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「あの子が迷惑をかけて、本当にごめんなさいねぇ……」
その老婆は眉をひそめるようにしながら口にして、僕と真帆の前に紅茶(紅茶と言いながらその色は半透明な紫色だった)をかたりと置いた。
「あ、いえ、とんでもないです」
僕は首を横に振り、それからひと口、紅茶を口に含んだ。
ふんわりと鼻を抜けていく爽やかな香り。魔女らしく何かハーブが入っているようだ。
さゆりさんや鐘撞さんと分かれた僕と真帆は、あれからさゆりさんの師匠である神楽ミキエさんの家を訪れていた。
ミキエさんの家は学校から近いマンションの一室で、けれどそのマンションを外から見た時には、たしかにそこには部屋なんてあるはずがないような場所だった。
七階の廊下の突き当り。どう考えても外から見たら五十センチばかりの壁に相当するそこに、ミキエさんの住む部屋はあったのだ。
恐らくこれも魔法なのだろう。真帆の家である『魔法百貨堂』もなかなかに不思議な空間に建っていて、年がら年中、その中庭にはバラが咲き乱れている。しかも、本来なら香りの比較的薄いバラが品種改良か何かによって強い芳香を放っており、いつ行ってもとてもいい匂いがしている。
ミキエさんの家はそんな真帆の家よりは狭く、たぶん同じマンションの他の部屋と同じ間取りをしているのだろう。ミキエさんやそのお孫さんである夢矢くん(七歳。両親は数年前に事故で亡くなってしまったらしい)とのふたり暮らしなら十分な広さだった。
ちなみにマンションを訪れた時に扉を開いてくれたのは夢矢くんだったのだけれど、彼は真帆の姿を目にした瞬間、口には出さなかったけれども『うわ、イヤな奴が来た』って感じの表情をして、そそくさと自分の部屋に閉じこもってしまった。
「あらあらー? 夢矢くん、恥ずかしがり屋さんですからね、仕方がありませんね」
なんて真帆は言っていたのだけれど、彼のあの表情は恥ずかしさなんかでは絶対にない。
……真帆、これまで彼にどんな嫌がらせ(イタズラ)をしてきたんだい?
僕は思いながら、部屋の中を見回した。
たくさんのドライフラワ―や草花が天井や鴨居からぶら下がり、古めかしい棚には謎の薬瓶がずらりと並べられている。特に目を引いたのは、しおしおに干からびたような人型の根っこをしたアレの逆さづり――そう、マンドラゴラである。媚薬や不妊症の薬として用いられると言われている、魔女と言えばこれって感じの植物だ。
観音開きのガラス戸が付いた本棚にも、真帆がもっていそうな魔術書と思しき分厚い書籍が何冊も収められており、全体的に如何にも魔女の部屋って感じがした。
ミキエさんは小さくため息を吐くと、
「――さゆりちゃんも多感な時期でねぇ、親御さんからは厳しくしてやってくれって頼まれているんだけれど、今回ばかりは気持ちも解るから、どうもうまく言えなくてねぇ。あの子の気持ちをなだめるために色々お話ししたんだけれど、どうにも怒りが収まらなかったみたいで、結局そのままうちを飛び出しちゃって。わたしもさゆりちゃんを追いかけようとしたんだけど、足腰が悪くてねぇ。しかたなく、真帆ちゃんに手伝ってもらうことにしたのよ」
真帆も親戚のうちへ行く準備をしているところにミキエさんから連絡があって、慌ててさゆりさんを探しすべく家を飛び出してきたらしい。
そこでさゆりさんと揉めている僕や鐘撞さんを見つけた、というわけだ。
ちなみに、さゆりさんと鐘撞さんのふたりは今現在、さゆりさんの元彼さんのところへ赴いている。あれだけのとばっちりを喰らうこととなった自身の留飲を下げるために、鐘撞さんもその怒りを元彼さんに叩きつけに行ってしまったのだ。
まぁ、鐘撞さんのことだからそこまで大事にはならないだろう、たぶん。
「真帆ちゃんも助かったわ。ありがとねぇ」
「いえいえ」と真帆も僕と同じように首を振って、紅茶をひと口、ごくりと飲んだ。
「――ミキエさんの紅茶、本当に美味しいですね。五臓六腑に染み渡ります」
「ご、五臓六腑?」
思わぬ言葉に、僕は真帆を見やる。
「変ですか? ミキエさんの紅茶は実際、胃腸に良いんですよ?」
「あ、そうなんだ……」
僕は改めて紅茶を口に含み、ごくりと喉を鳴らした。
……言われてみれば、身体の奥からすぅっとする感じがする気が。
「よかったら、いくらか持って帰る?」
ミキエさんはにっこりと微笑んだ。
「いいんですか? じゃぁ、頂いて帰ります」
ちょっと待っててね、と席を立つミキエさん。ところが一歩足を踏み出したところで、
「……あぁ、そうそう、真帆ちゃん」
「はい?」
「ほら、カケルくんへのお土産、選ぶんでしょう? お礼に好きなものをどうぞ」
そう言ってミキエさんが手のひらで示したのは、部屋の一画に置かれた大きな箱?だった。その中には手作りと思しき指輪やネックレス、或いは透明な卵型のドームみたいな置物や人形、ぬいぐるみがたくさん綺麗に並べられている。どうやらすべてミキエさんのお手製のようだ。
そういえば、親戚の子へのお土産を準備するんだって言ってたっけ。
「ありがとうございます!」
真帆も笑顔で返事して、ごくりと残りの紅茶を飲み干してから立ち上がる。
