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そもそも、なぜ見知らぬ男性の部屋で朝を迎えることになったのか。
その原因は、昨日の夕方にさかのぼる。
「お待たせしました。長谷川乃恵(はせがわのえ)さんですね?」
「はい」
窓口で名前を確認され、私は白い紙袋を受け取った。
「前回の受診から随分間が開きましたが、お薬はちゃんと飲めていますか?」
カウンター越しに、白衣の男性が優しく話しかけてくれる。
「ええ、まあ」
「そうですか」
いつも同じ病院で受診をし同じように薬をもらっていれば、受診の間隔に対して薬が足りていないのは分かっているだろうに、目の前の男性は何か言いたそうに言葉を濁した。
それに、この人は気づいていない。
私はこの病院の・・・
「お薬自体はそんなに強い物ではありませんが、できるだけ指示通りに飲んでくださいね。油断して症状を悪化させてしまっては元も子もありませんから」
見た感じ私よりだいぶ年上に見える薬剤師は、遠慮気味に言ってくれた。
「はい、気をつけます」
私も素直に頭を下げた。
考えてみれば、私がこの病院へ通院するようになってもう10年近くなる。
元々体が丈夫でもなかったし心臓が弱いのも分かっていたけれど、子供の頃は薬に頼ることもなく元気に過ごしていた。
運動が苦手だという意識はあっても、普通に走ったり泳いだりもできていた。自分が周りの友達と違うなんて思ったこともなかった。
***
そんな私がこの病院へ初めて受診したのは、母さんが死んだ後だった。
それは・・・中学1年の時。
物心つく前に両親が離婚していた私は母さんに育てられた。
7歳年上のお兄ちゃんはすでに家を出ていて滅多に帰ってくることもなかったし、貧しかったし、寂しかった。でも、幸せだった。
いつも優しい母さんが大好きだった。
それなのに・・・
私を育てるために必死に働いていた母さんが、仕事中に倒れそのまま亡くなってしまった。
元々心臓が弱かったし、無理もたたったのだろうと思うけれど、私は自分のせいで母さんが死んでしまったような気になった。
私がいなければ、母さんは死ななかったのかもしれない。そんな風に思った。
昨日まで元気にしていた母さんが突然消えていなくなり、現実を受け入れられない私は心を閉ざした。
「乃恵、大丈夫か?」
唯一の身内であるお兄ちゃんが、何度も声を掛けてくれたのに、
「大丈夫」
私は同じ答えを繰り返した。
自分でも、どこがどう具合が悪いのかさえわからなかった。
そして、母さんが亡くなって1ヶ月ほど過ぎた頃。
納骨が終わってやっと一息ついたとき、私は倒れた。
「乃恵ーっ」
遠くの方で、悲鳴のような声だけが聞こえていた。
***
次に目が覚めたときに見えたのは病院の天井。
いくつもの管に繋がれ、耳ざわりな機械音が気持ち悪かった。
「気がついたんだね?」
優しそうな男性に声を掛けられ、
コクンと頷く。
「少し疲れが溜ったんだ。ゆっくり休めば良くなるから」
頭をポンポンとして言われ、なぜかその言葉にホッとした。
母さんも、私と同じで心臓が弱かった。
薬も飲んでいたし、寝込むことも時々あった。
だから私も、このまま死ぬんではないかと不安だった。
でも、
「大丈夫だよ。無理せずにちゃんと付き合っていけば、君は大丈夫だから。いいね?」
「はい」
この時出会った先生が、私の主治医。
その日から、私とこの病院の付き合いが始まった。
高校生になり、大学生になり、時間がなくてなかなか定期的には来られなくはなったけれど、それでも付き合いは続いている。
それどころか、今ここは私の職場でもある。
「お大事に」
「ありがとうございます」
薬手帳と領収書を受け取り、私は時間外入口に向かった。
今私がいるここは大学の付属病院。
本当なら午前中しか外来をしていないけれど、忙しい私にそんな受診ができるわけもなく、無理を言って薬だけ出してもらっている。
主治医とも10年来の付き合いだし、院内で働くスタッフと言うことで融通を利かせてくれているんだと思う。
***
時刻は午後6時。
少し外も暗くなって、病院の中も人が減ってきた。
「すみませーん、ストレッチャー通ります」
