テラーノベル
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「――ヴェルキー・ポリフ!」
俺が呪文を言い切ると、エジェの真ん前に竜巻が具現化した。
授業中にエジェが作り出したものより二倍は大きい。
それがどれくらいかというと、登場と同時に倉庫の床と壁を吹き飛ばしたくらいだ。
あ、掃除する前より散らかしちゃったじゃん。
ええい。もう知らん。
ヤケになったし、俺に箒を押しつけた野郎に逆押しつけしてやる!
「な、何これ!?」
俺のヴェルキー・ポリフを見てエジェが戸惑っている。
「風魔術の先生が作ったのより凄いなんて……そんなはずない……」
「授業中にお前が発動したものは、六十パーセントの完成度だったぞ。もっと精進しないとな」
「そんな……」
魔術は、何もしなければ具現化した場所でそのまま停止する。
だから魔術師は、脳内で軌道をイメージすることでコントロールしなければいけない。
例に漏れず俺もそうして、竜巻を放った。
エジェは魔術で対抗しようと身構えたが、俺のコントロールのほうが速くて間に合わず、盛大に吹き飛んだ。
「きゃああああああ!」
やべっ。いくら意地悪なことを言われたとはいえ、やりすぎたか。
エジェの叫び声を聞いて冷静になった。
その矢先、顔がモゾモゾ痒くなった。
この感覚、心当たりがある。
セネリス魔術学院の入試で魔術を使った直後のことだ。
あのときは、鼻の形が少し変わってしまった。
「はああああん!」
俺は動揺してその場に膝をついた。
心が乱れたから竜巻も消えた。
「ルリク様!?」
「サスキア、鏡! 鏡!」
「ええ?」
「早く出さんと給料減らすぞ!」
「パワハラ上司ですね」
サスキアが懐から出したコンパクトの鏡を確認するなり、俺はショック死しそうになった。
「お、俺の顔……俺の顔が……」
「俺の顔が?」
「わずかに寄り目になってるうううう!」
「き、きっと小さい鏡を見ようとして眼球を動かしたからとか」
「違うもん! 俺の寸分の狂いもない完璧な顔立ちがわずかにズレたら違和感という魔物を生み出すもん」
「何を言ってるんですか」
俺は頭を抱えてのけぞりながら、もう一度叫んだ。
「はああああん!」
エジェのことはすっかり頭から飛んでいたが、彼女がフラフラした足取りで戻ってきたことで思い出した。
「ルリク様」
「ああん!? 今寄り目問題で頭いっぱい――」
「あなたって凄い!」
「は?」
髪はボサボサで制服はボロボロになったエジェが、俺の前にひざまずいた。
「嫌味を言われても成長のために実力を隠してたなんて、崇高なお人!」
「はあ~?」
俺が困惑していると、サスキアがポンっと自分の太ももを叩いて明るい声を出した。
「その通り! ルリク様はとても謙虚なんです!」
「きゃああああ! カッコイイいいいい!」
サスキアの適当なよいしょに騙されたらしいエジェが、顔を赤らめながら悶えている。
「おう……?」
とりあえず怪我はしていないみたいだからいいか。
「俺、もう部屋に帰るから!」
勝手に興奮しているエジェが怖い。
放置して逃げ出すと、サスキアが追いかけてきた。
「ルリク様、寮に帰ろうとしてます?」
「そーだけど」
「方向、間違ってます」
そうか。そうだった。
FクラスとSSクラスの寮は別棟だ。環境が変わりすぎてちょっと泣きそう。
ていうかエジェを吹き飛ばしたのに謝ってもらってないじゃん。何やってんだ俺!?
