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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
791
#サレ妻
都築七美
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二月二十日、金曜。六時に坪井が帰って、事務室には、神谷と誠一と大久保と真尋が残った。
誠一は、事務室の真ん中に椅子を一つ置いて、座った。神谷は、自分の机の縁に腰をかけた。大久保は、給湯室の入口で、湯呑みを拭いていた。
「読め」
誠一が言った。
真尋は、清算書を持って、三人の前に立った。四十二枚。表紙に、二つの名前。
開いた。一枚目。九年分の、収入と支出。
「二〇一七年。収入、三百九十六万円。支出――」
「待て」
誠一が、手を上げた。
「そこからじゃない。親戚は、九年分の表を読まされたら、二枚目で寝る。いちばん小さい数字から、始めろ。『給食費、四千三百二十円』。そこからだ」
真尋は、ページをめくった。支出の明細の、いちばん小さい行。
「給食費、四千三百二十円」
声が、小さかった。自分でも、分かった。
「毎月、二十七日」
「続けろ。感想は要らん」
「毎月、二十七日。二〇二五年の四月から十月まで、四千三百二十円。十一月から、四千三百三十円。この九年、一円も、違いません」
「それでいい。次」
真尋は、仕送りの行を読んだ。月三万円。二十六回。家計の口座から。その口座に、真尋のパート代から、毎月五万円から六万円。
声は、少し、大きくなった。
「次。振込」
三十三万円。二十八万円。三十七か月。
「次。四百十二万円」
百八十五万円。九十七万円。百三十万円。
「次。百三十万円の行き先」
六十一万二千円。二十三万円。四十五万円。
真尋は、読み終えて、顔を上げた。
誠一は、腕を組んでいた。
「それでいい。数字を言って、止まる。相手が引き算をするまで、待つ。待っているあいだ、何も言うな。言いたくなるが、言うな。言った瞬間に、相手は引き算をやめて、あなたの顔を見る」
「はい」
「最後の紙は」
真尋は、いちばん後ろの別紙を開いた。十月二十九日。接待、村瀬工務店。家計簿の、同じ日。ゴルフ、立替、二万円。
「それは、読むな」
誠一が言った。
「それは、読まずに、聞け。『村瀬さん。十月二十九日、恭平さんと会食をされましたか』。聞いて、答えを待つ。答えを、あなたが言うな」
「はい」
大久保が、給湯室から言った。
「真尋さん。声、ちゃんと出てたわよ。後ろまで」
真尋は、清算書を閉じる。
手が、震えていた。読んでいるあいだは、震えない。閉じてから、震え始めた。真尋は、それを、見る。隠さなかった。
神谷が、机の縁から、立つ。
真尋の前に来て、胸ポケットから、赤いボールペンを抜いた。
神谷の、赤ペン。白いシャツの胸ポケットに、十一月から、ずっと一本、刺さっていたもの。
神谷は、それを、真尋の、震えている右手に、置いた。
手には、触れなかった。ペンだけが、手のひらに載った。
「借り物だ」
「所長」
「返しに来い。二十三日の、月曜。九時半」
真尋は、ペンを見た。神谷のものと同じ、安い、どこでも売っているボールペン。十一月に真尋がもらった一本と、同じ種類。ただ、これは、神谷が使っていたものだった。
「所長のは」
「予備がある」
神谷は、胸ポケットに手をやらなかった。ポケットは、空だった。
大久保が、湯呑みを拭く手を止めて、神谷の胸を見た。何も言わなかった。
誠一が、立った。
「怜司。今日は、それでいい」
「親父は、黙ってろ」
真尋は、赤ペンを握った。手の震えは、まだあった。ただ、握るものが、あった。
「月曜、九時半。それまで、あなたが持っていなさい」
「はい」
神谷は、所長室に戻った。扉は、閉めなかった。
家に着いたのは、九時だった。結衣は、井口の家から、八時に連れて帰って、寝ている。
真尋が清算書を紙袋に入れ直していると、スマホが鳴った。
知らない番号だった。
真尋は、少し待ってから、出た。
「篠原です」
「……真尋さん。博です。恭平の、父の」
真尋は、スマホを持ち直した。
「お義父さん」
「夜に、すまん。敏子が風呂に入っとるうちに、かけとる。手短に言う」
博の声は、十二月七日に聞いたのと、同じ低さだった。
「法事には、村瀬も来る。敏子の弟だ。あいつの工務店は、アルバと、取引がある。下請けだ。恭平が、会社で何かやっとるなら、村瀬が、いちばん怒る。あいつの名前が使われとるなら、なおさらだ」
真尋は、何も言わなかった。博は、続けた。
「それと、一つ。村瀬は、秋に、入院しとった。十月の二十七日から、二週間。腰の手術だ。俺と敏子で、見舞いに行った。十一月の頭だ」
十月二十七日から、二週間。十一月十日まで。
真尋は、紙袋から清算書を出して、最後の別紙を開いた。十月十五日、二十二日、二十九日。三枚のうち、二十九日だけが、入院のあいだに入っている。『10/29 接待 村瀬工務店 村瀬様 2名 ¥18,600』。
十月二十九日。入院の、三日目。
「お義父さん。それは」
「俺は、何も言わん。法事でも、言わん。あなたが、読め」
博は、そう言って、「敏子が上がってくる」と小声で足して、電話を切った。
真尋は、別紙の十月二十九日の行を見た。
右手に、赤ペンを持っていた。神谷の、借り物。
その行に、丸を、つけた。
コメント
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草原草原(くさはらそうげん)さん、第28話を読ませていただきました。 誠一さんが真尋さんに「いちばん小さい数字から」と教える場面、細かい指導がものすごくリアルで引き込まれました。そして神谷さんが自分の赤ペンを真尋さんの手に置く「借り物だ」のシーン……あの震えている手に、触れずにペンだけを載せる距離感が、もう、ものすごく好きです。手には触れないのに、しっかりと何かを託している。あの場面だけで神谷さんの真尋さんへの信頼が伝わってきました。 そしてラストの博さんからの電話で明らかになる「入院」の情報。真尋さんがその別紙の行に丸をつけた瞬間、背筋が伸びる思いでした。続きが本当に気になります。