廊下の向かいから看護師の声がして、私は壁に体を寄せて通路を開けた。
やはりこの時間になると、救急外来は混み合うらしい。
まあ、病気は時間を選んでくれないわけで、しかたないとは思うけれど、やっぱり大変だな。
私服のせいで誰も私が医者とは気づかない中で、通り過ぎていくストレッチャーをしみじみ見た。
まあ、医者とは言っても研修医1年目。
まだまだ私にできることは多くない。
白衣を着ていたって、何の役にも立たないだろうな。
フフフ。
なんだか自虐的に笑ってしまった。
私、長谷川乃恵。24歳。
一応、医者。
とは言っても、今年の春医大を卒業したばかりの半人前だけれど。
特別に秀才でもなく、人助けをしたいと思ったわけでもない。
ただ主治医の先生に恋をして、私も白衣を着て先生の側に並びたい一心で勉強を頑張り、お兄ちゃんに学費を出してもらって私立の医学部に入った。
当然勉強についていくのも大変だったけれど、なんとか卒業した。
ああこれで、やっと医者になれる。そう思っていたのに・・・
研修医は、医学生よりも辛い。
半端なく忙しいし、毎日叱られてばかり。
ああー、逃出したい。
すべてを投げ出してしまいたい。
でも・・・できない。
「オイ、あんた」
突然、若い男性の鋭い声が耳に響いた。
***
いきなり投げかけられた少々乱暴な声に、私は無表情で振り返った。
そこにいたのは若い男性。
年齢は・・・二十歳くらいだろうか。
金髪で、無駄に整えられた眉。
着ているのは作業服で、所々にペンキの跡も見える。
そして、男性の視線は真っ直ぐに私に向けらえていた。
えっと・・・
どこかで会ったかな?
少なくとも知り合いにはいないはず。
これでも私、記憶力は良い方だから、知り合いなら忘れるはずはない。
「あんた、俺の子をどうしてくれるんだよっ」
男性は、私に向かって声を荒げた。
「・・・」
身に覚えのない私としては「どうしてくれるんだ」と言われても、困ってしまう。
「あんたのせいで、あんたのせいで・・・俺の子供が死んじまったじゃないか」
今度は涙を流す男性。
え、ええええ。
子供が死んだ?
私のせいで?
何で?
すでに私の頭の中はハテナで一杯。
その上、周囲の人たちからは一体何が起きたんだと、好奇な視線を浴びせられる。
そりゃあね、いくら救急外来の待合だと言っても男性の声は大きすぎてかなり目立っているし、子供が死んだなんて簡単に口にできる言葉じゃない。
「あの・・・私」
どこかでお会いしましたっけ?
そう尋ねようとした時、
「ご主人、どうか落ち着いてください」
救急外来の診察室から白衣を着た女性が出てきた。
***
え、ええ?
私はポカンと口を開け、立ち尽くした。
だって・・・
診察室から出てきたのは、先輩の馬場先生。
婦人科で研修中の私の指導医。
ってことは・・・
「こいつが、大丈夫だって言ったんだよっ」
私に向けて指をさし、先輩に声を上げる男性。
「えっ」
私はもう一度マジマジと男性を見た。
そう言えば、昨日の外来でこの人に会ったかもしれない。
いかにも10代の若い妊婦さんに「時々お腹が張るんです。赤ちゃんが心配なんです」と泣かれて、「大丈夫ですよ。診察でも異常はありませんでした」と答えたはず。
検査での所見はなかったし、きっと初めての妊娠でナーバスになっているんだろうくらいにしか思っていなかった。
まさか・・・
「ご主人、奥さんが不安がっておられますので、側についてあげてください」
穏やかに声を掛ける先輩。
時々私の方に視線を送り、何か言いたそう。
きっと、どこかに消えろって言いたいんだろうな。
私がいればご主人が興奮するだけだし。
「あんた、大丈夫だって言ったよな?異常ないって言ったよな?」
「それは・・・」
私は言葉に詰まってしまった。
***
「何で黙っているんだ。あんたの誤診だろっ」
大きな声で詰め寄ってくる男性。
「・・・」
私は何も答えられないまま、その場に立ち尽くした。
決して私は間違ったことはしていない。
昨日の時点では、エコーにも血液検査にも異常はなかった。
確かに、患者さんは不安を訴えていたけれど、あの状況であれば自宅安静の指示が妥当だと思う。
「お前が俺の子を殺したんだろうがっ」
「それは・・・」
