テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リフェアリー
128
市を仕切っている人間は、いた。
広場の隅で、古いパイプ椅子に座っている男だった。六十代。元は、駅前の商店会の会長だったという。誰かに選ばれたわけではない。最初に広場にシートを広げ、場所の揉め事を裁き、気づいたら、皆が「会長」と呼んでいた。
「評判の台帳?」会長は、要の話を聞いて、言った。「誰がつける」
「市の入口で、三人が。別々の紙に」
「何を書く」
「取引が終わったら、双方が入口に来て、名前と、何を何と交換したかを言う。三人が書く。約束が守られたら、丸。破られたら、バツ。相手が逃げたら、逃げた方の名前に、バツ」
「名前が、本物かどうかは」
「わかりません。でも、顔は、彼女が覚える」要は、つむぎを指した。「名前を変えても、顔は変えられない。バツが三つついた顔は、入口で止める」
会長は、腕を組んだ。
「取引のたびに、入口に来いと? 面倒だ。誰もやらん」
「やらなくていいんです」要は言った。「強制しない。やりたい人だけ、やる」
「じゃあ、意味がない」
「意味は、あります」要は、広場を見た。「丸が三つついた人間と、何もついてない人間がいたら、どっちと取引したいですか」
会長は、答えなかった。
「丸がついてる方です。丸がつくと、取引しやすくなる。取引しやすくなると、得をする。だから、丸を集めたい人間が、入口に来る。強制しなくても、来る。来ない人間は、丸がない。丸がない人間とは、誰も取引したがらなくなる。それだけです」
会長は、長い間、黙っていた。
「……刺された男は」
「生きてます。今日の夜が、山だそうです」
会長は、立ち上がった。
「紙を、三枚。持ってこい」
翌朝、広場の入口に、机が出た。
要と、つむぎと、瑠衣。三冊のノート。その横に、会長が座った。会長の顔は、この市の誰もが知っている。会長が座っているから、机は、ただの机ではなくなった。
最初の一時間、誰も来なかった。
皆、机を見て、通り過ぎた。何をしているのかは、昨日のうちに広まっていた。でも、誰も、最初の一人になりたがらなかった。
二時間目に、一人、来た。
昨日、薪と靴の割符を割った男だった。相模湖から、甲府まで売りに来ていたらしい。男は、要の顔を見て、少し笑った。
「昨日の木のやつか」
「はい」
「今日、米を売った。相手は、あそこの女だ」男は、広場の奥を指した。「約束どおり、米三キロと、油一瓶。終わった」
女が、呼ばれて来た。女も、うなずいた。
三冊のノートに、三人が書いた。男の名前。女の名前。米三キロ、油一瓶。丸。丸。
つむぎが、二人の顔を見た。
「覚えました」
男と女は、少し照れたように、机を離れた。
それを見ていた人間が、三人、来た。その三人を見て、五人、来た。
昼までに、二十八行。
昼過ぎに、最初のバツが、ついた。
魚を売った若い男が、代金の米を受け取る前に、相手が消えたと言いに来た。相手の名前は、わからない。でも、顔は、つむぎが覚えていた。朝、入口を通った、茶色のジャンパーの男。
三冊に、書いた。茶色のジャンパー。名前不明。魚を受け取り、米を払わず。バツ。
「名前がわからなくても、書くのか」会長が言った。
「書きます。顔は、彼女が覚えてる。次に入口を通ったら、止めます」
夕方、茶色のジャンパーの男は、入口を通らなかった。別の入口から入ったのかもしれない。広場には、入口が四つある。
「穴だらけだ」瑠衣が言った。
「穴だらけだ」要は認めた。「でも、昨日よりは、穴が少ない」
夜。三冊のノートを、三人で照らした。
六十四行。丸が、百十一。バツが、七。
会長が、ノートを覗き込んで、言った。
「丸の多いやつの名前を、明日、入口に貼り出していいか」
「貼り出す?」
「丸が五つ以上のやつの名前を。『この人たちは、約束を守った』と。そしたら、皆が、丸を欲しがる」
要は、会長を見た。
会長は、要が言わなかったことを、自分で見つけていた。評判は、記録するだけでは、動かない。見せて、初めて、動く。
「貼ってください」
会長は、うなずいて、帰っていった。
要は、三冊目のノートを、瑠衣から受け取った。字は、相変わらず汚かった。でも、丸とバツは、はっきりしていた。
正の字が、増えていた。
一人の名前の横に、丸が、正の字で数えられている。正、正、一。十一。今日一日で、十一の約束を守った人間が、この市にいる。
要は、その名前を、長い間見ていた。
信用は、記録できる。侵入されない紙に、三つの手で、顔と一緒に。
「要さん。四つ目」つむぎが言った。
「四つ目?」
「ロードマップ。顔、三冊、割符。四つ目は、評判」
要は、ノートの隅に、書き足した。
(第16話「瑠衣の端末」へ続く)
コメント
1件
うわ、これは痺れましたね……。要が提案した「評判の台帳」、最初は誰も来ない静かな空気から、一人、また一人と連鎖的に人が集まっていく描き方が本当にリアルで、目に浮かぶようでした。そして会長が自ら「丸の多い名前を貼り出していいか」と気づくところ、要の考えを超えて制度が育っていく感じがたまらなかったです。「穴だらけだけど、昨日よりは穴が少ない」――この一歩ずつの積み重ねが、この物語の体温になってるんだなあ。つむぎが顔を覚えるという役割も効いてて、信用を「記録」する仕組みの輪郭がどんどんクリアになっていくのが心地よかったです。次が気になる!