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「何ですか?」
表情を変えずに真顔で聞き返すと、サラリーマンは「あ……」と戸惑ってから取り繕うように笑う。
「美人だなーって思って……、……か、彼氏とかいるの?」
うっざ。
いつも朱里といると、彼女狙いのナンパ男が声を掛けてきて鬱陶しいと思っていたけれど、自分がターゲットになると、こんなに嫌なものだと思わなかった。
知らない人に好意を向けられても、「美人」と言われても何も嬉しくない。
「答えたくありません」
私は彼を見ずに返事をし、スマホを出すと弄っているふりをする。
「で……、でも、すっごい好みなんだけど、連絡先だけでも教えてくれない? 運命の出会いだと思ったんだ」
「ノーサンキューです」
塩対応を貫いていると、後ろで様子を窺っていた先輩らしき男が、苛立たしそうに言った。
「連絡先ぐらい、いいだろ。お高くとまりやがって」
「見ず知らずの人に、個人情報を教えるつもりはありません」
岩塩の塊をぶつける勢いで言った私は、ここにいては絡まれ続けるばかりだと思い、歩き始めた。
外に出るとムワッと暑さが襲ってきて、私は顔をしかめる。
「ま……っ、待ってよ!」
――と、最初に声を掛けてきた男が、グイッと私の手首を握って引っ張った。
「頼むよ! 一目惚れなんだ!」
手を振り払おうとしても、力が強くて敵わない。
(……っ、この……っ)
私が何か言おうとした時、グイッと力強い腕に抱き寄せられた。
誰、と振り向く前に、鼻腔に届いた香水の匂いで理解した。
「……俺の婚約者に何か用? 必要とあらば、じっくり聞かせてもらうけど」
少し呼吸を荒げて不敵に笑ったのは、涼さんだ。
ナンパ男は格の違う男を前にして、ヒクッと顔を引きつらせる。
顔面偏差値も、身長も体つきも、着ているスーツも腕時計も、何もかも規格外だ。
芸能人みたいな美形に言われては、ナンパ男も引き下がるしかない。
彼は未練がましく私を見つめたあと、バタバタと走って駅の中に駆け込んでいった。
「はぁ……、死ぬかと思った」
涼さんは溜め息をつき、私は思わず突っ込む。
「なんで涼さんが死ぬんですか」
私は日傘を差し、彼を日陰に入れる。
「勝手に俺の恵ちゃんに触られて、頭の血管ブチ切れて死んでしまうところだった」
「あ、そっち……。ご愁傷様です」
「殺さないで。まだ生きてる」
涼さんは悲鳴じみた声で言い、私から傘の持ち手を受け取り、相合い傘をして歩き出す。
「……助けてくれて、ありがとうございました」
「間に合って良かったよ。……っていうか、だから会社で待っててほしかったんだけど」
「線路挟んでますし、こっちに来たほうが拾いやすいかな? って思って」
「恵ちゃんは可愛いから、一人でフラフラしてると、今みたいに悪い男に声を掛けられちゃうんだよ。だから、安全なところで待っててほしかったんだ」
「……今まで、朱里に声をかける人はいても、私に声を掛ける人はいなかったので、ナンパされるなんて思ってませんでした」
「多分それ、朱里ちゃんがメインなんじゃなくて、可愛い女の子二人に声を掛けたんだと思うよ。一人の時に声をかけられなかったのは……、運が良かったのかな?」
思いも寄らない事を言われ、私は目を瞬かせる。
「はぁ……。なんか、しっくりきませんが……。っていうか、会社から走ってきたんですか?」
「駅で待ってるって言うから、なんか嫌な予感がして」
「そんな上等なスーツを着た専務が、全力疾走する事ないじゃないですか」
私は思わず笑い、「おっかし……」と肩を震わせる。
涼さんはキョトンとしていたけれど、ケラケラ笑ってる私を見て相好を崩す。
「恵ちゃんが笑ってくれるなら、スーツ着たままパン食い競争してもいいけど」
「スーツスポーツって、新しいジャンルができそうです」
会話をしながら私たちは、停められていた車に乗り、六本木のマンションを目指した。
**
クーラーの効いた家に入り、私は大きな溜め息をつく。
「ディナーの予約あるから、サッと汗を流しちゃおうか」
「はい」
ゆっくりしていられないと思った私は、ぐーたらしたくなるのを我慢し、私室へ向かうと荷物を置き、廊下を挟んだ所にあるバスルームへ向かう。