いつものように樹が病棟勤務を終わらせ、さらにカルテを記入し終わったのが午後8時過ぎのこと。これでも早いほうだ。
病院を出ると外はすっかり暗い。
明日の夜は、夜間の救急を担当する当直だ。すでに憂鬱になり、ため息をこぼしながら家路を急ぐ。
普段通る公園に差し掛かると、そこへ入っていった。缶コーヒーを買うためだ。
決まったボタンを押して缶を取り出し、踵を返したとき。
そばのベンチに目が留まった。
なぜならそこに人が座っているから。
こんな時間に一人でいるなんて怖いな、と思いながらも不思議と足が進む。
その人は、街灯の光に照らされて輝いているみたいだ。白くぼうっとした雰囲気をまとっている。
まるでファンタジーの世界から飛び出てきたみたいだ。
「妖精……な訳ないか」
夢なのではないかと思ったが、つい声が出る。
「あの…どうしたんですか?」
その人物は、恐らく男性だった。樹の声に振り向くと、声もなく見つめる。
その抜けるように白い肌は西洋人形みたいな透明感があり、耳にかかるほどの長さの髪はブロンドよりも薄い金色だ。
そして瞳の色は、淡い水色。まるで日本人ではない。
しかしその目には翳りが見えた。
樹は戸惑いながらも言った。
「…寒いですし、こんなところにいたら風邪引きますよ。良かったらこれでも飲んでください」
持っていた缶を差し出す。職業柄と言うべきか、なぜかこの人を放っておけなかった。
しかも彼は真っ白いシャツに同じく白いズボンを履いているだけ。季節柄には合っていない。
それに靴下も履いておらず、裸足だ。
「……これは…?」
男性は、そのとき初めて口を動かした。とても小さいが、少し高くて涼しげな声だった。
「コーヒーです。…あっ、もしかしてお得意じゃなかったですか」
だが、彼はぽつりと言った。
「……コーヒーって…?」
樹はしばし呆然とした。
見た目からして成人男性だ。恐らく樹と同じくらいだろう。なのに、コーヒーという飲み物を知らないなんて。
「え、知らないんですか?」
彼は缶をぐっと顔に近づけた。目を細めている。
よく見るとその長いまつ毛や眉も白っぽい。
樹は質問を重ねた。
「あの…ご自宅ってどこですか? もし良かったらお送りしますけど」
その人は樹のほうを見ると、
「……ごじたく?」
樹はいよいよ混乱してきた。
「えちょっと待って、どういうこと…。とりあえず、お名前言えます?」
彼は小さな唇をわずかに動かして「名前…」とつぶやく。樹が固唾をのんで見守っていると、
「……タイガ」
「タイガさん? どういう字ですか」
その問いかけには答えない。とりあえず応答ができるということは、日本語話者だろうと思った。
心配になった樹は、家に連れて帰ることにした。
「――っていうわけ。名前だけ言えたけど、たぶん記憶障がいがあるんだと思う」
樹はリビングで4人に向かって説明をしていた。
当のタイガは、ソファーに座って物珍しそうに周囲を見回している。
5人の名前も紹介したが、無表情で聞いているだけだった。
「それから…」
そのタイガを見やり、
「金髪とか肌、目の色からしてアルビノかもしれない。外見の特徴のほかに、紫外線に弱いとか視力が弱いとかがある。明日、俺の病院に連れて行って詳しく検査する」
みんなはただうなずくしかなかった。ほとんど理解できないといった様子だ。
「とにかくタイガくんのことは全然わかんないことだらけだけど、1人でほっとくわけにもいかないし。しばらく家で預かっとくほうがいいと思う」
ジェシーはタイガを振り向いて、
「ねえ、キミはどこからきたの?」
ジェシーのほうを見るが、口を開かない。しばらくの沈黙のあと、
「……わからない」
ぽつりと言った。
みんなは落胆する。どうすればいいのか、5人もわからなかった。
続く
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