◆◆◆
翌朝――天地がひっくり返った。
「ルリク様、おはようございます」
「ルリク様、ごきげんよう」
「ルリク様、わっしょーい」
クラスメイトたちが何故か笑顔で挨拶してくる。油断させて新手の嫌がらせをする気か。
警戒していると、同じグループの女子生徒たちと教室の隅で話しているエジェの声が聞こえた。
「あたし、感激した」
「そんなに凄かったの?」
「うん。反撃もできずに遠くまで吹き飛ばされた。倉庫も壊滅したんだよ」
「すごぉい。エジェをそんなに吹き飛ばした人って初じゃない? 成績一位のラドミラでもちょっと転ばせたくらいだよね?」
ラドミラ――いつも単独行動している、SSクラスの女子の学級委員か。
凄い美人で人気者っぽいのに、エジェが始めた俺への嫌がらせに一切加担しなかったから、何となく印象に残っている。
「じゃあ何で授業では弱かったの?」
「強くなるためには防御力を鍛えることも大切だから、わざとくらってるんだって」
勝手に設定を追加されている。
「へー。カッコよくて強いなんて最高じゃん」
「私もエジェみたいにルリク様と話してみたいなあ」
お、これは花嫁探しの追い風だ。
こちらから話しかけてみよう。俺は近付こうと立ち上がったが、急に鳥肌が立って足が止まった。
「はあ? ダメに決まってんじゃん」
身長が高いエジェが腕を組んで、リア充っぽい女子生徒たちを見下ろして威圧している。何か怖いぞ。
「ルリク様の彼女でもないのに、何でそんなこと言うの?」
「あたしは最初のお友達だもん」
いや、嘘吐くな。意地悪女子め。
「女の戦いですね」
「何それ?」
「女性コミュニティ限定で発生する聖戦です」
「友達同士で戦争すんの?」
「女の友情は薄切りベーコンより薄いって言いますからね。いいパスタと一緒になるためなら厚切りベーコンも踏みつけるみたいな」
「その例えよくわからん」
「でもルリク様には追い風です。モテ始めるかも」
「そ、そうだな」
エジェのグループの睨み合いに若干引いているが、サスキアの言う通りだ。
俺は前向きな気持ちに――
「このあたしに勝てるとでも? ルリク様をかけて血を吐くまで戦争じゃ!」
「望むところじゃ!」
「下剋上じゃ! エジェ、あんたリーダーぶった仕切り屋で前からムカついてたんだよ!」
「ああん? 返り討ちにしてくれるわ! かかってこいや!」
いや、やっぱりSSクラスの女の子たちって怖い。
昨日は失敗したが、今日はサスキアがつきっきりになってくれたから誤魔化せた。
というのも、女子生徒たちが牽制し合っていて誘ってこないおかげだった。
禍転じて福となるとはこういうことか。
そうして放課後を迎えることができ、俺は開放的な気持ちになった。
「平和な学院生活バンザイ!」
「でもお……また昨日のようなことがないとは限りませんよ。ルリク様が強くなってくれるのが一番いいんですが」
「ブサイクになりたくないから無理って、お前も知ってるだろ?」
「少しだけレベルアップならセーフでは? 修行しましょうよ!」
「無理! 俺は寮に帰って昼寝する――」
「ルリク様!」
条件反射で身体が凍った。この声は、エジェか。
ゆっくり振り返ると、エジェとSSクラスの女子生徒の八割が立っていた。
「み、皆どうした?」
「あたしたち、話し合ったんだよ」
「ほお?」
「強いルリク様の顔を一発殴れたら、彼女にするか考えてくれるよね?」
「無理無理無理! 顔はマジでヤメテ!」
「大丈夫です。決闘して優勝した女子生徒一人が挑むから」
「全然大丈夫じゃないんだけど」
相手が一人でも、俺は勝てないぞ。
「そ、そうだ。優勝者は俺の護衛のサスキアと決闘って形に――」
「じゃあ皆、校庭で決闘だ!」
「「「「「うおおおおおお!」」」」」
エジェと女子生徒たちは俺の提案を無視して教室を飛び出し、廊下を走った。
SSクラスは実力至上主義。モテるためには強さが必要――なるほど。それは男子生徒だけでなく女子生徒も同じだから、優勝者イコールクラスのマドンナだから釣り合うってことか。
しかしどうしよう。
人口密度が下がった教室を現実逃避でぼんやり眺めていると、窓側の最前列の席の、銀髪ロングヘアの後ろ姿が見えた。
分厚い本を読んでいるらしい。彼女は決闘に参加しないのか。
「ラドミラ・ベロルフのこと見てます?」
「あの子のこと知ってんの?」
「はい。首都の貴族、ベロルフ伯爵のご息女です」
「へー。ベロルフさんとこの子ね。大きくなったわね」
「何です? その井戸端会議の主婦みたいな口調」
「確か昔パーティーで会ったことあるんだよね」
「話しかけてこないことから察するに、向こうは覚えてないみたいですね。まあルリク様って顔だけで存在感ありませんから」
イケメンなだけで俺の価値は充分だろ!
