「初めてなんだけど、お願いできるかな。」
理容師として働く私。久しぶりに飛び入りのご新規さまの接客をすることに。
「はい、こちらへどうぞ。」
体格の良さとスーツ姿が醸し出す色気に圧倒されながら。
「カルテに記入をお願いします。」
しばらくその人はカルテとにらめっこして。目配せで終わったと教えてくれたのでそれを受け取る。
「少々お待ちください。」
基本情報をパソコン入力してやっと。
「大変お待たせしました菊田様、席へご案内します。…何かご要望はありますか??」
「ここが伸びたから、切って整えて欲しい。」
「畏まりました。ではシャンプーしますので、シャンプー台へ案内しますね。」
シャンプー台に頭をのせてもらって、目隠しのガーゼをかける。
「お湯加減はいかがですか。」
「問題ない。」
「力加減はいかがでしょう。」
「ちょうどいいよ。」
「痒いところはありますか??」
「無いよ。」
ダメだ。いい声すぎる。何者なんだこの人は…。
「お疲れさまです。起きて大丈夫ですよ。」
席に戻ってもらって、カットの前のマッサージ。
「うまいね、君。」
「ありがとうございます。」
「いたた…。」
「すみません!!」
「いや、良いよ。久しぶりのマッサージだから、相当凝ってるだろ??」
「はい、肩もですが頭皮もなかなか固いですね。少しすーっとしますよ。」
トニックウォーターを吹きかけ頭皮マッサージを続ける。
「では、カットに移りますね。」
「ありがとう、だいぶ軽くなった。」
「よかったです。」
後は黙々とカットを進め、お会計時に。
「メンバーズカードと名刺、お渡ししますね。ネットからのご予約だと割引クーポンが使えてお得に施術できますよ。」
「なるほど。へぇ、名刺の字綺麗だね。」
「ありがとうございます。名前だけは手書きしてるんです。」
「いい心がけだ。ところでここは顔剃りはしてるかい??」
「はい。」
「そうか。じゃあまた来るよ。」
「お待ちしております。」
一緒に外に出て深く頭を下げ、見えなくなるまで見送る。
「あのダンディーなお客、思わず俺も惚れそうだったよ。」
中に戻るとレジカウンターから先輩がニヤニヤしながら私を見ている。
「まさか私、顔に出てました??」
「出てたよー??」
「ああいう人、ドラマや映画の世界にしかいないと思ってたのでびっくりして…。」
熱くなった顔を手うちわであおぐ。
「いらっしゃいませ。」
扉が開いた音に先輩が反応して言ったので、切り替えて先輩のアシスタントにまわった。
あれから3ヵ月後。
「(ウソ、ほんとに来てくれるの…!?)」
閉店準備中にパソコンを覗くと、明日の最終受け付け時間のところにあの人の名前で予約が入っている。
「(SPカットに顔剃り、指名スタイリスト)私!?」
悲鳴に近い声が店内に響く。私しかいないのが唯一の救い。2回めで指名されることがなかったのでそれにも驚いている。
「うぅ!!しっかりしろ自分!!」
顔を両手で叩き残りの仕事を片付けて、帰宅後は念入りに道具の手入れをすることに決めた。