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るだけで人々は気を失い、建物は倒壊しているほど強烈だ。嵐のような風の吹き荒れ方の中、ヒルデガルドとイーリスは睨み合う。
「こうして弟子の姿を前にすると、躊躇しそうだな」
目の前にいるのは、イーリスであってイーリスではない。《インテグレイション》を用いながら、その精神の主導権を握っているのは紛れもなくアバドンのほうだ。髑髏の杖を片手に持ち、瞳は赤く、白目は黒く染まっていた。
「そんな必要はありませんよ。死なない限りはインテグレイションが解ければ受けた傷は再構築されます。まあ、失った魔力は元に戻りませんがね」
ぐるりと杖を回して、その先をヒルデガルドに向け──。
「《テンペスト・シャドウ》!」
うねる黒い炎が魔法陣から吐き出される。強くなった彼女に対する小手調べに放った魔法は、届くことなく目の前で分厚い土の壁に阻まれた。
「む。この程度では話にもならないと……」
「さあ、どうだか。偶然かもしれんぞ」
壁の上に腰掛けてアバドンを見下ろしながら、ヒルデガルドはくすくす笑った。
「ハハハ! そうでなくてはな、大賢者! だが、これで止まったわけじゃあないぞ。まだまだワタシの本気はこれから、もっと楽しみましょう!」
空いた手を空に向けて、軽く振る。土の壁に亀裂が入り、黒い爆炎によって吹き飛ばされる。ヒルデガルドはふわっと羽根のように軽く飛びあがって結界で爆風を遮って杖をすかさずアバドンに向けた。翡翠が紅く煌々と輝く。
「今度はこっちの番だな。《ザラマンデル・ブレス》」
爆炎は巨大だ。瞬時に距離を取ろうと思っても、躱しきれるものではない。咄嗟に結界を張って防ごうとするが、想像をも超えた破壊力に全身が押しつぶされそうな感覚があった。初めてアバドンは両手で杖を握り締めて全力の防御に回った。
「ぐ……! これは予想外だな、ワタシの想定よりも強すぎる。やはりエールの加護を受けているだけはある!──だが、まだまだこれからですよ、もちろん!」
どす黒の魔力が彼の足下から噴き出して全身を包む。
「──《イブリス・スピリトゥス》!」
濁流のようになった魔力が爆炎を呑み込み、相殺する。瞬間、彼は自身の能力を使って霧に変化し、空高くへ移動する。地上に立つヒルデガルドの不敵な笑みを見て、腹を抱えたくなった。
「……ハハハハハハ! 小手調べなどしている場合ではなかったな、大賢者。失礼した、ここからはおまえを敵と認めよう。《デメント・ブリンガー》!」
杖を掲げた遥か上空に現れた黒い魔法陣から、鋭い槍が三本放たれる。ヤマヒメを死に追いやった魔法、ヒルデガルドは微動だにせず──。
「記憶よ、顕現せよ──《雷霆の裁き《ケラウノス》》」
杖から放たれた雷撃が轟音と共に地面を伝い、大爆発を引き起こす。飛ばした槍がどうなったか土煙で視認できず、アバドンは周囲に結界を張って様子を見た。
「……あれはクレイ・アルニムの使った技じゃないか。威力をさらに引き上げて再現するとは、もはやワタシの知る大賢者とは遥かに格が違うらしい」
きらりと土煙の中に虹色の輝きを見つける。ハッとして杖を構えた。耳に飛び込んできた咆哮と共に、土煙を撃ち貫いた虹色の輝きが空気すらも圧し潰しながら、結界を打ち砕く。僅かな隙にアバドンはぎりぎりで躱したが、片腕を焼かれた。
受け身を取って体勢を整え、目をすっと細めた。
「驚いたぞ、大賢者。まさかクレイ・アルニムどころか、イルネス・ヴァーミリオン固有の《竜王の咆哮》まで使ってくるとは」
焼かれた腕を振れば、あっという間に再生した。