違いますと言いたくて言えない。
「お前が大丈夫だって言ったから、だから・・・」
悔しそうに唇を噛み近づいてくる男性に、私は無意識のうちに後退りした。
怖い。
逃げたい。
でも、逃出すわけにはいかない。
分かっているんだけれど・・・
その時、
「ご主人、どうか落ち着いてください」
凜とした声が聞こえてきた。
現れたのは白衣の男性。
その姿を見て、私はなぜかホッとした。
「産科部長の亀井です。奥様の状態についてご説明しますので、こちらへお願いします」
低く落ちついた声で診察室へと誘導する産科部長。
その堂々とした態度に、ご主人はためらうこともなく私から離れていった。
***
「ったく、なんでここにいるのよ。間が悪いわね」
ギッと私を睨み付ける先輩。
「そんな・・・」
私はたまたまここにいただけで、
「今回のことは報告書にして明日の朝一で提出してちょうだい」
「いえ、今から」
イヤなことはとって置いても良いことないし、今日のうちに処理する方が自分のため。どうせ、明日は明日で忙しいわけだし。
そう思って医局へ向かおうとした私に、
「今日はいいから。これ以上トラブルを起こされたって困るの。おとなしく消えて」
憎々しげに言い放った先輩は、部長達が消えた診察室へと入って行った。
はあぁー。
また嫌われたな。
元々、賢いわけでも器用なわけでもない私は指導する先輩から好かれていない。
その上、持病を理由に当直を減らしてもらっているから同期の受けも良くない。
最近では、完全に悪目立ちしてしまっている。
それなのに・・・
はあー。
また溜息が出てしまった。
本当に、逃出してしまいたい。
***
みんな診察室へと消えていき救急外来の待合に1人残された私は、周囲からの好奇の視線にいたたまれなくなり病院の外へ逃出した。
もちろん、今ここで逃出すことが良くないのは分かっている。
どう考えても男性の怒りの矛先は私のようだし、よく思い出してみれば、指摘されたような言葉を言った記憶がある。
当事者である以上、本当は私が説明をするべきだと思う。
でも、研修医である私にはそんなことは許されない。
救急外来の出入口から出て、駐車場の一角にある小さな緑地のベンチに腰を下ろした。
「でもなぁ・・・」
つい口から漏れる。
どうして、「大丈夫ですよ」なんて言ってしまったんだろう。
それは、男性が言うような誤診ではなく、不安に思っている患者を励ますための言葉だった。
実際、あの時点で流産や急変を想像する事はできなかったし、誰の責任でもない。
それでも、人の命に関わることならもっと慎重になるべきだった。
やっぱり、私はこの仕事に向かないのかもしれない。
ポンッと、足元の石ころを蹴った私。
「クソッ」
あんまり悔しくて、汚い言葉が出てしまった。
ガサゴソとカバンの底から取り出した小さなポーチを両手で握りしめ、
フゥー。
1つ肩で息をした。
***
大学と病院が1つの敷地内にある大きな建物脇に設けられた憩いのスペース。
何本かの木も植えられ、ベンチもあり、花壇には綺麗な花も咲いている
昼閒には入院患者や近くの保育園の散歩コースになっているこの場所も、夕方のこの時間には誰もいない。
だからこそ、私はここへ来た。
逃出したって何の解決にもならないのは分かっている。
明日になれば先輩や部長に呼ばれ、ネチネチと嫌みを言われるんだ。
それだけですめばいいけれど、患者のご主人が医療過誤だなんて言えば大騒ぎになる。
私の首はもちろん、病院規模の騒動になりかねない。
シュポッ。
ポーチから取り出したライターで、火を付ける。
スゥー。
口にくわえたたばこの煙を吸い込んだ。
ゴホ、ゴホゴホ。
最近はずっと吸わなかったから、咳き込んでしまった。
フウゥー。
それでももう一度吸い込み、
ハァァー。
今度は空に向かって煙を吐いた。
医者のくせに、病気持ちのくせに、女のくせに、
そう言われるのが大嫌い。
だから、切羽詰まると一番良くないことをする。
お酒もたばこも好きではないけれど、自分で自分を傷つけるように逃げてしまう。
こんな所をお兄ちゃんや先生に見られたら、怒鳴られるな。
フフフ。
想像しただけで、笑ってしまった。
その時、
「敷地内禁煙」
えっ?