プンスカしていると、サスキアが俺の制服の袖をクイクイ引っ張った。
「しましょう」
「え、何を? セッ――ぶっ」
腹にサスキアの拳が入り、俺はその場にくずおれた。
「修行です」
「嫌だ! 少し寄り目になっちゃって、気分はもう一生乗らないもん!」
「行きますよん」
「あ、コラ! 話聞いてた!? 上司に逆パワハラかよ!」
サスキアに引きずられて、俺はセネリス魔術学院敷地内の誰もいない空き地に連れて行かれた。
セネリス魔術学院は国境に近い位置にあり、有事の際には防衛の拠点にできるように広大な敷地を有している。
隅から隅まで徒歩で移動するには三十分はかかりそうだが、グリフィンやユニコーンなどの神聖生物を使えば速く移動できる。
まあ、ただの生徒が利用許可を取るのは面倒なのと、そもそもサスキアは足腰を鍛える目的で徒歩しか許してくれないが。
「修行を始めましょう」
「帰ろうよ。俺イケメンでいたいし、お前だって昔は俺の顔を褒めてくれたじゃん? だから俺は今まで顔を守って――あばばばばば!」
喋っている間に呪文を唱えられたらしい。
サスキアが上級雷魔術を発動したことで稲妻が降ってきて、俺を貫いた。
煙を漂わせながら地面に倒れると、サスキアが俺の剣を放り投げてきた。
「今のは顔が傷付かないように威力を調整しましたが、次は全力でいくかもなので防いでくださいね」
「……その前に起き上がれない」
雷魔術はビリビリして痛い。
「じゃあ行きますね!」
「俺の話し聞いてた!? てか、お前何でそんな満面の笑顔なの!? ――あばばばばば!」
再び感電した。
護衛のくせに容赦ねえ。
一時間後――俺はボロ雑巾のようになっていた。
サスキアの計らいで顔は傷付いていないが、心は壊れた。
「どうして防御もしないんですか?」
「レベルアップしたくないもん……」
「またそんなこと言って」
溜め息を吐いたサスキアの背後に、突然砂埃が舞った。
何事かと思ったら、ボロボロの姿で杖をついているエジェだった。
「エ、エジェ!? そんなにヨレヨレになってどうした!?」
「……あたし、勝ったよ」
「さっき言ってた決闘で?」
「もちろん……」
ということは、まさか――
「……ロイヴァス家って、代々炎魔術に強い家系だよね?」
「そうだけど」
「……それならあたしも炎魔術で顔をぶん殴るよ」
「燃やすんじゃなくて? 殴るだけなら炎魔術じゃなくてよくない?」
「だって……」
エジェがポッと頬を赤らめた。
「将来ルリク様のお嫁さんになるなら、炎魔術を鍛えとかないと」
「え、何? 俺お前と結婚すんの?」
「はあああああ!」
エジェが杖を放り投げ、代わりに扱いづらそうな円形の小型な剣を構え、肩幅より広く足を開いた。
そのまま深く腰を落として、踏ん張り始めた。
こいつ、全力で俺を殺る気だ。
「花嫁が見つかってよかったですね!」
「おい、コラ! ハンカチで涙拭いてる場合じゃないぞ。俺の護衛だろ!? さっさと助け――」
「炎魔術――」
エジェが狩人の目をしている。
「まて、話せばわかる! 呪文は言うな!」
「――ハーゼニ・ミーチェム!」
野性の魔物レベルで話が通じない。
俺は背中を向けて、全力で逃げ出した。
「くそっ! 修行で体力削られたせいで俺の足が遅いっ!」
振り切ることはできるか?
