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「部長に会いませんでした?」
デスクに戻ると、沖くんが言った。
「ううん?」
「昨日のクレームの件で探してましたよ? 営業に行ったって伝えたんですけど……」
「わかった」
雄大さんの部屋をノックしたけれど返事はなく、私は一息つくために給湯室に向かった。自動販売機でアイスコーヒーを買う。
「お疲れさまです」
入ってきたのは広川さん。手にはピンクの長財布。全面にシャネルのロゴが型押しされている。
「お疲れさま」
広川さんはミルクティーを買い、私の隣に座った。
「先輩の財布って使い込んでますよね?」と言って、私の膝の上の財布をマジマジと見た。
「メンズですか?」
「ユニセックスよ」
四年前に昊輝とお揃いで買った黒革の二点もの。オーダーメイド。
「渋いですね? もしかしてオーダーメイドですか?」
「よくわかったわね」
「ファスナーのチャームが『K』だから……」
「ああ……」
私も昊輝もイニシャルが『K』だから、互いのイニシャルのチャームを選んだのに、誰にも気づかれない。
「馨のKですか? それとも元カレのKですか?」
「え?」
「総務の先輩が驚いてましたよ? 主任と部長のこと。で、教えてくれたんです。主任の財布は元カレとお揃いだって……」
総務……。
木本さんか……。
総務部の木本さんは私と真由と同期。昊輝と付き合っていた頃、同期で飲んだ帰りに彼に迎えに来てもらったことがあった。その時、真由が冷やかしで財布の話をしたことを思い出した。
「ダメですよ、主任。婚約者がいるのに、元カレとの思い出の財布なんて持ってちゃ。愛想突かされちゃいますよ?」
広川さんが雄大さんに好意を持っていて、割とあからさまにアプローチしていたことは知っている。
雄大さんを私に奪われて、屈辱だろう。
「楽しそうね?」
いつもなら笑って流すところだけど、今の私はこの上なく虫の居所が悪かった。
「やぁだ。主任のことを心配して言ってるんですよ? 部長に捨てられたら後がないかもしれないですかぁ」
どいつもこいつも……。
利用されてるとか、捨てられるとか――。
「ありがとう。でも、大きなお世話よ。雄大さんは財布一つで目くじら立てるような小さい男じゃないし、私たちはそんな脆い関係じゃないの。他人の恋愛事情に首突っ込んでる暇があったら、来客用のお茶くらいまともに淹れられるようになりなさい」
利用してるのは私なんだから――!
「私はっ! お茶汲みの為にこの会社に入ったわけじゃ――」
「使えない人間の常套句ね。お客様にお茶を淹れるのは仕事以前に大人として出来て当然のことよ。目上の人間に対する言葉遣いもね」
「ひどい!」と、広川さんは目を潤ませる。
わざとらしい。
「それから、私が雄大さんに捨てられても、彼があなたのモノになることはないし、そもそも私たちが別れることはないから、無駄な期待はしないことね」
ホント、ムカつく――!!
「そんなことっ――」
「探したぞ? 馨」
突然の低音に、私と広川さんは揃って入り口を見た。
雄大さん。
Barの時といい、突然現れるのやめて欲しい……。
「打ち合わせ中?」と聞いた雄大さんは、明らかに訳知り顔。
どこから聞いてた――?
「いいえ。雑談です」
私は紙コップの中身を飲み干し、立ち上がった。氷をシンクに、紙コップをごみ箱に捨てる。
「私がお茶汲み下手なので、叱られちゃいました」と、広川さんが肩を竦める。
「不味いお茶を飲まされてお客様が気分を害されたら、仕事に支障をきたすからな。彼氏に飲ませると思って淹れて欲しいね」
雄大さんが言った。
私に苛められたと訴えたかった広川さんは、唇を噛み締めた。
「はい……」
「それから、俺が馨に捨てられることはあっても、俺が馨を捨てることはあり得ないから安心してくれ。元カレとお揃いの財布は妬けるけど、そんなことでやっと手に入れた女を手放すほど馬鹿じゃないから」
最初から聞いてたのか……。
わなわなと怒りと屈辱に顔を歪ませる広川さんを残し、私と雄大さんは給湯室を出た。
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