テラーノベル
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朝起きた瞬間、胸に違和感があった。
夢を見ていた気がする。
でも、内容が思い出せない。
ただ、目を開けたときに残っていたのは置いていかれる感覚と、名前を呼ばれた気配だけだった。
『…仁人?』
誰もいない部屋でその名前が零れる。
最近こういうことが増えた。
確かに何かを考えていたはずなのに、途中から抜け落ちる。
無理やり思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛む。
スタジオに着くと、仁人はもう来ていた。
「おはよ」
『おはよ』
いつも通りのやりとり。
なのに、仁人は俺の顔を一瞬だけじっと見た。
「…ちゃんと寝た?」
『多分』
冗談っぽく返したつもりだった。
でも仁人は、笑わなかった。
レッスン中度々振りを間違える。
前なら身体が勝手に覚えていたはずの動きでつまずいた。
「今の違う」
仁人がすぐに声をかけてくる。
『あ、ごめん』
やり直す。
でも、またズレる。
仁人は何も言わず、俺の隣に来て同じ動きをゆっくりなぞった。
「ここ、こう」
腕を引かれる。
近すぎる距離に、心臓が跳ねた。
「前も、ここで引っかかってた」
その一言に、違和感が走る。
『…前?』
「うん」
『いつの話?』
仁人は、一瞬だけ黙った。
「…最近。」
曖昧に返される。
でも、それ以上は聞けなかった。
休憩時間になり、俺は壁に寄りかかって水を飲みながら天井を見る。
「勇斗」
仁人が、低い声で呼んだ。
「今日、病院行く日だろ」
その言葉に、全身が固まる。
『…は?』
「行かないと」
『え、ちょっと待って』
意味が分からない。
『俺、今日そんな予定__』
言いかけて止まる。
スマホのカレンダーを開く。
そこに確かに入っていた。
【16:30 定期検査】
誰が入れた?
『…これ、何の、?』
自分の声が思ったより掠れていた。
仁人は俺から目を逸らさずに言う。
「勇斗が、忘れないようにって」
忘れないように?
『俺、何の検査?』
少しだけ、仁人の喉が動いた。
「…記憶」
その瞬間、頭の中で何かが音を立てて崩れた。
『どういう、意味だよ』
「そのまんま」
仁人の声は、静かだった。
「勇斗。勇斗は少しずつ記憶が抜けてんの」
否定したかった。
冗談だって笑い飛ばしたかった。
『そんなわけ__』
「ある」
きっぱりと言われて言葉を失う。
「もう、何回も説明してる」
胸が苦しくなる。
『…俺、聞いてない』
「そうだね、笑」
仁人は小さく笑った。
「だから、毎回同じ顔する」
それが、優しすぎて、残酷だった。
『なんで、黙ってたんだよ』
震える声で言う。
「俺、知らないまま__」
「知らないほうが、楽だったから」
仁人は、そう言い切った。
「勇斗はさ、全部知ると自分を責めるでしょ」
図星だった。
「俺は、それで勇斗が壊れるほうが怖かった」
その言葉でようやく気づく。
仁人は壁を作ってたんじゃない。
俺を、外に出さないようにしてた。
痛みから守るために。
『…俺、どれくらい忘れてる、?』
そう聞くと、仁人は少しだけ目を伏せた。
「全部じゃない…でも、大事なところほど抜けてる、と思う…」
『え…?』
「俺たちが初めて会った日は?」
『…』
「俺らがよく行く場所は?」
『…』
「な?」
息が詰まる。
『じゃあ、俺たちのことは?』
俺の声はほとんど祈りだった。
仁人はゆっくり言った。
「俺は、覚えてるよ」
その一言に、涙が出そうになる。
「勇斗の代わりに、全部。」
胸がぎゅっと締めつけられた。
___信用できなかったのは仁人じゃない。
壊れていく自分から目を逸らしていた俺だ。
それでも
仁人は隣にいた。
何度忘れても
何度同じ説明をしても
離れずに。
その事実だけが、今 の俺をなんとか立たせていた。
コメント
2件

大号泣案件なんですけど😭😭😭

😭😭😭😭😭😭