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推しがセクハラをしていた。
友達が教えてくれた。正直知りたくなかったしらいいお世話とすら思ってしまう。
Ode on a Distant Prospect of Eton Collegeの中に書かれている、Where ignorance is bliss, ‘tis folly to be wiseという一節のようにやはり世の中には知らない方がいいこと、知らぬが仏ということがあるんだなと思った。前誰かに脚下照顧をしろ、などと言われたような気がする。別に言葉の意味を知らない訳ではなかった。でも私はこの人に言われる筋合いはないなと思った。
別にセクハラをして嫌いになるなんてことはなかった、なれなかった。(それは好きすぎてなどではなくなりたくなかったのだろう。)
結局私は、なんというか、その人じゃないとダメなわけではないのかもしれないなどとも思ってしまった。
鉤括弧でも書いた通り、私は、『今』生きること(しんどいこと)を軽くしてくれる人を探してたまたま『それ』がその先生だったのだろう。きっとそれは無意識だったんだと思う。思えば幼稚園の時から好きな先生は常にいた気がする。
何人といる私の人生を取り巻く大人その中で選び抜かれた人だった。現実は恐ろしい見たくない、熱中できる何かがないと恐ろしいもの(隠れていたもの)が見えてしまう。現実は怖い。見たくないものだから、それを見えなくさせるために、私は好きな先生を作った。
別に関係ない、その先生がセクハラをしていたって私に危害が及ばないなら関係ない。そういうものなんだ。私は昔からそうだった自分に関係なければとんでもないような人のとこにも突っ込んでいくような感じだった気がする。
と、腕も疲れてきたし、今日はここまでにするここまでつきあってくれてありがとうございます。
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