あんな本気の上級炎魔術をくらったら、顔に怪我をしてしまう。火傷の跡が残りでもしたら大変だ!
「うおおおおお!」
気合いを入れるため雄叫びを上げて全速力で走ったが、熱を感じ始めた。
チラリと後方を確認すると、エジェが具現化した巨大な火球が迫ってくる。
あうう。
間に合わない。
人間の防衛本能か。咄嗟に口から出た。
「炎魔術――レタイーチ・クライーヴォ!」
ロイヴァス家の人間は代々炎魔術に強く、無意識に威力を強めてしまいやすい。
得意だからこそ俺はできるだけ避けてきたのに、やっちまった。
そんなことを考えているうちに、炎がドラゴンの形で具現化した。大きな口を開けて火球を押し返すと、そのままエジェに飛び込んだ。
火傷させないように、調整しなければ。
ていうか、顔が痒いぞ。
まさか――
「またレベルアップしてるうううう!」
俺は顔を押さえて、右往左往した。
それに呼応して炎のドラゴンも右往左往して、アザラシの水球芸のように鼻先でエジェの身体を跳ね上げることを繰り返している。
「鏡、鏡!」
たまたま所有していた短刀を懐から出して、刃に映る自分の顔を確認すると――
唇が少し厚くなっている。
そ、そんな――
「いやああああああん!」
地べたに転がりのたうち回っていると、炎のドラゴンがエジェを吹き飛ばして自動的に消滅した。
「ルリク様!」
サスキアが駆け寄ってきた。
「いやああああ! 俺の唇うううう!」
「ほとんどの人間が変化に気付かないレベルですよ!」
「お前は気付いたよなあああ!?」
「……」
「はっきりせえやあああ!? 気付いたんだろううう!?」
「はい。気付いちゃいました」
「この世の終わりいいいい!」
「こんなことで終わったら困ります。世界はルリク様中心で動いてるわけではないんですよ」
「落ち込んでるときにキツイこと言うなよおおおお。甘やかしてくれよおおお!」
頭を抱えていると、吹き飛ばされたはずのエジェがフラフラした足取りで戻ってきた。
どうやら目立った怪我はしていないらしい。
「今回はダメだったけど……ルリク様の彼女になれるように精進します……では!」
勝手に捨て台詞を残して走り去ってしまったが、それより今は顔のほうが大事だ。
「エジェではダメなんですか? アホでマヌケですけどリーダーシップはあるし、ロイヴァス家の花嫁に丁度いいかと」
「お前って結構辛辣だよな」
「花嫁さえ決めればFクラスに戻れるかもですよ」
「そうなんだけど、エジェは俺に魔術使ってくるからちょっと保留で……」
「何贅沢なこと言ってるんですか。顔だけのくせに選べる立場だと思ってるんですか?」
「親の財産と地位もあるぞ」
「こんなに情けない男に育てた親の顔が見てみたいです」
勘違いとはいえ、エジェが俺を強いと思って好いてくれたこと自体は悪くない。
期限内に花嫁が決まらなければ、エジェに告白すれば多分結婚してくれる。
いや、保険扱いなんて失礼な話だが、背に腹は代えられない。
「もうちょっと様子見で……ていうか、それより顔!」
「くどいですね。だからほとんど変わってませんって」
「いや、ほら俺の唇よく見て」
「針より細い変化じゃないですか」
「それだけでもバランスってものは崩れるんだ」
「もうやだこの人、早く何とかしないと」
「俺も嫌だあああ!」
「別の仕事に転職しようかな……」
サスキアの溜め息にハモるように、俺の叫びがセネリス魔術学院の敷地内に轟いた。
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