた。
怖さは、ある。
それでも、逃げることだけが正しいとは限らない。
そっとマークの上に手を置いて、彼女はひとつ、深く息をついた。
「グガに…会いに行こう」
⸻
その夜、ジョングクは一人で練習室にいた。
汗だくになったシャツ、息の乱れ。
だけど、それ以上に荒れていたのは“気持ち”だった。
――ヌナは、俺を選ばないかもしれない。
怖かった。待つって言ったけど、心の奥では怯えていた。
その時──ドアがノックされた。
「グガ」
その声に、振り向く。
見慣れた顔。だけど、初めて見るような、強い決意を宿した目だった。
「ヌナ……?」
「……私、怖かった。今でも、正直少し怖い。
でも、それ以上に──あなたのそばにいたいって、思ってる」
「……!」
「自分の意思で、選びたいの。Domでも、Subでもなく。
“ジョングク”と、“ミンジュ”として、ちゃんと関係を築きたい」
ジョングクの目に、驚きと、それを覆うように喜びが浮かぶ。
「ヌナ……ほんとに、いいんですか?
俺のこと、ちゃんと受け止めるって、言ってくれますか?」
「うん」
ミンジュが一歩近づく。
「だから……“つがい”になろう。私の意思で、あなたと」
その瞬間、空気が変わった。
ふわりと香る、フェロモンの共鳴。
二人の体内に眠っていた本能が、ゆっくりと、確かに目を覚ます。
ジョングクがミンジュの手を取り、そっと額を寄せた。
「ありがとうございます、ヌナ……じゃなくて、ミンジュ」
彼女の目元が緩んで、ふっと笑った。
「うん。でもまだ少し“ヌナ”でいてあげる」
「……それ、ちょっと嬉しいです」
ふたりの間に、ようやく言葉ではなく“感覚”が満ちていった。
これは始まり。
DomとSubではなく、
ひとりの人間と人間として。