「ほら、ユウくんも! 一緒に選んでください!」
「え、僕も?」
「当たり前じゃないですか! 私の親戚の子ですよ? それってつまり、私の子じゃないですか! 私の子ってことは、私の彼氏であるユウくんの子ってことになるじゃないですか! なので、ユウくんにも一緒に選ぶ義務があるんです!」
「……なに、その理屈は」
まるで理屈になっていないうえに飛躍がヤバい。
「と・に・か・く! 一緒に選びましょう!」
「はいはい、わかったよ」
というわけで僕も席を立ち、真帆と一緒にお土産を選ぶ。
「その子って、何歳くらいだっけ?」
「一歳ですね」
「ってことは、あんまり小さいものはあげられないね」
「間違って飲み込んじゃったら、大変ですからね」
「これなんてどう? 手のひらサイズのぬいぐるみ。クマとかウサギとかあるけど」
「かわいいですね。でも男の子ですよ? ぬいぐるみでも嬉しいものなんですか?」
「僕は小さい頃、ぬいぐるみを抱いて夜寝てたよ」
「あら、そうなんですか? その頃のユウくんに会いたかったですね。さぞ可愛かったでしょうね」
「さぁ、どうだろうね。夜泣きが凄かったって母さんが言ってたから、なかなか大変な子だったみたいだよ、僕。ぬいぐるみを与えられてからは夜泣きの回数も減ったって言ってたけど」
「そうなんですか? なら、確かにぬいぐるみはカケルくんにもぴったりかも知れませんね」
「クマにする? ウサギにする? あ、犬と猫もあるね。猫はセロにそっくり」
「ユウくんはどんなぬいぐるみと一緒に寝てたんですか?」
「たしか、クマだったかな。いわゆるテディベアだったと思うけど。クマにする?」
「そうですねぇ…… ユウくんならどれを選びますか?」
「僕? 僕だったら、そうだなぁ…… やっぱり猫なんてどう? セロとそっくりだし、真帆っぽいプレゼントになるような気がする」
「そうですか? じゃぁ、猫ちゃんにしましょう。確かにセロにそっくりですし」
真帆は手のひらサイズの猫のぬいぐるみを手にすると、それを大事そうに胸に抱いた。
「ありがとうございます、ユウくん。きっとあの子も喜びます」
愛おしそうに微笑む真帆に、僕も「うん」と頷いた。
「お土産は決まったかしら?」
ちょうどミキエさんも紅茶のお土産の準備ができあがったらしく、小さな紙袋をふたつ手に提げてキッチンから僕たちのところに歩み寄る。
「ありがとうございます、ミキエさん。これにします」
「いい選択だと思うわ」とミキエさんも満足そうに頷いて、「はい、これ、紅茶。是非ご家族と一緒に飲んでちょうだいな」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
それから僕と真帆は玄関に向かい、ミキエさんに見送られながら、七階のエレベーターホールの方へ並んで歩いた。
まぁ、色々あったけれど、終わり良ければすべて良し、ということで。
さゆりさんと鐘撞さんが今頃元彼さんにどんなことをしているのかは知らないけれど、それはそれ、これはこれ。
真帆も機嫌良さそうだし、さゆりさんの身体に抱き着いたあの一件も水に流してもらえそうだなぁ、と思いながら、僕はホールにあるエレベーターのボタンを押した。
エレベーターは運悪く六階から一階へ降りていく途中で、七階まで再度上がってくるまでには少しばかり時間がかかりそうだ。
――その時だった。
真帆がくるりと僕の方へ身体を向けたかと思うと、がしりと突然、僕の身体に抱き着いてきたのである。
「え、なに、なに? どうしたの、真帆?」
「……お仕置きです」
「お、お仕置き?」
どきりとした。またどんなお仕置きをされるのかと思わず身構えてしまう。
けれど、そうではなかった。
真帆は僕の胸に顔を埋めると、静かに、
「……もう、二度とあんなことはしないでください」
「ご、ごめん、悪かったよ。あれは、振り落とされそうで怖かったから、しかたなくさゆりさんの身体に抱き着いちゃっただけで――」
「違います。そのことじゃありません」
「えぇ? じゃ、じゃぁ、いったい何の件?」
「鐘撞さんのホウキから、さゆりさんに飛びついたでしょう? 空の上で」
「あ、うん。まぁ……」
ほら、やっぱり抱き着いたことじゃないか、なんて思っていると、
「――死んだらどうするんですか」
「……え?」
「もしあれが失敗していたら、もしあのとき私が間に合わなかったら、ユウくんは地面に叩きつけられて死んじゃってたかもしれないんですよ? わかってますか?」
「あ、あぁ――確かに、うん。そうだね……」
胸に何か熱いものを感じた。それは僕の心臓であり、心であり、胸に顔を埋める真帆の息であり、そして真帆の――涙だった。
「もう二度と、あんな危険なことはしないでください」
「わ、わかった。絶対に、しない」
「約束ですよ?」
「うん、約束する」
「もし約束を破ったら、もしユウくんが死んじゃったら、そのときは私も一緒に死んじゃいますから、覚悟しておいてくださいね」
「う、うん――わかった。本当に、ごめん、真帆」
「絶対ですから。これ、私からユウくんへのお仕置きですから。これから先、絶対に死ぬような真似だけはしないでくださいね。約束、破らないでくださいね」
「――うん」
僕は頷き、そして真帆の身体を、強く抱きしめた。