「フッ、中々に面白いだろう?」
腕をまっすぐ伸ばし、杖を大きく振るう。巨大な竜巻が起きたのを見て、アバドンは目を丸くしながらも思わず笑みがこぼれた。
「今度はディオナか。ならばこちらも応えてあげないとね」
尖った石突を地面に刺す。黒い魔力を限界まで出し尽くす。
「星々を撃ち落とす者よ、怨嗟の絶叫によりて光を覆い尽くせ。万象を闇の底へと引きずり込む絶望の輝き──《テュポーン・ガルプダウン》」
対抗するように放たれた黒い旋風が、ヒルデガルドの竜巻を軽々と消滅させる。音が聞こえたと思ったときには、ヒルデガルドも旋風に呑み込まれていた。結界を張ったものの、感覚は遮断される。真っ暗闇の中、ふと魔塔でウルゼン・マリスを捕えるのに使った禁忌指定の魔法を思い出す。
(……まずいな、結界を張るのが少し遅かった。これでは何も見えないから反撃のしようもない。意識して魔力を放出しているが、これでは微調整もままならないだろうな。無駄な消耗を仕掛けているのか、奴の攻撃も来ない)
直後、視界と感覚が戻ってくる。闇が晴れたのだ。
だがそれと同時に、彼女の腹を貫く槍がある。アバドンが手に握り締めているのは杖ではなく、彼が放った《デメント・ブリンガー》の槍の一本だった。
「チェックメイトだな、大賢者。ワタシの勝ちだ」
魔力を吸い取る槍。十分に彼女の消耗を強いてからのひと突きは、ヤマヒメが賭けた魂の籠った一撃を警戒したからだ。
ヒルデガルドは、たしかに自分から魔力が抜けていくのを感じながら、槍を掴んで、それでも大胆不敵に「どこがチェックメイトなんだ?」と口角をあげて──。
「早計だったな。──《クリア・デザイア》」
刺さった槍が、熱に溶かされるようにどろりと消えた。いや、それだけではない。アバドンは同時にイーリスの身体を通じて魔力が消失していくのを感じた。砂の城が風に吹かれていくかの如く、瞬く間に消えていくのが。
「な、なにをした……!? おまえいったい──」
魔力を失ったせいで、途端に二人の《インテグレイション》が解除されて、アバドンとイーリスは引き剥がされて元の姿に戻った。
『これは、まさか。ワタシの魔力が殆ど失われている……? いや、どうやらワタシだけではないようだな』
ヒルデガルドの身体からも、ほとんど搾りかすのような少ない魔力しか感じない。それだけで、アバドンは自分のほうが未だ健在であると悟り、ニンマリする。彼はイーリスのローブを掴んで軽く投げ、遠くへ転がす。
『どうやら今のが最後だったらしいねえ。もし《インテグレイション》を使っていなければ、こちらもどうなっていたか分からないが……いや、待て。なぜそれほどに魔力を消耗しているのに、おまえは解けていない?』
魔力を消耗しているはずのヒルデガルドが、まだイルネスとの融合を保っている。本来ならばあり得ない現象。彼女はにやりとしながら。
「さあ、なんでだと思う?」
背筋がぞわりとして、アバドンは異質の正体に気付く。彼女の背後に見えるのだ、敵と認めた強き者の姿が。
『おおォ……! なるほど、そういうことか……。偉そうに格が違うと説教を垂れておきながら、彼女のほうが上手だったということか!──槐山姫!』
竜翡翠の杖を足下に転がして、ヒルデガルドは一歩前に出た。肉体に宿るのは、自身とイルネスだけの力ではない。踏み出す彼女の背中を押す誰かの手。優しく響く声が『てめえの勝ちだ、ヒルデガルド』と風の中を奔った。
流れてくる友の記憶と共に、アバドンの身体に手を触れる。肘から先、指先までが赤黒く染まり、妖力が集中して凝縮されていく。
「──紅蓮掌・槐諸刃裂罅《ぐれんしょう・えんじゅもろはれっか》」