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🐸『カエルが運ぶ恋』
第六話「風の中で、ふたり」
週末の夜。
街の灯が少しずつ静まり始めたころ、りなは駅前のベンチに座っていた。
隣には小さな袋。中には、彼の好きだったお菓子と、気休め程度の栄養ドリンク。
スマホに表示されたメッセージはたったひと言。
《そっち、もう着いてる?》
「……うん」
すぐに返事が来た。
《じゃあ、すぐ行く。ハチも連れてきた》
りなは胸の奥がふわっと温かくなるのを感じた。
会うのは久しぶり。
あの夜、彼から「話を聞いてほしい」と言われてから、何度も想像していたこの時間。
数分後、交差点の向こうから、小郷が歩いてくる。
少し日に焼けた顔。疲れが滲んでいるけれど、どこか晴れやかだった。
その横を、嬉しそうに歩く柴犬・ハチ。
「お待たせ」
「……ううん。おかえりなさい」
「ただいま」
そのやり取りだけで、胸が詰まりそうだった。
ふたりは近くの川沿いの道を並んで歩く。
ハチが先導するように、楽しそうに鼻を鳴らしている。
「やっぱりこっちの空気、いいな。風がちゃんと“前向き”に吹いてる気がする」
「ふふ、なにそれ」
「なんかさ、二軍にいるときって、全部の風が背中から来てる感じだった。
前に進めって言われてるのに、自分が動けない感じで」
「……でも、戻ってこれたんだね」
「うん。おかげさまで。……あと、あのときのメッセージ、嬉しかったよ。ほんとに」
りなは視線を落として、小さくうなずいた。
「わたしも、あなたからのメッセージ……救われた気がした。
なんでもない毎日に、ぽんって何かが落ちてきたみたいで」
「キューって、今も元気?」
「うん、元気にしゃべってる」
「そっか。あいつ、俺にちょっとだけ焼きもち焼いてた気がする」
「……ばれてた?」
ふたりは思わず笑った。
その笑い声が風に乗って、静かな夜道に溶けていく。
ハチがふと振り返り、ふたりを見上げる。
まるで「いい風、吹いてきたな」と言っているように。
帰り際、小郷はふと足を止めた。
「次のホームゲーム、来てくれる?」
「え?」
「たぶん、先発で出られると思うんだ。まだ確定じゃないけど。
でも、最初に声をかけたのがりなだったから……来てくれたら、ちょっと頑張れる気がする」
「……うん。絶対、行く」
「ありがと」
彼の表情は、あの少年野球の笑顔に少し似ていた。
別れ際、小郷がふとハチのリードをりなに渡す。
「ちょっと、触ってみる?」
「え、いいの?」
「大丈夫。ハチ、人見知りしないから。
……ていうか、多分、君のこと好きだよ。目、ぜんぜん違うもん」
りながリードを持つと、ハチは素直に横を歩いた。
その小さな温もりに、りなの心もじんわりとほどけていく。
心が、確かに近づいた夜だった。