突然声が聞こえ、私は固まった。
***
「ここは敷地内禁煙だろ?」
後ろから現れ、私の前に立ったスーツ姿の男性。
「えっ・・・あの・・・」
確かにここは大学の敷地内で、病院を含む大学の敷地内は禁煙となっている。
所々に看板も立っているし、病院でもやかましく言われている。
でも、
「こんな時間なら、誰にも見つからないと思った?」
意地悪く私を見下ろす男性。
「いえ、そんなことは・・・」
見つからないと高をくくったわけではない。
「みんなやってるから、いいと思った?」
「違います」
人がやっているから自分もやるなんて思ったことはない。
「病院職員が喫煙していたことがわかれば、騒ぎになるぞ」
まあ、そうね。
私にも詳しくはわからないけれど、敷地内禁煙をすることで診療報酬の加算があるんだそうで、結局病院の利益になるらしい。
だから、敷地内で職員が喫煙していたことがバレれば、診療報酬の返還や下手すれば追徴金って話にもなりかねない。
この人の言うことは間違っていない。
でも待って、
「どうして私が職員だとわかったんですか?」
ククク。
おかしそうに笑う男性。
何?
「身分証が落ちてるよ」
ええ?
言われて見た足元。
「あぁ」
本当に、写真付きの身分証を落としていた。
***
「これがないと困るんだろ?」
「ええ」
こっそりとたばこを吸っているところを見られ、IDカード機能のついた身分証を落としたところを見られ、恥ずかしさで小さくなってしまった。
このまま身分証を落としたことに気づかなかったら、明日の朝焦るところだった。
電子キーの機能が付いた身分証をなくせば、通用口から院内に入ることもできないし、更衣室に入ることも医局に入ることもできない。
本当に、大変なことになるところだった。
「喫煙は体に悪いよ」
いつの間にか、ベンチに並んで座った男性。
「知ってます」
これでも医師ですからと言いかけて、やめた。
体に悪いのはよくわかっている。
でも、やめられない。
男性の言葉を無視するように、ポーチからタバコをもう1本。
シャポッ。
ライターに火をつけて、くわえたタバコに
「あぁ、」
突然口元から奪われたタバコ。
「やめなって」
取り上げたタバコを手にした男性。
「返して」
苛立ち気味に声をあげ、伸ばした手を
ギュッと、掴まれた。
「離して」
「嫌だ」
なんなのよコイツ。
男性から離れようと必死にもがいてみたけれど、ビクともしない。
もー、最悪。
***
「ふざけないで。離しなさいよ」
相手を睨みながら語気を荒げた。
私がタバコを吸おうと何をしようと関係ないはずなのに、なんでかまうのよ。
放っておいて欲しいのに。
掴まれた手を離そうともがく私。
穏やかな表情を崩す事なく動こうとしない男性。
いい加減大声でも出してやろうかと思ったとき、
えっ?
男性が私との距離を詰めた。
フッと、爽やかな柑橘系の香りがする。
こんなにも近くで男性の香りを意識した経験のない私は、完全に固まった。
自分の鼓動が大きく聞こえて、ガタガタと足が震える。
「無理するんじゃない」
それは、とても優しい声。
余裕たっぷりに笑って、クシャッと私の頭をなでた男性。
嘘。
この人・・・私に触ってる。
「なんで?」
こんなことするのって聞きたくて、声が出せない。
だって、
気がつけば涙が頬を伝っていたから。
イヤだ。
泣きたくないのに、涙が止らない。
ウッ、ウウッ。
もう限界。
強がっていた私の、心がポキンと折れた。
***
男性のスーツに頭をもたげ、私は泣いてしまった。
病院の片隅にある小さな緑地には外灯もなく、夜になれば真っ暗。
当たり前のことだけれど、こんな時間にここへやってくる人もいない。
時々駐車場を出入りする車のライトが当たって、その時だけ男性の表情が見える。
まず目に付くのは、スッと通った鼻筋。
形のいい唇と、少し骨張った頬。
そして、長いまつげ。
綺麗な顔だなと見とれそうになって、目が合ってしまった。
「どうした?」
「・・・別に」
この強い眼差しがなければ、ただのイケメンでしかないのだけれど。
大きくて二重の目はきりっとして、意志の強さを覗かせる。
本当に、吸い込まれていきそうな瞳。
「どうしてこんな事を?」
だいぶ気持ちが落ち着いてから、やっと口にした。
ただのナンパにしては随分手が込んでいるし、タイミングも絶妙すぎる。
「病院から着けてきたんですか?」
これが、色々と考えて出た答え。
「ああ」
男性も否定しない。
「同情ですか?」
「かもね」
やっぱり。
***
結局、それ以上は聞けなかった。
名前も年齢も知らないまま、ただじっとその場にいた。
