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「…じゃあ、今夜俺の家に来る?」
その言葉はあまりにも唐突だった。 撮影現場の喧騒の中、彼は腫れの引かない手首をさすりながら、まるで明日の天気を話すような気軽さで俺を誘った。
「え、家、ですか?」
「そう。君の芝居は熱量は最高だけど、 コントロールが全然できてない。『触れ方』のレッスン、してあげる」
断る理由なんてどこにもなかった。 俳優として、憧れの先輩から直々に指導を受けられるチャンス。 けれど、俺の鼓動が激しく鳴っているのは、そんな仕事への情熱だけが理由じゃないことを、俺は薄々気づき始めていた。
その日の撮影も終わり、俺は 指定されたマンションに向かった。あの後も淡々と演技をこなしていくレトルトさんを見ながら、俺はミスを連発してかなり落ち込んでいた。
緊張で指先を震わせながらチャイムを鳴らすと、扉の向こうから現れたのは、俺の知らないオフの「レトルト」だった。
「キヨくん、お疲れさま」
シャワーを浴びたのかいつもの完璧に整えられた髪は少し乱れ、柔らかそうな金髪が照明を浴びて淡く光っている。 少しオーバーサイズのグレーのスウェットがオフの雰囲気を醸し出している。
「お邪魔します…」
「適当に座って。今、お茶淹れるから」
部屋の中は驚くほど整理整頓されていた。けれど、生活感が希薄で、どこか寂しさを感じさせる空間。
(ミニマリストかな…)
壁一面の棚には、これまでの出演作の台本や資料が整然と並んでいる。
レトルトさんは両手にマグカップを持って俺の座っているソファの隣に腰を下ろした。出されたお茶を一口飲む。レトルトさんも数口飲んでは机にマグカップを置いた。
「じゃあ、早速始めようか」
『もっと…あなたに触れたいです…』
「…うん、全然ダメだね。
本当に俺に触れたいって思ってる?」
あの時のダメ出しが頭をよぎる。
「このシーンは、君が俺の肩を抱いて、耳元で囁く場面だよね」
「はい。でも、どうしても力が入りすぎて、無理やり感が出てしまうというか…」
「あのね、相手に触れる時は、まず相手の体温を感じるんだよ。ほら、俺の肩に手を置いて」
促されるまま、俺はレトルトさんの肩に手を置いた。 スウェット越しでも伝わってくる、彼の身体の細さと、柔らかな熱。極度の緊張で俺の手にはまた力が入ってしまった。
「力が強い。もっと壊れ物を扱うみたいに、でも離したくないっていう執着を込めて」
レトルトさんは俺の手首を掴み、自分の肩の上で滑らせるように動かした。
「ここ」と、彼が俺の指先を自分の首筋の近くへと導く。
「っ…」
「耳元で囁く時も同じ。吐息が肌をなぞるだけで、相手の背筋が震える。それを想像して」
レトルトさんの声がすぐ近くで響く。 教えるために近づいているだけなのに、俺にとっては、それが誘惑のようにさえ感じられた。
「イメージ、湧いた?」
「なんとなく…?」
はぁ…と溜め息をついて俺の手を離す。
「じゃあさ…
俺が見本でやってみるから、それを覚えて」
「え?」
レトルトさんは目を瞑る。数秒して、そっと目を開けて俺を見つめる。
…あの時の憑依だ。
『俺はあなたが好きです』
真っ直ぐに俺を見て、俺の台詞を言う。熱の籠ったその瞳に射貫かれそうになった。レトルトさんの手が俺の肩に触れ、骨の位置を確かめるようにゆっくりと撫でる。首筋、耳、頬、それぞれの熱を感じながら、時間が止まっているんじゃないかと錯覚するほど丁寧に なぞる。
静寂のなか、俺の心臓の鼓動はバクバクと鳴っていた。本当に俺のことが好きだと勘違いしてしまいそうになる。
レトルトさんの顔が俺の耳元に近づく。台詞を言うために整えた息が、耳にかかって鳥肌が立った。少し吸って、囁くように、ただ俺にだけははっきりと聞こえる距離で
『もっと…触れたい…
我慢できないよキヨくん…』
To Be Continued…