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からっとした秋の空気が心地よい日。
二人は近所の秋祭りに出かけることになった。
凪は淡い撫子色の浴衣に小さな巾着を手にし、将臣は濃紺の着流しに羽織を引っかけている。
(軍服のときよりも、肩の力が抜けている。けど……大人の男性の佇まい)
凪は横に並びながら、こっそりと将臣を見て、頬を赤らめた。
祭り会場では、飴細工や金平糖、香ばしい焼き団子などの屋台が立ち並び、射的や輪投げの店には人だかりができていた。境内のあちこちから子どもの歓声や下駄の音が響き渡り、熱気に包まれている。
その賑わいの中で、凪はまるで子どものように目をキラキラと輝かせていた。
「すごい……食べ物も、遊ぶところもたくさんあって。みんな楽しそう……!」
「そんなに、珍しいか」
「私、お祭りに連れて行ってもらったことが一度もなくて……」
凪が少し照れくさそうに小さく笑う。
それを聞いた将臣は、一瞬言葉を詰まらせた。だが、すぐに気を取り直すように、射的の屋台へ視線を向けた。
「凪もやってみるか?」
「え?」
「初めてなら、どれも新鮮だろう。来なさい」
「は、はいっ!」
凪の瞳がぱあっと輝いた。
「私……ものすごく下手で、一個も落とせませんでした……」
景品をひとつも取れず、しょんぼりと下を向く凪に、将臣は呆れたように小さく息を吐いた。
「……何が欲しかったんだ」
凪ははっと顔を上げた。
「……キャラメルです!」
「ふっ……」
将臣は思わず吹き出してしまった。
「それでいいのだな」
将臣は銃を構えた。片目を薄く瞑り、真剣な眼差しで狙いを定める。その額から前髪が一束、はらりと落ちた。
(かっこいい……)
凪は思わず、胸の奥で息を詰めた。
直後──ポンと乾いた音が響き、目当ての小箱がゴロンと棚から転がり落ちた。
「す、すごいです! 取れました!」
弾んだ声で喜ぶ凪に、将臣は落としたキャラメルを手のひらへ乗せてやる。
「ほら。持っていきなさい」
「あ、ありがとうございます! 後生大事に、少しずつ食べます!」
「もっと気軽に食べればいいだろう」
呆れながらも、将臣の口元は緩みっぱなしだった。
甘辛い醤油の焦げる芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
「お腹が空きましたね」
「……焼き団子でも食べるか」
「食べたいです!」
迷いのない凪の返事に、将臣はまた肩を揺らして吹き出した。
「甘じょっぱくて、もちもちしていて……すごく美味しいです!」
「これも、初めて食べるのか?」
「お団子は食べたことがありますが、焼いてあるものは初めてです」
無邪気に笑う凪の口元に、ちょこんとタレがついていた。
将臣は無意識に手を伸ばしかけ、途中ではっと宙で止める。
「凪、口についているぞ」
「えっ? どこですか?」
きょとんと首を傾げる凪に、将臣は何気ない顔を装って袖から手拭いを取り出した。
「動くな」
そう短く言うと、凪の柔らかい口元をそっと拭った。
「あ……口についていたんですね。ありがとうございます……」
自分の間抜けさに、凪は顔を真っ赤にして俯く。
将臣もまた耳を朱に染め、ゴホンと咳払いを一つして頷いた。
その後も二人は屋台の飴細工を眺めたり、紙風船を買ったりと、時間を忘れて楽しんだ。
「わっしょい! わっしょい!」
威勢の良い掛け声とともに、神輿を担いだ男衆が近づいてくる。太鼓と笛の音が重なり、祭りの熱気は最高潮に達していた。
「将臣様、お神輿が来ますよ! すごく立派なお神輿です!」
凪は釘付けになり、見物客の波がわっと道の端へ押し寄せる。
「人が増えてきたな。そばから離れるなよ」
「はい!」
返事はしたものの、凪の目は神輿に夢中だった。神輿の移動に合わせて、人波が大きくうねる。
(流されるな……)
「凪、こっちへ──」
そう言って振り返り、差し出した手は空を斬った。
そこにいたのは見知らぬ見物客の女性だった。
「……凪……?」
はっと息を飲み、キョロキョロと周囲を見渡す。どこを見回しても、あの淡い色の浴衣姿は見当たらない。
(凪を見失った……⁉︎)
途端に頭が冷え切った。人波を掻き分け、がむしゃらに凪を探す。
「凪! 凪……っ!」
呼吸が浅く荒くなる。胸の奥が、痛いくらいに早鐘を打っていた。
(どこだ……どこにいる……っ!)
息が詰まり、将臣は胸元を強く掴んだ。
死線も潜り抜けた軍医が、人混みで凪を見失っただけで──手が震えるほど狼狽えている。
その時、将臣の裾をきゅっと引っ張る控えめな手があった。
「将臣様!」
頬を上気させた凪が、無邪気な顔で将臣を見上げていた。
「また、向こうから違うお神輿が来ますよ!」
「凪……っ! お前、どこへ行っていた……っ!」
「すみません、神輿に見とれていたら、あちらへ流されてしまって……」
子どものように無垢な笑みを浮かべる凪を前に、将臣は乱れた息を整えながら、「……勝手にいなくなるな」と呟くのが精一杯だった。
「すみません。では、あの大きな木の横で見ませんか? あそこなら目印になりますし」
「……ああ」
弾むような足取りで前を歩く凪の背中を、将臣は追いかける。
心臓がまだ嫌な速さで脈打っていた。
(医者が……これくらいのことで取り乱すとは、情けない……)
そう自分に言い聞かせても、足が重い。
(……なぜ私は、あれほど焦ったのだ……?)
胸の奥の激しい動悸の理由を、将臣はまだ自覚できずにいた。