なぜだろう、こんなに至近距離にいるのに動くことができない。
「大変な仕事だな」
背中をトントンしながらしみじみ言われ、
クスン。
また、涙が滲んだ。
私はいい人間じゃない。
欲深くて、打算的で、その上弱者を装う偽善者なんだから。
「お願い、優しくしないで」
このままじゃ弱音を吐きそうで、
ちょっとだけ、接近した体を押し戻そうとした。
けれど、
「バーカ。こんな時は黙って甘えてろ」
背中に回った手が私を包み込む。
「・・・うん」
私はその温もりに流された。
こんな風に、人に甘えるのは母さんが死んで以来かな。
マズイ。
心が揺れている。
いや、違う。
これは、
胸が・・・
動悸が・・・
どうしよう、苦しい。
「どうした?大丈夫?」
異変を感じた男性が私を見下ろす。
「く、苦しい」
大丈夫ですなんて取り繕う余裕は、私にはなかった。
「病院へ行こう。って、ここも病院だけど。とにかく救急へ」
「待って」
すぐにでも私を抱え上げようとする男性の手を止めた。
「大丈夫、少しすれば収まるから。お願い待って」
救急を受診すればしばらく仕事はできなくなるだろう。
下手をすれば、入院なんて事にもなりかねない。
それは困る。
「本当に大丈夫なの?」
「ええ、これでも医者ですから」
このくらいの発作ならジッとしていれば収まるはず。
過去の経験は伊達ではない。
***
病院の駐車場で発作を起こしてしまった私。
それでも受診したくないとわがままを言う私を、男性は自分の車に連れて行きシートに休ませてくれた。
「しばらく様子を見て急変しないようなら送っていくけれど、それでいい?」
「いや、それは・・・」
正直困る。けれどそう言えば、病院へ連れて行かれてしまう。
「家はどこ?」
「・・・・」
私は答えに詰まった。
今の私には、帰る家がない。
決して住所不定って訳ではないけれど、色々と事情があって・・・
「どこ?」
再度聞かれ、
「あの・・だいぶ落ち着きましたから、1人で帰ります。ご迷惑をおかけしました」
そう言って体を起こそうとした。
しかし、
「ダメだよ。こんな状態で1人にできるわけがないだろう。それとも病院へ戻る?」
「いや、それは・・・」
はぁー、もう。
こうなったら話すしかない。
私は覚悟を決めた。
***
「実は、家賃節約のために友達とルームシェアをしていたんです」
「友達って、男?」
真面目に話し始めた私に、男性の突っ込み。
「違います、女の子です。バイト先で知り合った子で、良い子なんですけれどお金に少しルーズで」
「それは良い子って言わないな」
ハア、確かに。
「でも、私にとっては良い友達だったんです」
「だった?」
そう、今は「だった」って表現でしか言い表せない。
だって、
「フリーターでいくつものバイトを転々としていた子なんですが、先月末に急にいなくなって。しばらくしたら消費者金融の取り立てが来るようになって・・・」
「それって」
「はい。彼女が借りていたようです。中には私を保証人にしたものもあるとかで、何度説明しても諦めてはくれないんです。だから、今はアパートに帰れる状態ではないんです」
取り立ても、初めのうちは昼閒に訪問してくるくらいだったけれど段々エスカレートして、今では昼夜かまわずドアの前で大声を上げるようになった。
お陰で、私はここしばらくアパートに帰っていない。
***
「誰かに相談した?」
呆れたような顔で見られ、私は視線をそらしてしまった。
「でも、なんとかします。と言うわけで、アパートには帰れませんので、どこかホテルをとるかネットカフェにでも行きます。すみません、ありがとうございました」
今度こそ起き上がり、ペコリと頭を下げようとしたとき、
「それは却下だな。こんな状態で、ネットカフェとかありえないだろう」
「でも、」
今はそれしか方法がない。
「病院へ戻るか、俺についてくるか、どっちが良い?」
「ついてくるって・・・」
さすがに少し恐怖を感じた。
「非常事態だからね、一晩部屋を貸すよ。一人暮らしだけれど、部屋は余っているんだ。それとも病院へ戻る?」
いや、でも、
「どちらもイヤって選択は?」
「ないね。それならこのまま救急へ横付けする」
やっぱり。
困ったなあ。
「どうする?」
すでに私のシートベルトを付けてしまった男性は、エンジンをかけて行き先を聞いてくる。
どうしよう、このまま逃出したいのに。
「時間切れ、救急に向かうよ」
「えええ、待って。それはダメ。あなたのお家へお願いします」
とっさに叫んでいた。
そして、ここ数日まともに眠ていなかった私は男性の車の中で眠ってしまった。